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【芸術の20世紀・喪失宣言】現代アート・残された最後の提案          

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    ※『芸術の20世紀 喪失宣言の説明』と言うカテゴリで、以下の
     「宣言文」の説明をしています。
     そちらと合わせてお読みになるとわかりやすいと思います。
     右側のカテゴリから選択して頂くと表示されます。

目次


      
      はじめに

    Ⅰ.【芸術の20世紀 喪失宣言】
     ⑴宣言文
     ⑵宣言の根拠
      1.≪芸術の20世紀≫は喪失していた
      2.21世紀以降の未来へ向けて、新たな芸術を創造することが可能な時代環境
       を改めて設定し直す必要がある
      3.現状に至って、時代を喪失させることが最良の策と判断した
      4.100年回帰の根拠
      5.年代区分のまとめ
     ⑶具体的な≪喪失≫について
      1.≪芸術の20世紀≫から学んだこと/「天才の時代」は終わり、「挑戦の時代」は続くだろう
      2.≪喪失≫の実践について
       ①教育の場において
       ②美術館の展示内容や企画について
       ③マスメディアとの関係
       ④「宣言」の再検討
       ⑤空想上の体験  
    Ⅱ.【真術の紀元 宣言】
     ⑴宣言文
     ⑵新たに区別された≪真術≫について
      1.≪真術≫を区別する理由
      2.≪新生芸術の20世紀≫における芸術の仮定義
     ⑶≪真術≫の不可能性
      1.≪真術≫は不可能なのか?
      2.≪真術≫に残された可能性
      3.≪真術≫における「迷い」について/「迷い」の時代へ
    Ⅲ.【この「宣言」の原点】/芸術の果たすべき責任
     ⑴芸術は「非生産的」であり「唯一無二」である
       
       おわりに




はじめに

     
      はじめに


「20世紀」が半ばを過ぎたころ、1960年に生まれました。

30歳になる頃まで芸術や美術に関わる機会はありませんでした。

その後、20年以上も経ちましたが、いまだになぜ美術に関わりを持つことになったのかよくわかりません。

『もしも、「芸術の中心」という場所があるのなら、そこを見に行きたい』
そういう気持ちでこの文章を書きました。


団体や組織には属していません。
個人的な活動歴と言えるものもありません。


この「宣言文」は、その「わたし」が書きました。



初めに、この「宣言文」に書いてあることは私が言っていることと言うよりも、すでに起きていることだと思っています。

人類は、気が遠くなるような年月をかけて「人間」に成るために世代をつないで来たのだと思います。
そしていまに至って、ようやく人類が、これまでにはなかった「型破りな種」としての「人間」に成りつつあるのだと思うのです。

この「宣言文」には、その「型破りな種」に成りつつある「人間」を象徴する特徴として、「芸術」という「人間の行動習性」について書いてあります。
その「芸術という行動習性」が受け入れられ、まったく普通のことに成った時に、人類と言う「種」は少しだけ「人間」に近づくことが出来るのだと思っています。

ただし、これは、人間を特別扱いしようという話でも、人間の自然に対する思い上がりという話でもありません。

「人間」だけでなく、「すべての種」が「型破りな種」であるのは確かなことです。
しかし、人間にとっての「最も特別な種」が「人間」であるということは、私たちにとっては、それ以上に避けようのないことなのです。
それと同じように、「いま」を生きる者にとっては、「現在」こそが「最も特別な時代」であり、私たちは、その「現在」において「人間に起きている変化」からも、まったく逃れようがないのです。



その「変化」が、いつ収束し誰の目にも明らかな「変容」となって現れてくるのかはわかりません。
たかだか「芸術と言う人間の習性」だけに限った話だとしても、それはわれわれの想像を遥かに超えていることでしょう。

でも、それは確かに100年以上も前から動き始めていることで、今も少しづつ進行していることなのです。

そして、どうやら、この考えが私の中では揺るぎないようなのです。
つまり、これは私の考えたことなどではなく、すでに起きている事実であるということなのです。


芸術に限ったことでもないのです。
人間の社会全体に関することだと思っています。

芸術や哲学には、人間や社会を「人間自身が生み出してしまう拘束」から開放するという役割があると思うのです。
単なるエンターテイメントであるとは思っていません。

芸術や哲学に関わる者は好むと好まざるとにかかわらず、その役割を負わされているのだと思います。



もし、そんな風に思う方がいらっしゃれば、是非この「宣言文」を読んでみてください。
きっといいと思います。

もし逆に、『エンターテイメントでいいじゃないか、おもしろければいいだろう』という方がいれば、特におすすめはしません。
わたしがすすめなくても、これを読む人は居るでしょう。


それでも、なかには『そんなことを言われたって絶対に読まないよ』という人はいるのでしょう・・・・・

・・・・・私たちは、あなたを置いて行くしかありません。



きっと今に、この「宣言文」に書いてあることが「あたりまにえ」に成って、その時には、きっと、すべての国、すべての人の中に、一つづつの「芸術の中心」が生み出されているでしょう。

それこそが、わたしが見に行きたかった場所です。


いま、そこに最も近い位置に立っているのは、あなたなのかもしれません。













【芸術の20世紀 喪失宣言】 ⑴宣言文


    ⑴ 宣言文


『≪芸術史上の20世紀≫を≪喪失の世紀≫とし、1914年~2013年の100年間を芸術史から喪失し、われわれは時代を100年回帰し、2014年(本宣言発表時)をもって芸術史に於ける≪新生芸術の20世紀元年≫とすることをここに宣言する。』


※以下において、「芸術」とある場合、主に美術を想定しいる。
しかし概念としては芸術全般にも当てはめることができると判断し、「芸術」としている。
 
※以下において、「われわれ」または「我々」とある場合、本宣言の宣言者(私自身)とその賛同者を指す。
但し本宣言を発表する時点での現実の賛同者は存在しないし、また、現実の賛同者を想定しているわけでもない。
この「宣言」に対して、少しでも共感する人がいれば、その人が、その時点で「われわれ」の一人となるだろう。


 


 ⑵宣言の根拠 1.≪芸術の20世紀≫は喪失していた


以下に、この「宣言」を発表する理由をあげる。

1. ≪芸術の20世紀≫は喪失していた

20世紀の芸術において、私が第一番に思うことは、「~イズム、」・「~イスト」・「~主義」・「~派」、さらに、それらそれぞれに「ポスト~」・「ネオ~」、そして、それらの複合型と数え上げたらきりがないくらいの主義主張やスタイルが、次から次へと生み出されていったということだ。


それらは概して短命で、次に替わるものが現れたとたんに、古臭く感じられ置き去りにされた。
そして、今、21世紀に入って13年が経過し、20世紀を振り返った時『あれはなんだったのか?』という思いを打ち消すことができない。

知識として後から知ったことも含めて、どうしても釈然としないというのが本音であり、それら「流行り廃り」としか言いようのない「~イズム」と「芸術」という言葉が全く一致しないのだ。


私自身が芸術とのかかわりを持つ以前から、その違和感はあったのかもしれないが、『まぁ、そんな時代なのだろう?』と言う程度に漠然と考えていたように思う。

もちろん、≪芸術の20世紀≫においても巨匠といわれる人は沢山いるわけだが、彼らの作品を見ると、必ずと言っていいほど、「感性」の前に「理性」が働かされてしまうような、歪んだ感覚にとらわれてしまう。

常に、先に頭で考えさせられてしまうのだ。
その『~させられてしまう』が違和感の原因なのだと思う。

しかし、ここで個々の作家や「~イズム」を批判するつもりは全くない。
それをすると話がわかりにくくなってしまうし、この宣言とも無関係なので、ここでは≪芸術の20世紀≫という「時代」が提供し続けた「芸術」は、私の中の芸術と(そして恐らくかなりの数の人の中の芸術とも)一致しないと言うにとどめておこう。

これは日本人に限ったことでも特定の世代に限ったことでもないと、私は感じている。
(本当の意味では、地域や世代による差は意外と少ないのではないだろうか)

※以下本論稿全体を通じて、作者・作品・団体・主義・流派などにおける固有の名称を、例として挙げて説明することは極力避けている。
具体例を示さないことで、より純粋な論旨を伝えたかった。


そして、ここからが大事なのだが、実は私の違和感など大した問題ではない。

現代美術が、また、その中のどのような作品が、芸術として優れているのかと言う議論はここでは避けたい。

実際、私自身も20世紀の芸術の中で好きなものもないわけではない。
(たくさんあるといってもいいのかもしれない)
また、少なくとも20世紀美術を愛する人たちも、かなりの数でいるわけだから、そこにケチをつける必要などはないし、そんなことがしたいわけでもない。


ただ一点に絞って言いたいことは、『≪芸術の20世紀≫が残した芸術は後世につながるのか?』=『現状を尊守していって未来に大輪の花が開くときが来るのか?』ということなのである。

現在のめまぐるしく「流行り廃り」のように移り変わってゆく状況の中で、それは期待できないというのが私の結論であり、この未来とのつながりという点を考えた場合、≪芸術の20世紀≫は空転していたと言わざるを得ないのである。

いや、むしろもう一段強い表現で言わせてもらいたい。

『それは時代として喪失されていた』と。

つまり、『≪芸術の20世紀≫という時代そのものが、はじめから存在していなかったのだ』