FC2ブログ

Category「個性」と「才能」 1/1

「個性」と「才能」

よく、「才能がある人」とか「個性的な人」という言い方をするわけですけど、あれはどうも好きになれないのです。つまり、「才能がない人」や「個性的でない人」を想定して言っているように聞こえてくるわけですね。でも、実際には、それらの判断と言うのは、その「個性」や「才能」が、誰かにとって有用かどうかという基準で下されているのだと思うわけです。つまり、「才能」や「個性」が有るとか無いとかと言うことを、言ってい...

  • 0
  • 0

才能にも「質」と「量」がある

芸術やスポーツなどの話となると、どうしても「才能」ということが出て来るわけです。つまり、どうしても「才能がある人」と「才能がない人」とに分けられてしまう傾向があるわけですね。でも、これを「ある・ない」だけで捉えるのは、少し考え方の方向が間違っているように思うのです。実は、才能にも「質」と「量」があって、その「量」については、そんなに大きな差はないのではないと思うわけです。そして、その「質」について...

  • 0
  • 0

現在、「個性的であろうとすること」が「唯一の没個性」だと思うのです:教育で浸み込まされた「個性と才能」

現在、「個性と才能」がとても素晴らしいものだということを否定する人はあまりいないでしょうね。確かにそうなのでしょうが、その意味が履き違えられてしまっているようにも思うわけなのです。このブログの中でも何度か書いていることなのですけれど、「個性的」や「才能豊かな」ということが、ある一部の者に与えられた特権のように思われてしまっていると思うのです。そして、それは教育の段階で子供のうちから浸み込まされてし...

  • 0
  • 0

一極集中的な性質を「才能」と呼び続けたことの間違い

このブログで前にも書いていることですが、現在、芸術において「才能」という言葉を使うことには、疑問を感じざるを得ないわけなのです。だいたい、「才能」と言うと、一つのことに突出した能力を持っている人や、幼いうちから、高い能力を示した者というイメージがありますけれど。でも、その「突出した能力」や「高い能力」と言うのが、何を基準にしたものなのかが、全くもってはっきりしない場合が多いわけです。例えばの話、絵...

  • 0
  • 0

「人間の底」

人間には、それぞれに「人間の底」があると思っているわけなのです。まぁ、一言で言えば「能力の限界」とでも言うんでしょうか。そして、その「人間の底」が見えないタイプの人には、どこかミステリアスな魅力があったりするわけです。また、そういう”底が見えない”タイプの人を「カリスマ」と呼んだりしているのだと思うわけです。(宗教的な意味での「カリスマ」に限らずですね)でも、この「カリスマ性」を、本当のその人の能力...

  • 0
  • 0

「遺伝された能力」と「個人の能力」

「人間の能力」には、「遺伝された能力」と「個人の能力」があると思っているわけです。「遺伝された能力」とは、親や先祖から受け継いだものです。ただし、肉体や脳などの「ハード・ウェア」的な部分だけでなく、文化や民族特性のような「ソフト・ウェア」的なものも含まれるのだと思うわけです。また、両親や先祖から直に受け継いだものだけでなく、社会から受け継いだものも、広い意味での「遺伝」だと思っています。要するに、...

  • 0
  • 0

「自我」

人間は、ごく幼い時期に「自分」と言う存在を意識するように成るみたいですね。いわゆる「自我」ですね。「我が強い」とか、「我を張る」なんて言い方もあったりしますけど、そういうのなんかも、たぶん「自我」に含まれるんでしょうね。この「自我」の使い方なんですけど、「自我」には、使い方によって「プラスの作用」と「マイナスの作用」が大きく分かれてしまう性質があるんだと思うんですよね。さしづめ、「我が強い」や「我...

  • 0
  • 0

「自分がナニモノなのか」を見出す

私の場合、「自分がナニモノなのか」を見つけるのに、随分と時間がかかってしまいました。と言っても、今でも「自分がナニモノなのか」がハッキリとわかったということではないですけどね。まぁ、どちらかと言えば、今までがいかに見当違いだったかに気が付いたって感じですか?とにかく、5年ほど前に50歳くらいになった頃、ようやく『自分はこんな人間なんじゃないの?』と言う感じでした。でも、こういうの、私だけでもないんじ...

  • 0
  • 0

「変わり者」と「変わり者じゃない者」

「変わり者」っていうと、あまり「いいイメージ」ないですよね。でも、私といたしましては、「変わり者じゃない者」の方が、よっぽど「いいイメージ」ないわけです。そもそも、「変わり者」っていってますけど、本来、「人間」って、全員「変わり者」であるハズなわけです。その人が、その人自身の本来の姿であればあるほど、他の人から見たら「変わり者」に見えるハズなわけで、そんな中で、「変わり者じゃない者」が居るとすれば...

  • 0
  • 0

「才能に頼らない」と言う選択

これは「芸術」に限らない話ですけど、現在、どんな分野でも、「才能」と言う言葉がかなり絶対的なものに成っていて、何をするにも、「才能」を見つけ出したり、「才能」を伸ばしたり、「才能」を磨いたりと、ありとあらゆる形で、「才能」を引き出そうとするわけです。でも、そういうの、もうやめたほうがいいんじゃないかと思うわけですね。私の場合、「才能」と言う言葉自体、無くしてしまってもいいんじゃないかと思っているく...

  • 0
  • 0

「没個性」と「消個性」

「没個性」と言う言葉がありますけど、「消個性」と言う考え方もあるんじゃないかと思うわけです。つまり、「個性を消す」ということですね。「没個性」の方は、「初めから個性が無い」と言う風に聞こえてしまうんですけど、実際に、「初めから個性が無い人」なんて、居ないと思うので(と言うか、もし居たら「かなり珍しい人」なので、むしろ「個性的」なんじゃないかと思いますね)、どちらかと言うと、「消個性」の方が正しいよ...

  • 0
  • 0

「才能」とは「世間的な評価」のこと

このブログでも何度か書いているんですけど、私は、いま言われているところの「才能」とか「個性」という言葉が、非常に無意味なものに思えるわけなのです。だから、『この二つの言葉はもうやめてしまってもいいんじゃないか?』と思っているくらいなんですね。とにかく「才能」とか「個性」と言うときに、それが「ある人」と「ない人」に分けられてしまうんですねぇ。これは現在「才能」や「個性」という言葉に与えられている設定...

  • 0
  • 0

「差」はない、「違い」はある

いろいろなものごとにおいて全般的に言えることですけど、「差」はないけど「違い」はあると思っているわけです。つまり、全てのモノゴトは、どんなことであっても「上・下」の「差」はなく、「横並び」の「違い」はあるということです。そして、もう一つ、『「差」は自分の中にだけあって「違い」は自分の外にもある』ということもあると思います。これは、自分がやったことの中には、『これはいいなぁ』と『これはダメだなぁ』と...

  • 0
  • 0