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Category「ポジティブ」と「ネガティブ」 1/1

「ポジティブ」と「ネガティブ」

今は、どちらかと言うと、と言うより、はぼ完全に「ポジティブ」が支持される時代だと思います。「ネガティブ」と言うと批判されるか、言い訳のような使い方をされることが多いと思うわけです。『どうせネガティブですよ』みたいにですね。でも、わたしとしては、その二つは両方そろっていて、初めて意味があるものだと思うわけです。「ポジティブ」と言うと、いいように聞こえますが、『ちょっとそれは無理なんじゃないの?』と思...

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「前向き」ということについて

「前向き」と言えば、当然いいことということに成っているわけですけれど、私といたしましては、これに若干の異議があるわけなのです。まず、最初に感じてしまうのは『無理してるんじゃないの?』ということなのです。だいたい、自分の状態が「前向き」なときに、あえて「前向き」は使わないんじゃないのかなと。やはり、落ち込んだり自信がなくなったりして、「後ろ向き」になりかけた自分を、鼓舞したり、立ち直らせようとして「...

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「悪口」=「ネガティブ」なのか?

「悪口」と言えば、ネガティブの代表なわけですけれど、それは「悪口」の定義によると思うわけなのです。悪くない人を悪く言うのが「悪口」であれば、それは間違いなくネガティブでしょう。また、いいところも悪いところもあるようなことについて、その中の悪いところだけをわざわざ拾い出して悪く言うのも、確かにネガティブなことだと言えるのでしょう。 ※ここで「悪い人」とか「悪いこと」と言っているのは、基本的にそれを言...

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「人間を否定すること」と「行為や状態を否定すること」は全く違う

このブログでも何度か書いてきたことですが、現在の日本では、否定的なことを言うことがタブーのようになってきていると感じるわけですけれど、これには、かなり見落とされているところがあるように思えるわけなのです。見落とされていることは、いくつもあると思うのですけれど、中でも「人間を否定すること」と「行為や状態を否定すること」が、ほとんど区別されていないと言うのは、かなり大きなことではないのかなと。「人間」...

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「前向き」は現世利益の宗教と同じでは?

現在、「前向きに生きること」は、ほぼ全面的に肯定されているわけですけれど、これは、構造的には、ほとんど「現世利益」を謳った宗教と変わらないと思うわけです。つまり、「前向きに生きること」で『こんなにいいことがありますよ』と言っているわけで、『お賽銭を入れる』と、『何かきっとご利益がありますよ』と言うのと、あまり違わないわけです。実際は、「宗教」も「前向き」も、高い見識をもって、言っている人もいるのだ...

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「ポジティブ」過ぎなんじゃないでしょうか?

このブログでは、何度か繰り返し言ってきていることなのですけれど、現在の日本では、「ネガティブ」であることが忌避され過ぎていると思うわけです。でも、だからと言って「ポジティブ」が悪いというつもりは、まったくないわけなのです。と言うよりも、私自身どちらかと言えば「ポジティブ」側でもあるわけです。ですから、「ポジティブ」であることは、いいことだと思っていますし、「ネガティブ」を全面的に肯定すべきだとも思...

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「ポジティブ」と言う呪文

「ポジティブ」と「ネガティブ」については、このブログでも何度か書いてきたわけですけれど、現在の日本では、もう本当に「ポジティブ」が呪文のように繰り返し唱えられているわけです。わたしには、これがどうしても不自然に見えてしまうわけですけれど、とにかく「ポジティブ」と言えば、ほとんどのことが通ってしまいますし、どんな無理な状況でも「前向き」に捉えることが”良し”とされてしまっているわけです。反面、「ネガテ...

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「ポジティブなネガティブ」と「ネガティブなポジティブ」

このブログで、何度か言っていることなんですけど、現在の日本では(世界的にもその傾向はあると思いますが)、全ての考え方が、「ポジティブ」に偏りすぎていると思うわけです。これは、とにかく行き過ぎていて『どう考えてもオカシイでしょ』と思っているわけです。そんな中で、とくに『オカシイ』と思うことの一つが、一見すると「ポジティブ」な人が、実情はとても「ネガティブ」でも、「ポジティブ」の看板さえ出していれば「...

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「不満」のモトは「好奇心」?

私なんかもそうなんですが、現代人と言うのは、とかく社会に対して「不満」を持ってしまう傾向があると思うのです。現代人は、教育でいろいろなことを教え込まれていますし、その後の情報量も、昔とは比べものにならないぐらいに多くなっていますから、社会の”アラ”が、どうしても目に付いてしまうんだと思うのです。しかし、自分のことを考えても、よくわかることですけれど、この「不満」を持って生きていると、あまりいいことが...

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「批判」と「否定」

「批判」と「否定」は重なるところが多いので、混同してしまいがちなものだと思うんですが、実際には、かなりの違いがあるんだと思います。「批判」も「否定」も「ネガティブ」ということで、同じように扱われることが多いわけですけど、「批判」はそこから何かを得ようとするもので、「否定」はそこには得るものがないと判断することなのでしょう。つまり、「批判」は「否定的」ではあっても、「全面的な否定」ではないということ...

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『自分を愛せるように成ると幸せになれる』ということについて

『自分を愛せるように成ると幸せになれる』と言われることがありますよね。あれは、半分は当たっていると思いますけど、半分は外れていると思いますね。本当のことを言えば、自分を愛していない人なんて、ほとんどいないと思うんですよね。本当の問題は、「愛し方」なんだと思います。どこかで「愛し方」が屈折してしまう人が居るということだと思います。そうすると、人から見れば「自分のことを愛せない人」のように見えてしまう...

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「スピリチュアル」と「ポジティブ信仰」

「ポジティブ」という言葉が急にたくさん使われるようになったのは、10年~20年ぐらい前からのような気がしますが、その時点では、大した違和感を感じたことはありませんでした。でも、ここ数年の「ポジティブ」の使われ方にはどう考えても「行き過ぎ」としか言いようのない、異常さを感じてしまうわけなのです。まるで、狂信的な新興宗教のような感じすらしますね。そして、この「行き過ぎたポジティブ」の原因になっているの...

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「ネガティブ試験」

「試験」というのは、「出来ること」を調べるためのものということに成っているわけですが、そこのところを逆に考えて、「出来ないこと」を調べるための「試験」という考え方があってもいいんじゃないかと思っているわけです。 ※と言っても、「出来ること」は調べやすいんですけど、「出来ないこと」  ってなかなか調べられないんですねぇ。  要するに、「わざと出来ないフリをすること」が出来てしまうわけです。  「出来...

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「自己肯定」と「自己正当化」のチガイ

私は、現在の人間の行為の中で、最もタチの悪い行為が「自己正当化」なんじゃないかと思っているわけです。『悪いことをしてしまう』または、『怠惰な状態に陥ってしまう』または、『嫉妬心や競争心にかられてしまう』または、『利己的に成って横暴な振る舞いをしてしまう』ここまでなら、まぁ仕方ないと思えます。まぁ、どれも似たようなものだし、人間にはこれらのことを完全に排除することは不可能だと思いますから。(自分もや...

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