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Category自分の制作について 1/24

絵画作品の額装について(日本人として思うこと)

現代アート作品の展示を見ると、平面作品で額装していないものが多いようですけれど、そういう展示を見ていつも思うのは、この「無額」には本当に意味があるのかな?ということです。現代アートの流れを考えれば「無額」はごく自然なことだと思うのですが、それだけに、当たり前でちょっとつまらないなと思ってしまうわけです。作品の中で攻めて(チャレンジして)いるものであればあるほど、その「無額」が、ややシラケて見えてし...

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「絵」と「額」で迷宮のような世界を表現したいのです

このブログの中でも何度か書いているのですが、私は、いま「額」の制作にはまっていて、どちらかと言えば「絵」を描いている時間よりも、「額」を作っている時間のほうが長いくらいなのです。なぜそんなことをしているかと言えば、どうしても「絵」と「額」の相乗効果を生み出すことによって、「迷宮」のような世界を表現したいと考えているからなわけなのです。これは言葉で表すのは難しいですが、平面としての「絵」の世界と、立...

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「絵」と「額」で迷宮のような世界を表現したいのです(続き)

前の記事の続きになります。迷宮と書いてしまいましたけれど、そんなに特別なことをしようと言うわけでもないのです。むしろ、これまで「額」というものが、あまりにも決まりきった形であったのではないのかなと、そういう気持ちから始めたことなわけで、ただ、そこで、『それなら、額に入れなければいいじゃないか』ということが嫌だったということです。ですから、今までなかったものが作りたいと言うよりも『なんで今までなかっ...

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「反対側の視点」を持つこと

芸術の創作に関して、何か一つの考えが頭の中にあるとき、その考えに捕らわれて「反対側の視点」が抜けてしまうことがあるわけです。その時、その考えが大事なのであれば、「反対側の視点」なんて要らないのかもしれませんけれど、私は、「反対側の視点」を抜きに考え続けることはできないので、初めから「反対側の視点」を持つように心がけているわけなのです。「反対側の視点」が抜けたまま考えたことが、その時は、とてもいいと...

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全てのものは、何かと何かのあいだにある:二つの間の張力を高めること

この世の中の全てのものは、何かと何かの中間にあるのだと思うわけです。両極の間と言ってもいいし、上と下の間と言ってもいいし、良いと悪いの間と言っても言ってもいいわけですけれど、どんなものでも、一つの性質に徹底することはできなくて、それとは違う性質が混ざっていて、そういう中で、それらの性質の中間のどこかにあると言ってよいのだと思うのです。芸術で言えば、「具象」と「抽象」や「立体」と「平面」また「純粋性...

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全てのものは、何かと何かのあいだにある:圧力を高める

前の記事の続きです。前の記事で、「張力を高める」と書いたのですけれど、これは、どちらかと言うと「圧力を高める」の方がシックリと来るかなと思ったので追記いたします。つまり、二つの極に向かって広がっていくと言うよりは、むしろ、二つの中間の一点で、力を込めて圧縮するというような感じです。「凝縮する」と言った方がいいかもしれません。ただ、これはうまくいった場合ということでしょうね。いずれにしても、両方向に...

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「画面をコントロールすること」と「偶発性に任せること」

絵を描くときに、技術によって画面をコントロールしようとするタイプの描き方と、ある程度(または全面的に)偶発的に現れてくる効果を大事にしていこうというタイプの描き方があると思うわけです。私の場合は、画面を常に把握していたいという気持ちはあるのですが、それは、感性の部分だけで技術によってコントロールすることには、それほど興味が行きません。(まったく興味が無いということでもないですけれど)また、制作の過...

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「直面すること」で感動します

前の記事の続きになります。私の場合、技術的な絵よりも偶発的な効果が現れた絵の方に『感動してしまう』ということを、前の記事で書いたわけですね。その「感動」が、どこからどういう理由でやってくるのかはよくわかりませんけれど、一つ言えることは、『自分の実力で達成した』という感じが希薄なので、自分の作品でも、どこか100%自分のものでないような、つまり、客観的な視点で、見ることができるということかなと。だか...

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「直面すること」と「予定調和ということ」

これも、さらに前の記事の続きです。私は「直面すること」に感動している自分に、いまさらながらに気が付いたわけですが、その「直面すること」とは、いったい何なのかと考えるわけです。それは、おそらく「予期せぬ出会い」のような、先入観や、予備知識や固定観念のような「お膳立て」に成るものがない状態で、頭の中に、ダイレクトな感じで〝パンッ"と入って来たものとの出会いなのかなと。技術を駆使した絵と言うのは、どうし...

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「具象」と「抽象」の融合

「抽象」という概念はかなり昔からあったのでしょうが、その概念が芸術上の理念として確立されて、明確な方向性を与えられるようになったのは、20世紀に入ってからなのでしょう。以来、それは、常に「具象」と対立または対比するものとして、考えられてきたと言えると思うのです。でも、その対立や対比には意味がなくなってきていて、この二つを圧縮して融合させることが求められて来ているように思うわけなのです。これまでにも、...

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「ブレ」

何かに焦点を絞っているつもりでも、いつの間にか、そこのところが「ブレ」てしまうということが非常に多いわけです。例えば、絵を描いている時に、『ついこの前まで、チャント見えてたんだけどなぁ・・・』と言う感じですね。そんな時は、『ブレないでハッキリ見え続けていたら、もっと楽に描けるんだけどなぁ』と思ったりもするわけです。でも、そこで何とか持ちこたえようとするわけです。『いや、これは違うぞ!この前まで見え...

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「ボヤケタモノ」を鮮明に描く

「抽象絵画」は「具象表現」から抜け出すこと、つまり、「形を崩すこと」や「形を使わないこと」に終始してきたんじゃないかと思うわけです。でも、この考え方で絵を描こうとしていくと、どうしても方向性が見えなくなってきて、最終的には行き場を失ってしまうんじゃないかと思ったわけなのです。『ここに居て、いくら頑張ってもダメなんじゃないか?』と感じてしまったわけですね。でも、「抽象表現」は捨ててはいけないものだと...

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いま「額」な理由と、いま「和」ではない理由

いま、私は「絵」とともに「額」を制作しようとしているわけなんですね。と言っても、まだ納得のいくものは出来ていません。しかも、木工作業に慣れていないこともあって、時間がかかってしまい、去年は、「絵」を描く時間が極端に少なくなったので、「絵」のほうでは、習作が三点、本作と言えるものは二点しか描けませんでした。さらに言うと、そんなに時間をかけたにもかかわらず、「額」のほうは、試作品が二点と、途中まで作り...

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「技術」に頼らず「技術」を使う

これは「芸術」に限ったことでもないんだと思いますけど、どんな分野でも、「技術」と言うのは、とても「堅実」な感じがするわけです。だから、どうしても、そこに頼りたくなるのです。でも、それが「芸術」にとっては、どうも良くないんだと思うわけです。たしかに、「技術」は努力すると、その分、確実に身に付いてきますし、人からも理解されやすいですから、使いたいものなわけですね。でも、使っているうちにいつの間にか、そ...

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「複雑明快」

「単純明快」と言う言葉がありますけど、「複雑難解」と言う言葉はないですね。「単純明快」があるなら、「複雑難解」もあるだろうと。それから、「単純難解」も「複雑明快」もあってもいいんじゃないのかなと。そんな風に考えてみたわけです。「単純」なものが、皆「明快」とは限らないですし、「複雑」なものでも、中には「解りやすい」ものもあるわけで、そう考えれば、「複雑明快」なものもあってもおかしくはないだろうという...

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「写実的な抽象」

「具象」と「写実」と言う二つの言葉を、ほとんど同じような感覚で使ってしまうことがあるわけですが、実は、この二つには、けっこう違う意味があると思うのです。「具象」と言うのは、「物質の持っている力」を借りることだと思っています。たとえば、「形」や「色」などを「物の形」や「物の色」から借りるということですね。これは、基本的に、本来の目的は別にあって、その為に「借りる」ということなんだと思っているわけです...

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「動く層」

油絵具の特徴は、なんといっても、絵具を重ねていったときに出て来る複雑な色合いだと思っているわけです。それで、その過程で、いろいろな「色の効果」が現れて来る瞬間が、タマラナク好きなので、油絵具から離れられないと言うわけです。そんな中で、絵具を溶く油(画用液)に工夫をしたり、絵具を乗せる厚みを変えたりと言う工程が、発生してくるわけですね。そういう工程のことを細かく言うのは、無意識でやっていることも多い...

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「描くという姿勢」と「描かないという姿勢」

「抽象絵画」を描こうとすると、「描かない」と言う姿勢が必要になると思うわけです。でも、私は「描くという姿勢」も捨てないほうがいいんじゃないかと思っているので、この二つのバランスを意識するようにしています。「描くこと」に執着すると、どうしても上手く描こうとしますから、往々にして、ツマラナイものしか出来てきませんね。これは、現実のモノと言う「拠り所」を持たない「抽象表現」に置いては、より一層はっきりと...

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「習作」を描くこと

このところ、「習作」を描くことが『とても役に立つなぁ』と思っているわけです。以前は、『習作なんて何のために描くのか?』と思っていました。有名な画家の作品の中に「習作」とされているものが混じっていることがありますけど、「本作」とそれほど出来栄えの変わらないようなものもあったりして、どこで「習作」と「本作」を分けているのかわからないことも多く、また、そもそも何のために「習作」にそこまで力を入れて描くの...

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「現代美術」が「額」を拒否するに至った理由

「現在形の絵画」に置いては、「額」は拒否されていると言っても過言ではないように思うわけです。でも、そもそも、なんで「額」は拒否されてしまったんでしょうか?まず、私自身のことで言うと、「額」が「権威の象徴」のように感じられたということがあるんですね。「額」と言うのは、けっこう高価なものですし、歴史的に見ても、ヨーロッパの王宮などを絢爛豪華に飾ることで、発展してきたものですから、「絵」をゴージャスな調...

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