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「ブログ」の中の「ブログ性」



この「ブログ」を始めてから、そこそこの日数がたったので、私にも『自分にとってブログとは何なのか?』という位置づけが、少しづつ出来てきたような気がするわけなのです。


もともと、私は「ブログ」を読むという習慣が無かったのですけれど、「ブログ」を始めてみて、実際には、いろんな「ブログ」があるものだなと思いました。

そんな中で、自分にとっての「ブログ」の位置づけは、『やっぱり、日記に近いものなのかも知れない』と思うように成ってきているのです。


もともと、この「ブログ」は「宣言文」と言う形で始めましたから、日記形式の「ブログ」とは全く性質が違うものなのかと思っていたわけですけれど、しばらくやってみて、『そうでもないのかな?『』と思うように成ってきたと言うことです。


「日記」と「ブログ」の”共通点”は、いろいろあると思うわけですけれど、 まず、日々更新されていくということがあるでしょう。
それから、「日記」も「ブログ」も、「個人の独白」に近い要素を持っていることも”共通点”だと思うのです。
(見知らぬ人への「問わず語り」と言ってもいいと思います)

そして、この「個人の独白」と言う性質こそが、「ブログ」の「ブログ」たる所以、即ち「ブログ性」に当たるものではないのかなと。
そんな風に思っているわけなのです。


そう考えると、この「ブログ」なども、それに当てはまっているように思えて、必ずしも、「ブログ」として筋違いなことをしているわけでもないような気がしてくるので、少しは気が楽に成るというわけです。
(自分に都合がいいから言っているという訳ではないですけどね)


それはともかくとして、「日記」と「ブログ」の”相違点”はとなると、なんと言っても、他人に見せることを前提としていることでしょう。

確かに、「ブログ」は、その点で「日記」とは違うわけですが、まったく見ず知らずの相手に対して発せられる言葉というのは、一種の「独白」でしょうし、もし、知り合いが見ることがあるとしても、個人の「ブログ」の持っている本質的な性格は、「宛名も差出人名もない書簡集」といったものなのだと思うのです。

つまり、「書く側」も「読む側」も”不特定の誰か”ということですから、実際の「知り合い」が読む場合でも、その「知り合い」は、あくまで「不特定の誰かの中の一人」にすぎないわけで、「知り合いに向けて」と言う「宛名」に当たるものはないわけです。
(「差出人」に当たるものだけが、漠然とした形であるという所でしょうか)


これは、有名人の「ブログ」にも言えることだと思うのですが、「読む側」は誰が書いているかを意識して読んでいますけれど、「書く側」は”誰が読むのか?”と言う意識が薄いわけです。

そこで、通常の人間関係にあるような、「大前提としての利害」が”最小限”に成るわけで(「結果としての利害」はあったりもするわけですが)、そういう意味では、やはり「個人の独白」に近いものと考えることは出来るのでしょう。


だから、明らかに営利目的の「ブログ」は別として(それは「ブログ」の本質から外れているような気がしています)、あくまで「個人のブログ」に関しては(有名人の「ブログ」でさえもある程度は)、この「個人の独白」と言うのが「ブログ性」に当たるものなのかなと思うわけです。


そこで、これを自分の中では「ブログ性」と呼ぶことにしようかなと。
そして、そんな位置づけで、もう少しやっていこうかなと。


そんな風に思っております。



「ブログ」の中の「ブログ性」(続き)



前の記事の続きです。


「個人の独白」的な性質こそ、「ブログ」の中の「ブログ性」と言うべきものなのではないかという話でした。


そこで「個人の独白」についてですが、一般的な言葉と「独白」の違いは、”偽る必要があまりない”ということでしょう。
「独白」は、他人との間の利害関係を前提にしていないわけですから、”偽る必要はない筈”なわけです。

そうは言っても、「ブログ」の場合、「現実の知り合い」が見ることもあるでしょうし、利害関係も少しはあったりする場合もあるのでしょうから、”偽る必要”が全くないとも言いきれないわけですが、普段、利害関係に縛られて、常に”偽る必要”に迫られている現代人にとっては、「偽る必要がかなり少ない環境」と言えるでしょう。


それに、「日記」などでも言えることだと思うのですが、人間は、自分に対してすら”偽る”こともあるわけで、そこから完全には逃れられないとも思うので、それが少ないというだけでも価値のあることだと思うのです。


ここで、公開の場で語られた言葉を、「独白」とするのは間違っているという考え方もあるでしょう。

でも、「独白」と言うのは、ふと思ったことを口に出す「独り言」とも、表に出されずに自分の中だけで思考される「想念」とも違って、具体的な相手は想定されていなくても、「何か」に対して”語られる言葉”ではあるのだと思っています。

少なくとも、「自分の中のもう一人の自分」に対する言葉であることは間違いないように思います。
そして、その「自分の中のもう一人の自分」を「見知らぬ誰か」に置き換えることは出来ると思うわけです。


そこで、「個人の独白」であることが、「ブログ」の中の「ブログ性」であると同時に、個人が利害関係から解放されて、”偽りのない言葉”を世間に対して公表できるということが、「書く側」にとっても、「読む側」にとっても、また、「社会」にとっても、「ブログ」の持っている最も有用な「機能」なのではないのかなと。

今のところ、そんな風に思ってやって行こうと思っています。




「宛名も差出人名もない書簡集」



「ブログ」っていうのは「宛名のない手紙」みたいなものだと思うのです。
さらに、有名人の「ブログ」でない場合は、「宛名も差出人名もない書簡集」ということに成るわけです。


つまり、『誰が書いているのかわからない』そして『誰が受け取るのかわからない』
そういう「誰か」から「誰か」へと、日々手紙が投函されていって、その手紙が集められて溜まっていく、そういう、ウェブ上に保管された「書簡集」が「ブログ」なんだと思うわけです。


なかには、非公開で「ブログ」を運営している場合もあるんでしょうが、それは「ブログ」と言う形をとってはいても、メール交換やメモ帳代わりに近いもので、「ブログらしいブログ」とは言えないと思うわけです。

つまり、完全にプライベートなものは「ブログ」らしくはないということなんでしょうね。
(もちろん、そういうのが悪いという話では、ぜんぜんないですよ)


しかし、また、その反対に、「プライベート性」が、まったく見えない「ブログ」と言うのも、「ブログ」らしい「ブログ」とは言えなくなるのではないかと思うのです。
(こちらも、悪いということではなくですね)


例えば、有名人の「ブログ」や、お店や会社の「ブログ」なんかにしても、書いている人の「個人的な性質」が現れていると、読んだ人が『ブログらしいなぁ』と感じられるように成るのだと思うわけです。

その逆に、公式見解みたいなものが書いてあるだけの「ブログ」は、「ブログらしさ」と言うことに限って言えば、「ブログ」らしくないのかなと。


要するに、「ブログらしさ」っていうのは、「プライベート」な性質がありながら、その「プライベート」が”開かれている”ということなんだと思うわけです。

そしてさらに、その「プライベート性」の「曖昧さ」と「偶然性」も「ブログ」の特徴だと思うのです。


例えば、ある「ブログ」を、一人も読まないかもしれないし、何万人もの人が読むのかも知れないわけです。

つまり、手紙で言えば、受取人が一人も居ない場合もあるし、何万人もいる居る場合もあるということです。
ただし「書簡集」ですから、最初は受取人が居なくても、それが後から読まれるということもあるわけです。

誰も受け取っていない段階では、それは「プライベート」な日記や備忘録のようなものですが、受け取る人が居て、初めてそれはメッセージになるわけです。

つまり、≪曖昧かつ偶然的に開かれている個人(プライベート)≫、これが「ブログ」なんじゃないかと思うわけです。


『だから、なんなんだ!』と言われてしまえば、それまでなんですけどね。


要するに、そういう≪社会の中に投げ込まれた「個人の独白」≫みたいなものを、「ブログ」の中の「ブログ性」と呼んでいこうと、私は思っているわけなんですよね。


何かの役に立つ「ブログ」や、有名な人の「ブログ」なんかは、とても人気があると思うんですけど、それとは別に、こういう「ブログ性(ブログらしさ)」っていうのがあってもんじゃないかと思うわけですね。


どうしても、「役に立つブログ」や「有名人のブログ」が一番注目されるわけですけれど、もう少し、「役に立たないブログ」の価値も考えられていいような気がするんですね。


いえ、自分のブログが役に立たないから言ってるわけじゃないんですよ。
ただ、ちょっと「実用性」や「娯楽性」に重心が傾きすぎてしまっているような気がするわけですよね。

それだと結局は、テレビやマスコミの延長だったり、実用書やノウハウ本の延長だったりして、「ブログ」というものが、独立した文化にはなれないような気がするんですよね。


そもそも、「ブログ」という媒体がここまで発展してきたのは、そういう既成のメディアにはない「個人性」や「無名性」「素人性」みたいなものが見直される必要があったからなんだと思うんですよね。

それなのに、いろんな意味で「プロっぽいブログ」ばっかりになってしまったら、テレビを見たり、実用書を読んだりしていたのに逆戻りなわけでしょ?


『お前のような奴に、そんな偉そうなことは言われたくないわ!』って言われそうですけどね。


取り敢えず、そんなことで「宛名も差出人名もない書簡集」というのを、このブログの「カテゴリ」として加えてみたというわけなのです。




「仕事」にはならない「専門性」



「ブログ」というものから、かなり遠い位置にいた人間が、「ブログ」を始めて一年程たったわけですけど、こんな私でも「ブログ」について、よく考えるようになったわけです。


そんな中で、「ブログ」と言う媒体に期待したいことは、「専門性」なわけです。
と言ってもいわゆる「プロっぽさ」ではなく、『なんでこんなことに、こんなに詳しくなっちゃったんですか?あなた!』みたいな、絶対「仕事」にはならないような「専門性」ですね。

そういうものこそ「ブログ」の真骨頂なんじゃないかと思うわけです。


「仕事」に成るような「専門性」なら、他に沢山あるでしょうし、「商売」に成りますから、見ようとしなくても向こうから配信してくるわけで、『もうたくさん』なわけです。


何も、すごく面白くなくてもいいんじゃないかと思うんですよね。

『なんじゃこりゃ?』とか『なんなの、この人?』っていうのでもいいんだと思うわけですね。

そういうのが増えて行ったら、その「ブログ」自体は他人にとって面白いものでなくても、「ブログ」と言う媒体全体として面白い感じがしてくるんじゃないかと思うわけです。


そういうところが、「ブログ」が生き残る道なんじゃないのかなと。


そんな風に思っているわけです。





ウェブ上に「常識」は形成されるのか?:ネット社会の「疑心暗鬼」



ネット社会と言うのは、とても「疑心暗鬼」を生みやすい仕組みになってしまっていると思うのです。


このブログを始めてから気が付いたんですけど、ウェブ上のコミュニケーションには、「常識」と言えるものが、まだ出来ていないように思うわけです。

まぁ、現実社会の「常識」ですら曖昧に成りつつあるようですから、当然と言えば当然かもしれないですけどね。


私は、このブログを始めるまで、「ウェブ上の常識」に当たるものが、もうすでに出来上がっていて、それに沿ってコミュニケーションが行われているものと思っていたんですが、しばらくやってみて、なんとなくその辺のところが曖昧な印象があるわけです。


だからと言うわけでもないんですが、私なんかは「内気な性格」なもんで、どうコミュニケーションをとっていいか全くわからずに、ひたすら記事を書くだけなわけです。

こういう人は、他にもいるんじゃないかと思うんですけど、こういうコミュニケーション不全が、ネット社会の「疑心暗鬼」を生み出しているんじゃないかと思うわけです。


はじめのうちは、自分が「ブログ」というものに慣れていないから、その辺のところが、見えていないんだろうと思っていたんですけど、最近になって、これは自分だけでもないんじゃないか?と思うように成ってきたわけです。


実際、「ブログ」に限らず、ウェブ上のコミュニケーションには、『これは言ってもいい』とか『これは言うと失礼』とかいうような、いわゆる「常識」に当たるものが形成されていないんじゃないかと思うのです。


例えば、現実に顔を見て相手と話をする時には、『どちらのご出身なんですか?』とか、『何のお仕事をされているんですか?』なんていう、個人情報に当たる質問でも、相手の様子によっては、何の抵抗もなくできてしまうわけです。

実際、初対面の相手ですら、そのぐらいは普通にやっていることがあると思います。


でも、これがウェブ上のコミュニケーションでとなると、そんなたわいもないことですら、なかなか聞けませんねぇ。
と言うか、まずそんなこと聞かないでしょうね。

要するに、相手にとって、「何が”嫌”」で「何が”歓迎”」なのかが、皆目見当がつかないんですね。
それで、どうしても「当たり障りのないこと」しか言わなくなるんでしょうね。
(それでいて、「いきなり喧嘩ごしな人」はけっこう居たりしますが)

もちろん、ウェブ上でも、もっと上手にコミュニケーションをとれている人もいらっしゃるんでしょうが、大多数の人たちが、「当たり障りのないこと」しか話さなくなっているんじゃないかと思います。

と言うよりは、そういう「ちょっと極端な当たり障りのないこと」を、いかに上手くやるかが「ネット社会のコミュニケーション上手に成るコツ」と言うような気もします。

だから、ネット社会の中のコミュニケーションから深い人間関係に発展するケースと言うのが、意外と少ないんじゃないかと思ってしまうわけですね。


そして、その「当たり障りのない状態」が、時間が経っても変わらないのが、ウェブ上のコミュニケーションの特徴のような気もします。


しつこいようですが、私なんかは「内気な性格」なもんですから、誰かに「ウェブ上のコミュニケーション」における「常識」を提示してもらいたいなと思うわけです。


なんとなく、「現実社会の常識」が、そのままでも使える”ハズ”と言う漠然とした根拠で、そこのところが、お座なりにされてきたんじゃないかと思うんですね。

確かに、人間同士のコミュニケーションであることは同じなわけですから、同じ原理が使えるのが理想ではあるのでしょうが、実際には、ネット社会やウェブ上の人間関係と言うのは、それ以前までのコミュニケーションの形態とは、感覚的な差がありすぎると思うんですね。

「現実社会の常識」を、そのまま当てはめて使うことに無理があることは、もう、はっきりしているんじゃないかと思いますので、それとは違う「ウェブ上の常識」を設定して欲しいなと思ってしまうわけです。


そうすれば、もう少しネット社会の「疑心暗鬼」が解消されて、もう少し、”内容のある”コミュニケーションをとれるように成って行くんじゃないのかなと。
ただ単に、”普通”のコミュニケーションということなんですけどね。

また、そういうコミュニケーションを望まない人にとっても、『私は望んでませんよ』ということを伝えるための「標準」や「指標」があった方がいいんじゃないのかなと。


なんとなく、ネット社会の中の「コミュニケーション」というのは、両極端に偏ってしまっているように見えるんですね。


例えば、自分のブログに「随分と乱暴なコメント」を入れられていても、”生真面目”にコメントを返している人が居るかと思うと、いきなり『~な人は見ないでください。迷惑です!!』なんて書いてあるのをよく見たりもします。

「中くらい」がないんですね。


それに、ブログへのコメントでは、あくまで管理人さんを立てたコメントをするのが「常識」のように成っていまけど、やや度を越しているように感じることもありますよね。

そうかと思うと、掲示板サイトなんかでは、かなり”デタラメ”なことでも、『ここは、そういう所でしょ』で済まされてしまっていますよね。
それに、ブログでも、どう考えても実生活では言えないようなことを平気で言ってしまう人も居るみたいだし、と言うか、どちらかと言うと、実生活においては、やや控えめな人の方が、ネット上では大胆になっているのかもしれませんね。


「常識」っていうのは本来「中間的なもの」なんじゃないかと思うんですね。

極端なもの(掲示板サイトでの意味不明の書き込みのようなものですね)を「そこでの常識」としてしまったら、「常識」が「常識」である意味がないと思うんですね。


だから、然るべき立場の人が、そういう「ウェブ上の常識」を「バシッ!」と打ち出してくれないかなぁと。

例えば、電話と言う「コミュニケーション手段」が導入されたときに、誰かが「『もしもし?と言って電話に出ましょう』という「常識」を提示してくれたようにですね。

そんな風に思ってしまいます。


『ところで、然るべき立場の人って誰なの?』
こういうところが、設定されていない状態で、先へ先へと言ってしまうところが、ネット社会の一番弱い所なんじゃないのかなと。


そんな風にも思っています。




「ブログの起承転結」



「ブログ」という文化(?)が生まれてから、どれぐらい経つんでしょうね。


私は、パソコンをいじり始めたのも、普通の人よりだいぶ遅い方だったし、いじれるようになってからも、この「ブログ」を始めるまでは、ほとんど「ブログ」を読んでいなかったので、その辺のところはよくわからないんですけど、世に出て来てから二十年前後、一般に普及してから十年前後と言うところなんでしょうか?

ということは、やっぱり、まだ歴史が浅いといえるんじゃないでしょうか?

だから、仕方がないことなのかもしれませんが、「モデル」がないんですね。
つまり、「ブログ」とはこんな風なモンだよ、という「モデル」ですね。


いや、「ブログ」の「形式」とか、「デザイン」とか「記事内容」とか、そういった話じゃないんですよ。
どちらかと言うと、「ブログの生涯」に当たることですね。

つまり、「ブログ」っていうのは、だいたい、こんな風に始まって、こんな風に展開していって、こんな風な終わり方をするモンなんだというような、「ブログの起承転結」に当たるモノが、まだ示されていないような気がするわけです。


他の方の「ブログ」を読むように成って、なんとなくわかりましたけど、「ブログ」を書いている人たちって、けっこうチャント書いてる人が多いような気がしますね。

人気がある「ブログ」でも、人気がない「ブログ」でも、今のところ、私はその辺にあまり差は感じませんね。


もちろん、書き始めてすぐにやめちゃう人なんかも多いんでしょうが、それはそれで、チャントやろうとした結果なんじゃないかなっていうような気がしてしまいますね。

とにかく、読んでいて、『この「ブログ」は嫌だな』っていう「ブログ」に当たったことは一度も無いと思います。
(当たってないだけなのかも知れませんけどね)
短い期間で、更新しなくなってしまった「ブログ」なんかでも好印象のモノはけっこうありますね。

その割に自分の「ブログ」が人から『嫌だな』って思われていることが、それなりにあるみたいなので、いつも悲しい気持ちでいますけどね。


それはともかくですね、皆さん「ブログ」に何かしらの可能性を感じて、始めるんじゃないかと思うわけです。


私の場合は、自分の「芸術に対する姿勢」を示して置きたかったんだと思っています。
だから、その「姿勢」は「芸術」をやって行く限り、変化しながらも生涯持ち続けていくことに成るでしょうが、それと、この「ブログ」を一生書き続けるというのはだいぶ違う話だとも思うわけですね。


いずれにしても、みなさん、それぞれに目的があって「ブログ」を始めるんだと思います。

それなのに、先行きがどうも不透明と言うか、これから自分の「ブログ」はどうなって行くのか?とか、あるいは、「ブログ」って、何時どんなふうにやめればいいんだろう?っていうような、展開や終末がよくわからないんじゃないかと思うわけです。


つまり、「起承転結」が見えないんですね。

そういうことで、やめてしまったりする人なんかも、結構多いんじゃないかと思うんですね。
『えー!?これ、死ぬまで書き続けなきゃいけないの?じゃあ、もういいわ!』みたいな感じですかね。

実際、結末みたいなものをハッキリと示した終わり方をしている「ブログ」は、今のところ見た記憶がないですね。
ナントナク終わってしまったんだろうな、と言うような感じで終わっていることが多いような気がします。

もしかしたら、また書くつもりなのかも知れませんけど、その時見た人にとっては「終わってるんだな」ということに成るでしょうし、その後、、書き始めたとしても、またその終わり方に成るんだととすれば、いつ「結末」がついているのかは、けっきょく、いつまでたってもわからないまま、ということになるわけです。


それに、今は、短い期間でやめてしまった「ブログ」は、なんとなく、価値が低いみたいな見方がされているような気がするんですけど、要するに、『根気がない!』とか『たいしてやる気なかったんでは?』みたいな感じですか?

でも、少ない記事でも内容のある「ブログ」だってあるでしょうし、長くやっているからと言って、それがすべてでもないんじゃないでしょうか?


確かに、日々更新され続けていくことは「ブログ」の特徴の一つだとは思いますが、『それだけでもないよな』とも思うわけですよね。
それに、『一生続けるっていうのも、どうなんでしょうね?』っていう感じもありますよね。


要するに、必ずしも「長く続けた」=「エライ」でもないでしょうし、「短い期間で終わった」=「ダメ」でもないと思うんですけど、どんなもんなんでしょうね?


そういう意味でも、「ブログの起承転結」についての「モデル」があると、私のような「閑古鳥ブログ」をやっている人間にとっては、ちょっとした救いに成るような気がします。


つまり、長く続けるにしても、そのうちいつかやめる時が来るにしても、そのパターンが「例」として示されていると、やや気が楽なわけですね。


だからと言って、それに乗っかって続けようとか、やめようとかって言うことでもないんですけどね。
まぁ、こういうパターンが普通っていうのがあると、少し安心なんですね。


例えばの話、書くことが無く成った時に、「ブツッ」って止めるっていうのはどうも気が進まないし、逆に、いつまでたっても書こうと思えば書けるから、なんとなく続けていくっていうのもどうかと思うわけですね。
(この「ブログ」には後者の傾向が出てきています)


今は、そのどちらかのパターンが多いような気がしますね。


私としては、ある程度の記事を書いたら、その「ブログ」に区切りをつけて、また、しばらくして書きたいことが出来たら、違う「ブログ」を立てるというのなんかもいいなと思うわけですね。

そういうやり方をしている人もいるんでしょうけど、私の場合、そうまでするほど、ネット関連にアクティブな方でもないんで、せいぜい、作品を展示する場所と、記事を書く場所を分けるぐらいでしょうか?


でも、今のところ、自分のスタイルを確立するのに手いっぱいで、作品の展示まで気が回らないし、『まぁ、このマンマなんとなく続けていれば、取り敢えずいいか?』と成ってしまうわけです。
(その前にデジカメとかも持ってないし、使い方もわかんないんですけどね)


その辺の「起承転結」をつける「型」があると、続けるにしても、どこかでやめるにしても、また、その「型」通りにやるにしても、「型」を破るにしても、何かしらのよりどころに成るんじゃないかと思うわけですね。


個人の「ブログ」って、書いている人の「人生」に密着しているので、「起承転結」がつけにくいんじゃないかと思うんですね。
極端に言うと、、『死なないとやめられない』みたいな、それで、やや「ダラダラ」な感じに成りがちなんじゃないかと思うわけです。


今はまだ、「ブログ」から、何らかの「利益」を得ている人の「ブログ」についての「型」しか示されていないと思うんですよね。

つまり、「利益」が無く成ったら「オシマイ」っていう「型」ですね。
「利益」が出ていれば「延々と続ける」って言う「型」でもあります。


でも、私は、「利益」と関係ない所で運営されている「ブログ」こそが、「ブログらしいブログ」なんじゃないかと思っていますから、それは、つまり「個人のブログ」って言うことに成るでしょうし、どちらかと言えば「カリスマ・ブログじゃないブログ」って言うことに成るでしょうから、

そちらの「型」=「モデル」も示されていてほしいなと思うわけです。


そんなわけで、できれば、FC2などのような「ブログ」を運営している会社の側で、そういう区切りをつけてくれるようなシステムがあるといいんじゃないの?と、都合のよいことを思ったりもするわけです。


つまり、一定の期間が過ぎたら新しい「ブログ」に乗り換えるように誘導するような仕組みとか、或は、一定の期間が過ぎた「ブログ」をそのまま続ける場合は、有料に成るとかですね。

新しい「ブログ」にすることでまた無料期間が延長されるという感じですね。


そんなことで、「ブログ」の世界が新鮮さを保てるということもあるんじゃないかと思うわけです。

それに、その「区切り」でやめた人なんかも、「どこか後ろめたい感じ」みたいなものを持たないでやめることが出来るんじゃないかと思います。


そして、その「区切り」まで、ある程度のペースで更新を続けた「ブログ」が、つまり、「無事終末を迎えたブログ」がですね、もう少し「残されていく」ようなシステムがあるといいんじゃないかとも思いますね。

今は、子供のおもちゃ箱のように、どんどん放り込まれていくだけなので、『残っていても、残らない』みたいになってるような気がします。
と、さらに都合のよいことを思ったりもするわけですね。


そういうことで、「ブログ」と言うメディアが実体として、確かなものになって行くんじゃないかと思うわけですね。


今は、「ブログ」から利益を得ている人以外では、「ブログ」っていうものが無く成って、すごく困る人も、すごく寂しいと思う人も少ないような気がしますね。
(なくなれば寂しいんでしょうが、すぐ慣れてしまう人の方が多いような気がしますね)

つまり、実体感が、やや希薄なんですね。


こんなこと言ったら怒られるのかもしれませんけど、一部の人を除いては、『あるから、やってる』みたいな感じですか?
そういう人が結構多いんじゃないかと思いますね。
(私はそういうところがありますね)


「ブログの起承転結」についての「モデル」が示されると、その辺の目的意識が、もう少し見えてくるんじゃないかなと。


そういう風に思いますね。



プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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