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Category芸術の話 1/14

「オリジナリティ」は大事なのでしょうが・・・

芸術において、やはり、「オリジナリティ」は大事だと思うわけですが、「オリジナリティ」が目的なのかと言われれば、『それは違う』と言わざるを得ないのです。それは、結果的に出てきてしまうものなのかなと。「オリジナリティ」がある作品は、ほかのものよりも目立つし、インパクトが強くなるから、受け入れられやすいのは、確かなことでしょう。でも、それは「驚き」であって「感動」ではないわけです。人を感動させるようなも...

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「普通の心理」がわからなくて「芸術」は創れるのでしょうか?

いわゆる「芸術家っぽいイメージ」と言うものがあるように思うわけです。それはどんなものかと言えば、「ブットンダ」・「イッチャテル」・「ヘン」みたいなイカレタ感じと、それとは対極的に、「スルドイ」・「フカイ」・「キュウキョク」みたいに思慮深く、一つのことにじっくりと取り組むような二種類のイメージが完全に分離していて、その中間はまったく無いので、やや無理があるんじゃないかと思うわけです。確かに、「芸術家...

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「個性」と「才能」

よく、「才能がある人」とか「個性的な人」という言い方をするわけですけど、あれはどうも好きになれないのです。つまり、「才能がない人」や「個性的でない人」を想定して言っているように聞こえてくるわけですね。でも、実際には、それらの判断と言うのは、その「個性」や「才能」が、誰かにとって有用かどうかという基準で下されているのだと思うわけです。つまり、「才能」や「個性」が有るとか無いとかと言うことを、言ってい...

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「イミガワカラナイ芸術

わたしも含めて、多くの人が「ゲージツがワカラナイ」と感じる時、大抵は、作品が「抽象化」されているのだと思います。頭の中にあるものを外に出してあらわすのが表現なわけですけど、頭の中でかなりコネてから外に出すのが「抽象」だと思う訳です。そして、その頭の中で行われた作業の分が、見えないということなんですねぇ。だから、コネた分が多ければ多いほど、見た人はわからなくなるわけなのです。「抽象表現」は、ワカル人...

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「お金」と「芸術」の共通点

「芸術」と言うと、「お金」とは正反対のところにあるものという捉え方をされていますけれど、この二つには、共通点があると思うわけです。それは、両方とも賞味期限がないことなのです。食べ物ではないので、賞味期限と言うのはおかしいんですが、要するに、無期限の価値を持っている(与えられている)ということですね。お金(通貨)というのは、それを発行している国が崩壊すれば価値がなくなるし、「芸術作品」も、その作者の...

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「芸術」の競争

現代社会においては、競争と言うと、自由競争とか切磋琢磨といった、前向きなものとして、捉えることが前提になっているように思います。競争から離脱することは、「ドロップアウト」または「後ろ向き」という扱いになるわけですね。でも、実は、競争がそういう前向きな作用を持っていた時期はもう過ぎてしまって、競争が「足のすくい合い」になっているように思うのです。たとえば、「ものづくり」において、物を作る企業や芸術の...

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「芸術者」という考え方

「芸術家」という言葉はあるんですけど、「芸術者」という言葉がないんですねぇ。「技術者」とか「労働者」はあるのに「芸術者」はない。同じように、「書道家」とか「文筆家」とか「武道家」なんかも「〇〇者」がないですよね。どうも、こういうのが「エラソウ」に聞こえるんですね。「芸術家」の人の中でも『私が芸術家です!』と言い切る人って意外と少ないような気がします。人から言われると否定しない人が多いですけどね。(...

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誰かが「芸術」を定義しないと

もういい加減「芸術」を何らかの「定義」で規定しないと、「芸術」はどんどん薄まって霧散してしまうのではないでしょうか?もちろん、キチキチに「定義」しようということではありませんし、そんなことできないでしょうが、それをなんの規定もなくほったらかしにしていることの言い訳にしていていいんでしょうか?それを、今後いつまで続けるんでしょうか? ※これは、人の人生に決定的な影響を与えるようなジャンルとしての「芸...

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表現=自己顕示なのか?

芸術などの手段を使って何かを表現するということは、その表現者の自己顕示性の表れであると言われることがあると思いますけど、それはちょっと違うと思うのです。確かに、なにかを表現するということは、自己を現すことではあると思うのですけれど、それを、即ち自己顕示であるといってしまうのは、何か一言しゃべっただけで、「おしゃべりな目立ちたがり屋」にされてしまうのと同じで、かなり極端だと思うわけです。 ※「自己顕...

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「芸術の20世紀 喪失」は時代に挑戦する実験なのです

このブログのテーマである、「芸術の20世紀 喪失宣言」についての記事になります。この「宣言」は現代という「時代」に挑戦する実験でもあるのです。人間は、これまでの歴史の中で様々な進歩を遂げてきたわけですけれど、実は、それらの進歩や変化というのは、すべて「時代」の流れに沿ったものであったようにも思えるわけなのです。科学が急速に進歩したのは「科学の時代」がやってきたからで、市民革命が起きたのは「民衆の時代...

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「芸術の役割」が終わりかけて・・・・

これは、正直言って言葉にしたくないことなんですけれど、「芸術」というジャンルは、徐々にその「本来の役割」を終わろうとしているのではないのでしょうか?もちろん、今すぐに無くなってしまうとか、完全に消えてしまうとかということではないのでしょうが、緩慢にではあっても、本質的な意味での「芸術の役割」が消えて行こうとしているという考えが・・・・・そんな考えが、私の中にはあるのです。このブログで言っていること...

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「刺激」と「感動」

芸術と言えば「感動」といってもよいのではないかと思います。実際に、芸術の条件を「感動するもの」と言う人は多いのではないでしょうか?ところが、現代美術を見ていると、そこのところがしっくりこないことがあるわけです。とてもインパクトがあって、強く心に残る作品があった場合でも、その衝撃力に「感動」が比例していないとでもいうのでしょうか。それどころか、ときによっては、むしろ反比例するように感じることすらある...

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才能にも「質」と「量」がある

芸術やスポーツなどの話となると、どうしても「才能」ということが出て来るわけです。つまり、どうしても「才能がある人」と「才能がない人」とに分けられてしまう傾向があるわけですね。でも、これを「ある・ない」だけで捉えるのは、少し考え方の方向が間違っているように思うのです。実は、才能にも「質」と「量」があって、その「量」については、そんなに大きな差はないのではないと思うわけです。そして、その「質」について...

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「芸術の真ん中」っていったいどこなのでしょうか?

現在の芸術の世界を見ると、「芸術の真ん中」っていったいどこなのかなと思ってしまうわけなのです。多様化したことで、あらゆる方向性を持つようになったことは理解できるとしても、何処を中心としているのかがはっきりしないと言うのは、受け入れがたいものがあるのです。そんなことは気にせずに、『いいものはいい』でいいのかもしれませんが、私はどうしても、ど真ん中だけが抜けているドーナツのようなものを思い浮かべてしま...

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いま、「芸術」に求められるべきものは「まっすぐな表現」ではないでしょうか?

「芸術」が、「モダン・アート」とか「現代美術」と呼ばれる時代に入ってから、今日に至るまでの、「芸術」の歴史は「ヒネリ」の歴史だったといってもいいほど、「芸術」には、ありとあらゆる「ヒネリ」が加えられてきたと思うわけなのです。「現代美術」においては、常に、「ヒネリ」によって、斬新さが生み出され、オリジナリティを提示し、作品の意味深さも与えられてきたと言っても過言ではないのだと思うのです。もちろん、ヒ...

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「芸術」は「私物」ではないと思っています

「芸術」と言うのは、作者の感情や感覚を現したものですから、まったくもって個人的なものだということができると思うわけです。でも、その反面「芸術」は私的な所有物では有り得ないということも言えるんじゃないかと思うのです。私の個人的な考えですが、「芸術」は作者自身を含めて何者かに所有されるべきものではなく、一定のよりどころを持たない、特定の場所をもたないようなニュートラルな状態に置かれるべきものではないの...

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現在、「個性的であろうとすること」が「唯一の没個性」だと思うのです:教育で浸み込まされた「個性と才能」

現在、「個性と才能」がとても素晴らしいものだということを否定する人はあまりいないでしょうね。確かにそうなのでしょうが、その意味が履き違えられてしまっているようにも思うわけなのです。このブログの中でも何度か書いていることなのですけれど、「個性的」や「才能豊かな」ということが、ある一部の者に与えられた特権のように思われてしまっていると思うのです。そして、それは教育の段階で子供のうちから浸み込まされてし...

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一極集中的な性質を「才能」と呼び続けたことの間違い

このブログで前にも書いていることですが、現在、芸術において「才能」という言葉を使うことには、疑問を感じざるを得ないわけなのです。だいたい、「才能」と言うと、一つのことに突出した能力を持っている人や、幼いうちから、高い能力を示した者というイメージがありますけれど。でも、その「突出した能力」や「高い能力」と言うのが、何を基準にしたものなのかが、全くもってはっきりしない場合が多いわけです。例えばの話、絵...

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芸術が社会現象の発端であると考える理由

私はこのブログの本題である「宣言文」の中で、「芸術」や「哲学」と言うのは、世の中に起きていることに対して、或は、これから世の中に起きることに対して、少なからぬ責任があって、芸術者や哲学者を名乗る者は、その責任を感じて、創作や探究に当たるべきであると言っているわけですけれど、それは、いささか「芸術」や「哲学」を偏重した見方なのではないのか?と思う方もおられるのかもしれません。 ※「芸術者」:「創作者...

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「芸術」は「自己満足」なのか?ということ

芸術表現や創作することについて、『そういうのは、所詮自己満足だろ』と言うことがよくあるわけです。第三者が言うことよりも、作者本人が言っていることの方が多いように思います。そして、私もよく言っていたと思います。でも、本当は、「自己満足」なんかじゃないと思うわけです。本当に「自己満足」だと思っていてやっているわけではなくて、どこかで、自分以外の人にも〝伝えたい"いや、〝伝わってほしい"と思ってやっている...

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