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「長い題」:詩のような題



絵に「長い題」をつけようと思うように成ったのは、このブログをやっていたからだと思います。
今後も、自分の絵に、「詩のような題」をつけていきたいと思っています。

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※この記事を書いた時点で、既に「長い題」(その1~4)までを、
このブログに投稿しています。

以下、2020年7月に追記

※その後、この「詩のような題」に音楽を組み合わせるということを
試みております。
ただし、私の場合は音楽の趣味がかなり偏っていて、1970年代ぐら
いまでの、アメリカのブラック・ミュージックしか知りません。
他の音楽が嫌いということはないんですが、よく知らないないので。
そんなわけですから、その手の音楽が苦手な方はパスしてくださいませ。
もちろん、この「詩のような題」自体が「おまけ」のようなものですから、
もしも、合わないと思った方は流していただいて、まったく差し支えあり
ません。(できれば、絵だけは流さないで欲しいですね。)

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絵があって、それに対応した「題」をつける場合もありますし、「題」が先行していることもあります。
(むしろ、そういうパターンの方が多くなっているくらいです)

ただ、今のところ「題」に合わせた「絵」を描こうとは思っていません。
今後は、そういうパターンも出て来るかも知れませんけどね。

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以下、2020年7月に追記

※その後、「題」に合わせて「絵」を描くというパターンも実際に出てきました。

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取り敢えず、「絵の意味」が見た人に少しでも伝わるようにしたいわけでわけすが、なかなか、そう簡単には伝わりませんから、せめて、『伝えたいんですよ!』ということだけでも伝わればと思って、これをやっております。


『詩のような』と言っても「詩」ではありません。
あくまで「絵の題」です。

ただ、そこに「意味」を創り出したかったわけです。


要するに、私の中にある「絵の世界」を言葉に置き換えたモノと考えていただければいいんじゃないかと思います。


はじめのうちは、単に「長い題」と言っていたんですが、だんだん「意味性」が強くなってきた感じがするので、「詩のような題」=「詩題」と呼ぶことにいたしました。


今後も、このカテゴリに、出来た「題」を投稿していくつもりです。

「題」に対応する「作品」がないものも含まれると思いますし、そのまま「題」だけが残ってしまうというケースも、けっこう出てくると思っています。
必ずしも、「絵」と「題」に1:1の対応関係があるとは限らないと考えているので、「絵」に対する「題」は入れ替え可能だと思っております。


そんなわけで、「詩のような題」=「ポエティック・タイトル」です。





「長い題」=詩のような題(その1)



先日このブログの記事で、「無題と言う題」はなるべくなら使いたくないので、「秘題」という考え方をしていきたいというようなことを書いたので、それとは、やや反対方向の話に成ってしまうんですが、ここでは「長い題」について考えてみました。

 ※「秘題」と言うのは、「テーマ」=「タイトル」=「題」がないわけではなく、でも、それを
  言葉にするのは難しいので、『題はあるけど隠されている』というような意味です。
  そちらも「姿勢」としては持ち続けていきたいと思っています。

「長い題」と言っても、ただ単に”「題」が長い”というのではなく、どちらかと言うと、「文章」としてある程度の独立した内容を持った「題」と言うことです。

イメージとしては「詩」に近いと思います。


必ずしも「絵」の内容と一致しているということではなく、それでいて「絵」とも、つながりを感じるような、そういう「文章」を「題」として考えているわけですね。

私の場合は、このことに限らず、いろいろな方向からの「芸術の多重化」と言うのを考えているので、このようなことを、ついつい考えてしまうというわけなのです。
と言っても、「絵」がなかったら、なにを言っているのかわからないでしょうね。 
まぁ、そこのところは、ご勘弁ください。



もともと、この「長い題」の発想は「額」からきています。

私は、「芸術」は「多重化」していく方向に向かうしかないと思っているので、いろいろな意味での「多重化」を考えていて、その一つが「額と絵の間の多重化」なんですが、「多重化」の中で、比較的難易度が高いのが「美術」と「言葉」との間の「多重化」だと思うわけです。

でも、もともとあった「額と絵の間の多重化」という考えの中で、「額」を使えば、「絵と言葉の間の多重化」も可能なんじゃないかと思っていたわけです。

「美術」は「視覚的な芸術」ですから、視覚的な表現を含まない「言葉」とはギャップが大きすぎて、「多重化」することが「わざとらしさ」になってしまうような気がするわけですね。
(これは「音楽」などの「音響表現」にも言えることかもしれません。そちらはまだ考えてませんけど)

たとえば「絵」の中に文字が書き込まれていることがありますけど、その「言葉」に意味があればあるほど、どうしても、『純粋な絵と言えるのか?』というような「違和感」が出てきてしまうと思います。

そこで、『額になら文字を入れてもいいんじゃないか?』と思ったわけです。

当初は、「額」に着色する予定でしたから、その塗装に紛れたような形で、『読もうとすれば読めるけど、敢えて読もうとしなければ「額の塗装」に見える』と言うような、そんな感じで「文章」を入れてみようかなと思っていたわけです。
(これも一種の「秘題」ですね)

ところが、実際に「額」を作ってみたら、そんな余裕は木っ端みじんに吹き飛んでしまって、とても塗装まで辿り付けずに現在に至る、というところです。

しかも、その過程で、「額」自体の構想がどんどん「多重化」していって、「文章」の入り込む余地はもう無く成ってしまいました。

それで、しばらくの間「言葉との多重化」については、ホッタラカシにしていたんですね。
でも、ある時、描いていてどうしても気に入らない絵があって、その絵は、ボツにしようと思っていたんですが、なぜか、その絵の「題」だけが唐突に浮かんで来たということがあって、その「題」が「長い題」だったというわけです。

その「長い題」は「手紙」のようなもので、十数行ほどの文でできていました。
その「手紙みたいな題」っていうのが、気に入ったので、『こういう題も悪くないんじゃないの?』と思うようになったというわけです。

でも、いくら「題」が気に入っても、絵は気に入らないままだったので、他の絵にも「長い題」を考えたんですが、そういう「手紙みたいな題」は、今のところ出来ていません。

まぁ、それでも二十数編ほどの「詩」のような「題」が出来ています。

なんとなく、これらも気に入っています。
何よりも、悩まないのがいいですね。

私の場合「抽象画」に「題」をつけようとすると悩んでしまうんですねぇ。
『抽象は題がつけられちゃダメなんじゃないか?』みたいなところから抜け出せなくなるわけです。
ところが、独立した「詩」だと思うと、意外と悩まずに思いつくんですね。
そして、その思いついたことが割とスンナリと「文」に成るわけです。

こんな事を言うと「詩」を真面目に書いている人には怒られてしまうんでしょうが、「文学」として「詩」をやろうと思っているわけでもないので、そんなにこだわらずに、書きっぱなしでもさほど気に成らないので、気が楽です。
(気が付くとけっこう直したりしてますけどね)

さて、このまま終わるのは、さすがに気が引けるので、最後に「長い題」の例を挙げておきます。
これらの「題」は必ずしも一つの絵に一つの「題」と言うことではなく、
入れ替え可能な場合もあると思っています。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」のようなものだと思ってください。

それから、最後のが最初に思いついた「手紙みたいな題」です。
その絵はいまだに気に入らないので今のところボツですね。
「題」だけ残っちゃいました。

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『ひかりとは』
ひかりとは いったい なになのか


すべての ものを みえさせる

ひかりとは 
ひかりとは いったい なになのか


すべての いろを みえさせて
すべての かたちも みえさせる

ひかりとは 
ひかりとは いったい なになのか


すべての かげを つくりだし 
すべての かげを きえさせる

ひかりとは 
ひかりとは いったい なになのか


ぼくの なかを てらしだし 
きみの なかも てらしだす

あぁ ひかりとは 
そんな ひかりとは いったい なになのか

それがしりたい

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くらくて どんよりして いるけど
これは 『きぼう』を えがいた えなんだ

だから あおときいろの わくが えのなかで おどっているだろ

そのせいで このえが かえって くらく みえるとしても
それは ぼくのせいじゃないし もちろん きみのせいでもない

それは みんなのせいなんだ 


そのみんなって だれなんだろう

このえの なかには きみと ぼくしか いないというのに

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もえるような いろ
もえるような くうき
もえるような せかい

じかんも くうかんも ほかのものも みんな もえつくしてしまう

そんないろ
そんないろに さわったら こおるほど つめたかった


もえるように つめたいいろ

そんないろが
えのなかでは 『ちょうどいい いろ』

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よのなかは うつくしい

しんじられないことだけど
すべてのものは うつくしい

しんじられないことだけど
すべてのひとは うつくしい

しんじられないことだけど  


『それが ほんとうのこと』

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きみは このえに なにをみるのか?
 

このえに なにかが かいてあるわけじゃない

きみがみたものは きっと きみがかいたんだ
きみが すばらしいとおもうとき それは きみがかいたえだ
きみが つまらないとおもうとき それも きみがかいたえだ


いま きみは

このえのなかに 『なにかを みつけださなければならない』

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もしも あなたが しょくぶつだと おもわないで みたとして      
もしも あなたが ひとだと おもわないで みたとして
もしも あなたが くうきやひかりだと おもわないで みたとして

それでも なにかが つたわるでしょうか


それでは
『ひとや しょくぶつや ひかりやくうき』として みたなら どうですか


それでは

もしも あなたが あおとしろの わくを とおして  
このえの なかに はいって みたなら どうでしょうか

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この さびついてしまった ふうけいを みてくれ

うみも そらも じめんも うずをまきながら ながれこんでいるものも
すべてのものが さびついてしまっている

これを ふうけいと いうのだろうか


こんなところには ぜったいに いきたくない


でも えの なかだったら 

『いってみたいと おもう ばしょ』

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『ゴッホへの てがみ』


ヴィンセント 

きみの えが ふつうに なったよ
おかげで ぼくたちは こんなに じゆうに なれたんだ 

ありがとう


ぼくたちも まだ なにかに しばられているけど 
あと ひゃくねんもしたら みんな また すこし じゆうに なれると おもうんだ 

だから ぼくは きみよりも すこし じゆうな きもちで しんで いけそうだよ
 

もういちど いうよ

ありがとう ヴィンセント

そして もうひとりの ゴッホへ 
もっともっと たくさんの ゴッホたちへ


これは きみたちの えだ

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ついしん : ぼくは もう すこし ちがう えを 
        さがしに いこうと おもっている

        ぼくも ひゃくねんごの だれかから 

        こんな てがみを もらいたいから

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きっと、文学的には、オソマツな詩なんでしょうが、自分では気に入っています。
たぶん、足りないくらいで丁度いいんだと思います。

このスタイルの「題」でいこうと思っています。



「長い題」=詩のような題(その2)



絵に「長い題」をつけることについては前にも書いたんですが、いま、けっこう続けてそういう「長い題」を思いついていて、「絵」とはほとんど関係なく、たくさんの「長い題」がたまってしまっているので、取り敢えず、メモの意味もかねてここに記録しておきます。

とは言え、やはり恥ずかしいタイプの「題」もあるので、『まぁ、これなら人に読まれても耐えられるかな?』と言う範囲のものに成ります。
(前回の中では、『ゴッホへの手紙』と言うのがけっこう恥ずかしかった)

前回の「題」は、ほとんどのものが「作品」と一対に成っていたんですが、今回の「題」については、「作品」との対応関係はかなり希薄で、「題」に対応している「絵」が、まだ、ないものもかなりあります。

かと言って、その「題」に合わせて「絵」を描こうということもないので、順次できた「絵」に当てはまるものがあれば採用していこうと思っています。

『 』の中はその絵を呼ぶときの呼び名(「ニックネーム」)のようなものです。

あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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ひめられた

そのものの うちに ひめられた
なかみと いうものが あるのなら

そういう なかみを みてみたい

はなの なかみや ひとの なかみ 
いしの なかみに うみやかぜの なかみ

そんな いろんな なかみを みてみたい


『きっと みんな そうおもって いる』んだと おもいます

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じつを いうと 
これが なにかなんて どうでもいいんです


『そんなことより あなたに』
このえのなかで さわって ほしいいのです

そんなことより あなたに 
このえのなかで いきをしてみて ほしいのです 

そんなことより あなたに 
このえのなかの すべてのものに つつみこまれて ほしいのです

つまりは あなたに このえのなかで いきてみて ほしいということです


そうすれば きっと 

これが なにかなんて もう あんまり きにならないと おもいます

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『じぶんより おおきな ものが あると おもって』

それが えがけたら いいだろうと おもって
それが みれたら うれしいだろうと おもって

なんとか えがこうと しましたが 
じぶんより おおきいので えがけるわけが ありません


つまりは そういうえって いうことです
つまりは なんにも えがけやしないって いうことです
つまりは とほうもない じかんを かけて
つまりは ぜんぶの ちからを つぎこんで
できもしないことを やろうとしただけって いうことです

でも それで いいんじゃないかと おもいます
わたしは それで じゅうぶんです


つまりは そういうことが つたえたかった ことなんですから

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みぎとひだりに うえとした
よのなか ふたつに わかれてる

みぎとひだりに うえとした
なんでも みんな わかれてる

みぎとひだりに うえとした
ひとつのものなんて ありゃしない


ひとつのものが みたいなら
つくりださなきゃ みられない

それでも ひとつが みたいなら
ふたつのままじゃ みられない


うん そんなことが できるなら
うん そういうふうに できたなら

ふたつのものは ひとつのもの
ひとつのものは ふたつのもの

ひとつは ふたつで ふたつは ひとつ


そう そんなことが できるなら
そうそう そんなふうに できたなら


みぎも ひだりも おなじむき
うえも したも おなじばしょ

よのなか すべてが ふたつで ひとつ
『そんな よのなかは きっと たのしい』

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もとにもどる そこにかえる

すべての ものは もとの かたちに もどっていく
もといた ところに かえっていく


なににもどる どこにかえる

すべての ひとは うまれた ばしょに かえっていく
じぶんが でてきた せかいに もどっていく


どうせ もどるなら 『なんで そこから でてきたのだろう』

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前回同様、「詩」としては、オソマツな感じがするんですが、「題」なんで、それでいいと思っています。
(私は「美しい言葉」を使うことは出来ないみたいですね)

まぁ、「絵」が少しでも伝わりやすく成ればいいかな?ということですね。

『・・・・・えっ、成ってない?』

「あー、まだ、もうチョットだねぇ」

「長い題」=詩のような題(その3)



「長い題」(その3)です。

『こんなの読む人居るんだろうか?』っていう疑問はあるんですが、『いや、そんなことは無い!・・・たぶん・・・』と言うことで。

『 』の中は、その絵を呼ぶ「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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とまっている 

ただ いきおいだけを もって とまっている

そうなんだ ひかりと ねつが まじりあって こおりついたとき
この せかいに かんきが なげこまれたんだ

『なにもかもが とまっているというのに』

よのなかの すべてのものが よろこびに みちて おどっているようだ

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ひとは みな ひかりの なかに いきている

やみの なかでは いきられない

やみの なかには なにもない

ひかりに うまれて ひかりに くらす


ひとは みな 『そうやって 生きている』

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すすめ すすめ まえへ すすめ

『まえだけを みつめて』 ちからを こめて まえへ すすめ


その まえは うしろ その うしろが まえ

そうだ その うしろのまえに むかって まよわず まっすぐ すすむんだ 


あぁ ぼくは どっちに むかって すすめば いいんだろう

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かわっていくよ すべての ものが
ねじれているよ すべての ことが


ものでも ひとでも おんなじなんだ
 
かわりつづけて ねじれつづけて
それじゃないと いられない

ねじれて ねじれて はんたいがわに つながって 
それで よのなか できている

おかしなことも ふつうのことも
みんな それで できているんだ

ありとあらゆる ときに
ありとあらゆる ばしょで 
ありとあらゆる ものが
ありとあらゆる ほうこうから
ありとあらゆる ほうこうへ

みんな ねじれていく 

だから どんなに おかしなことも どんなに ふつうのことも
ぜんぶ いっしょに やっていられる


ぼくは 『それしか かんがえようがない とおもうんだ』

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たいようでもあり ほしでもあり つきでもあるという しょくぶつ

そういうものが えがきたかったと いうことなんです

そういうものは そこいらへんの みちばたに たくさん はえていますから 
それで そういうものを えがこうと おもったと いうわけです 

もしも あなたが そんなふうに おもわないと いうのなら
もういちどだけ みちばたの くさを みてごらんなさい 

そうすれば すべての くさやきに 
たいようや ほしや つきが やどっているのが みえますよ

そうすれば もう こまかいことは ほとんど きにならなくなっている 
そういうのが 『もっとも ふつうのこと』ですね


だって みちばたの くさやきに 

たいようも ほしも つきも みんなやどっているっていう このよのなかで

こまかいことなんて きにしたって しょうがないじゃないですか 

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こういうのを読んだ人って、どう思うんでしょうね?
わかりませんねぇ。




「長い題」=詩のような題(その4)



「長い題」(その4)です。

読むと、きっとソンしますよ。
読むと、時間の無駄ですよ。
読むと、イライラしますよ。
読むと、『なんなんだよ!これは!!』って思うだけですよ。

『じゃ、読んでみようかなぁ』
そういうアナタって、ステキ!!!

ということで、「長い題」(その4)です。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『たびに でます』 
この ながれに のって

そうです

ぼくじしんが この うごきつづける ものになって 
たびに でるわけです

そうすれば ぼくは もう どこにだって いくことが できます
ここが どこでも かまいません


ここが どんなに あきあきするほど ありきたりで つまらない ばしょでも

なんの かたすみなのかも わからないほど ちっぽけな ところだと 
ぼくが おもいこんでいる そんな かたすみの ばしょでも

そんなことは どうでも いいことことです


ぼくが この うごきつづけるものに なって たびに でることが できたなら
ぼくは どこにだって いくことが できるんです


だって もう ぼくの こころは このえのなかに あって 

えいえんに うごきつづけるものに なって いるんですから

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おどろくほどに 
まったく びっくりするくらいに ふつうのこと

そういうことこそ すばらしく
そういうことこそ うつくしい
そういうことこそ ありえない

ありえないのに どこにでも
ありえないけど だれにでも

みんなに ひとつの ふつうのこと 
みんなに ひとつの すばらしい


そういうものが

ほんとは 『みんなが ほしがっているもの』

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いきもののように うごきだす
それまで とまっていた ものたちが 


めを こらして よくみれば 
ものの なかみが みえてくる

どんなものでも なかでは みんな うごいてる


そとがわの からを とおして なかみを みれば
なかでは みんな うごいてる

とまってるものは なにもない


ほんとは みんな うごいてる 
『それだけが ぼくに わかること』

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「長い題」=詩のような題(その5)



「長い題」(その5)です。
どうやら、「題」の方が早いペースで出来るみたいですねぇ。
困ったもんです。

たぶん、あまりこだわりが無いんだと思います。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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うつくしいものなんて どこにもない

そんなものが あるのなら
ただ それを かってくればいい


みにくいものなんて どこにもない

そんなものが あるのなら
ただ それを すててしまえばいい


さて それなのに 

『よのなかの すべてのものは あまりにも うつくしく
よのなかの すべてのものが あまりにも みにくい』

きっと こういうふしぎなことは
ずっと わからないまま なんだろう

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えいえんという しゅんかんに とじこめられた くうかん
そんなせかいに いきている


そういうことは

だれの めにも あきらかで
だれの あたまにも あきらかで
だれの こころにも あきらかな
じじつと いっても いいことで 

えいえんという ときが いま この しゅんかんに すっぽりと 
ありとあらゆる すべての ものが ひとつの てんに すっきりと

おさまってしまうという あたりまえのこと


それこそが このよのなかの なりたちの
それこそが あらゆることの なりゆきの
それこそが すべてのいのちの ありかたの

『だいたいのことの もと になっている』

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なにかが できたことなんて いちどもない
なにも できなかったことなんて たくさんある

そんな ぼくが いまも なにかを しようとしている


だから そのぶんだけ ぼくは えらい


だから なにかを しようとしている ひとは 
みんな すこし えらい

きみが もし なんにも できない ひとならば
きみも すこし えらい


いま このえの まえに たっている きみは

『きっと なにかを しようとして そこに たって いるんだから』

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『ねじれて ねじれて ひっくりかえる』
ひっくりかえって まっさかさま 


うえと したが まっさかさま
まえと うしろも まっさかさま
どこも かしこも まっさかさまで なにが なんだか わからない

わからないから かんがえる 
わからないけど かんがえる 
かんがえないと とまってしまう


とまってしまうと いきられない

つまりは そういうことなんですね

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『ひかりの ちから』 ひの ちから
ひかりの ちからは ひの ちから

ありあまるほど ふりそそぐ

みんなのうえに おなじだけ

ありあまるほど ふりそそぐ


そんな ひかりのちからが すべてをつくる

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『かえりたい かえりたい』 
どこかに むかって かえりたい

でも ぼくは いったい どこから やってきたのだろうか

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『きげんに かえろう』 きげんに

きげんに くらし 
きげんに いきて
きげんに しんでいく

そうすれば きっと なにかが わかるだろう

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『いろのかたちと かたちのいろ』


どんないろが うつくしい 
すべてのいろが うつくしい

どんなかたちが うつくしい
すべてのかたちが うつくしい


いろとかたちで 
すべてのものが うつくしく 
すべてのものが すばらしく

ひかりかがやいて いるようだ

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ひかりのなかに やみがあり
やみのなかを ひかりがはしる

まぶしい ひかりが またたいて
その むこうでは どすぐろい やみが うずをまいている


『はたして そんななかで
ぼくは なにを えらびとることが できるだろうか』

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「長い題」=詩のような題(その6)



「長い題」(その6)です。

今回のは、ぜんぶ「絵」に合わせて「題」をつけたものです。
ということは、前に出来ていた「絵」が決まっていない分の「題」の方はそのまま残ってしまうということですね。

「題」がたまっていって「絵」が追い付かないというのはどうなのよ?

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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おちてゆく

いま まっさかさまに おちてゆく
ここにいると かなしくなるから


ならくのそこは どんなとこ

きっと かがやくせかいが まっている


だから ぼくは 
なんだか とっても たのしくなって
なんだか とっても おかしくなって

『いま おどりながら そこに おちていくとこ』

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いま きみに なまえを あたえよう ロミルラン

そう いまから きみの なまえは ミル・ロミルランだ
きみは これから ミル または ミルナルと よばれることに なる

『ときと ばあいによって ひとの なまえは へんかする』
だから ミルナルと よばれることも あるだろう


いずれにしろ いま きみには なまえが あたえられた
だから きみは もう まよう ひつようは ない

あたえられた なまえに したがって まよわず いきて いけばいい


いま きみに あたえられた ミル・ロミルランと ミルナル・ロミルランという なまえは 
じゅうぶんに うつくしい なまえだ

だから その あたえられた なまえに したがって いきて いくだけで
きみは じゅうぶんに うつくしく なることが できる

それでも きみが まよいたければ まよえば いい


そのとき きみは あたえられた まなえを こえて 
きわめて うつくしく かがやくことが できる


この ふたつのうち どちらの いきかたを えらぶかは

『かんぜんに きみの じゆうだ』

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『カーニバルは やってくる』
どこにでも やってくる

それは おまつりだから
それは みんなの よろこびだから

だから カーニバルは どんなところにだって やってくる

たとえば この オパールのような じめんと
きいろいかべのような そらが 
あかとしろの わくのなかに とじこめらた
こんな ところにだって それは やってくる

だれにも しられずに くらくかがやいている
こんな ばしょにも カーニバルは かならず やってくる

それは いつも なんのまえぶれもなく とつぜん あらわれて 
なにごともなかったように あとかたもなく きえてしまう

だから ふだんは みんな わすれてしまっているけど
いつのひか また カーニバルは かならず やってくる


だって それは おまつりだから
だって それは みんなの よろこびだから


だから カーニバルは どんなところにだって

きっときっと やってくるんだ

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しずかに ほのおが もえている 
この おとのないせかいで

かぜのおとすらしない その しずかさのなかで
つめたいほのおに てらされて 

ひやされるほどに あたたかく
こおりつくほどに やわらかく

その まるくて なめらかなはだは そだってゆく


『それが ほんとうに いつわりのない ひとのすがたと いうものです』

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『さびしくて うつくしい』

あおじろい ひかりに つつまれて
じっと やすんでいる

ひとりでいることを ひそかに たのしんでいるように
かなしみに みたされることを すこしだけ よろこんでいるように


こんな さびしさのなかに 
こんな しっとりした やさしさが あるなんて

こんなに うつくしい くうきのなかで 
じっと やすんでいられるなんて

あぁ つめたくて やわらかい そんなやすらぎが ここにある

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『また ひとつ このせかいに 
あたらしい いみが あらわれる』


ほのぐらい せかいの かたすみに
ほのあかるい いろを なげいれて

それは とうとつに しゅつげんする


なんのいみかも わからない
なんのかたちかも わからない
なんのかがやきなのかも まったく わからない


それらのものは これから このせかいのなかで あたえられていくことになるだろう


そんな あたらしいいみが またひとつ 
このよのなかに しゅつげんすることが

いま けっていされたようだ

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二番目のなんか、相当恥ずかしいんですが、読んでる人がすごく少ないから書けるという感じです。

『閑古鳥ブログ万歳!』




「長い題」=詩のような題(その7)



「長い題」=詩のような題(その7)です。
この「長い題」の記事も『どうせ誰も読まないんだろうなぁ』ということがだいたいわかってきたので、『やめちまおうか』と思うんですが、よく考えたらほかの記事も同じようなもんなんで、取り敢えず続けようと思います。

そういうわけで、「長い題」=詩のような題(その7)です。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『きょうは いいひか わるいひか』

そんなことは わからない 
ひゃくねん たたなきゃ わからない
でも しんでからじゃあ やっぱり けっきょく わからない


つまりは 
ひゃくねんたてば いいひに なるかもしれないひ
それが きょういちにちの ほんとのいみ 

そのとき ぼくが いきてたら 
それは ぼくにとっての きょうのいみ 
 
そのとき ぼくが しんでたら
それは だれかにとっての きょうのいみ


つまり いまこのときの ぼくにとっての きょうのいみとは

ひゃくねんまえの だれかが くれた きょうのいみ


だったら それは きっと いいひで あるに ちがいない

ひゃくねんごの だれかに むかって 
わるいひを おくる ひとなんて いるわけないから

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『ちょうの はね 
めが くらむほど いろめき
なんごくの はな 
むせかえるほど においたつ』


ひとの かげ 

やわらかくて あたたかい ひとの こころは
その いろと においの みつりんの まんなかに
ひとり ぽつんと とりのこされる

まるで くらい かげのように


この みつのように あまい においと
めまいが するほど あざやかな いろの なかで
ひとり おきざりにされて からめとられてしまった
やわらかい ひとの こころは


はたして そのときが くれば 

ここから ぬけだすことが できるのだろうか 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

もりの おく

なつの ひざしも とどかない もりの おくは
つめたい くうきで みたされて 
しんと しずまりかえっている


そこには あおじろい ひかりしか とどかない


それなのに その ゆらめく ひかりが 
おどるように ながれこんでいるのは 

そこに いのちが やどっているから


いや いま この しゅんかんにも
いのちが たんじょうしているからに ちがいない


『きっと もりとは そういう ばしょに つけられた なまえ なんだろう』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ひみつとは みえないものの ことだから


それなら みえるように してみよう
だれにも みえるように してみよう

それで きっと わかるだろう
だれにも きっと わかるだろう

うつくしいから ひめられて
ひめられるほど うつくしい


でも それを かくしてしまう ひとが いる
ヴェールを かける ひとが いる
にどと あけてみようとはしない

それで また
ひみつが もとの ひみつに かえされて

まえより もっと ひめられて
まえより もっと うつくしく
まえより もっと いちだんと

ひそやかな かがやきを ましてゆく


そう 『ひみつとは みえないものの ことなのだから』







「長い題」=詩のような題(その8)



「長い題」=詩のような題(その8)です。

『ええ、「題」だけですけど、なにか問題でも?』

「長い題」=詩のような題(その8)です。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そぼく すぎず 
じゅんすい すぎず

それでいて いとも きまじめで 
ひとに きをつかわずに なにかを することなど できるわけもなく 
したがって ろくなことなど ほとんど できたためしがない

そんな にんげんに うまれついてしまった ぼくが
こんなにも ふつうの じんせいを 
こんなにも せいじつに いきているというのに
どうして こんなにも ややこしくて めんどうなことに なるのか

なにゆえ もっと たんじゅんに いきられないのか


そういったことが まったくもって りかいできないと 
いつも おもっているような


『ソウイウ ニンゲンデ ボクハ アリタイ』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

かなしいときに なみだが でない

うれしくも ないのに わらってしまう

わるいと おもってないのに あたまを さげ

たいしたこと ないよと おもいながらも
かんしんした ふりをする


だけど ほんとは

じぶんが えらいと おもってる
じゅうぶん りっぱな ひとだと おもってる


でも もっと ほんとの ところでは

そんなこと いうほどの じしんは なく
いつも ひとの かおいろを みて いきている


そう これは ぜんぶ わたしの ことですが
そうです ぜんぶ あなたの ことでもあるわけです

あなたが だれでも おんなじです
ちがうと いっても かわりません


わたしも あなたも そういう いきもので あるのです


だから とっても いやなんだけど

『ソウイウ ニンゲンデ ワタシハ アリタイ』

きっと わたしたちは
そんなふうに おもっているに ちがいありません

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

うつくしいものも おもしろいものも もう いらない


うつくしいものは しぜんが ありあまるほど あたえてくれる

にんげんは おもしろいものばかり つくりつづけて 
よのなかを おもしろいものだらけに してしまった


だから もう そういうものを つくりだす いみは ない

いま にんげんが つくりだす いみが あるものといえば
それは じぶんじしんの すがただろう


にんげんの すべてを あらわすことは できないが

もし かりに 
それが ひゃくぶんのいちでも できたなら

にんげんの ほんとの すがたを 
いっしゅんたりとも みせることが できたなら


それは きっと

『なみだが でるほど おもしろく
ふるえるほどに うつくしいもの』に なるだろう

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『つやとは』 

いろとりどりの かじつや 
なんごくの しょくぶつの はの
はだのようなもの


つやとは 

ながれるような かたちの 
ガラスや とうきが はんしゃする ひかりのようなもの


そして つやとは 

ひとの こころが もっている 
ひとどうしを ひきつけあう みりょくのようなもの


ときに あいらしく
ときに なやましく
そして ときには ゆうゆうしく

ひとの こころを ひきつけて やまない


そんな つやが

だれの こころのなかにも かならず あるはずなのです

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

たのしくて たのしくて
いきているのが たのしくて

かなしくて かなしくて
いきていくのが かなしくて


しぬのなんて こわくない
いま いきて いるから

いきるのなんて こわくない
きっと いつか しぬから


それなのに
どうしても たのしくて
どうしても かなしい

どうしようもなく たのしくて かなしいので
だったら それで いいんじゃないかとも おもうんですが

それにつけても
『あまりにも たのしくて あまりにも かなしい』


それぐらいで いきていくには ちょうどいいんだと おもいます

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

はじめの二つは『宮沢 賢治』さんの『雨にも負けず』から発想したものです。
というか、出来てくる途中でそういう方向に持っていったという感じですね。
『宮沢 賢治』さんは、たぶん、けっこう好きなんで。

『たぶん』というのは、本を読んだりしたわけではないので、ハッキリしません。
っていうか、『雨にも負けず』自体、これを書いた後ではじめて「全文」を読みました。
ずいぶん長いんですねぇ。
最初の所と、最後の所しか知らなかったのかなぁ?(これも、たぶん)

『雨にも負けず』からの引用(少し違いますけど)であることがわかるように、その部分をカタカナにしています。



「長い題」=詩のような題(その9)



「長い題」=詩のような題(その9)です。

「絵」が進まない時に限って「題」は出来るみたいですね。
困ってます。

まっ、「題」だって、なんにも出来ないよりはいいさぁ~。
「長い題」=詩のような題(その9)です。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

たいこの むかしから 

あるがままという たいだを 
ただ まんぜんと つづけてきた だいしぜんの うずに 

さからうことすら できずに
もののみごとに まきこまれながらも

なんの こんきょも ないというのに
こんなにも パンパンに ふくれあがってしまった 
にんげんの とかいは

こうぎょうかの もたらす とてつもなく ふきんこうなきんこうを
いまも へいぜんと たもちつづけている

その じんこうという こざかしい くうかんの なかで
みずからの ちんけな ちせいと
ごうまんな りょうしんの かけらに うめつくされて 
おぼれしんで いきながらも 

にこにこと ほほえみを うかべて 
ていさいを つくろうことや 

せいろんという じょうひんな ぼうりょくを チラつかせて
じふしんを みたすことだけは かかさない


そんな あいらしい にんげんたちが とじこめられてしまっている 

『この ぜつぼうてきに へいさてきな くうかんを
いま ぼくの なかで かいほうする』

あの あおぞらの きれつに むかって
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いつでも どんなときでも
にんげんらしい にんげんで ありたいと おもうわけですが

いつでも どんなときでも
ひとは みな フル・タイムの にんげんで 
いられる はずだと おもうわけですが

それが なかなか そうも いかないようで

ひとは すぐ にんげんいかを やってしまう
にんげんみまんに おちてしまう

つまりは 
ひとは みな 『パート・タイムの にんげん』で あるわけです

それなら それで しかたがないとも おもうわけですが
それなら それで がんばろうとも おもうわけで

それなら それで いまだけでも 
なんとか にんげんらしく していようと

いっしょうけんめいに おもうわけなのです

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『ぼくは ひとつぶ』

ぼくは すなはまの すなのなかの ひとつぶ
ぼくは うちゅうの ほしのなかの ひとつぶ
ぼくは ただよっている ほこりのなかの ひとつぶ
ぼくは しゅうかくされて あつめられた こめつぶのなかの ひとつぶ

つまらないと いえば つまらない
おもしろいと いえば おもしろい

どうでもいいと いうことも できるし 
たいしたものだと いうことだって できる

ひとつぶであることを ひげして なやむことも ある
ひとつぶであることを じまんして ひけらかすことも ある

ひとつぶのかちを ばかにして わらうひとも いれば
ひとつぶのかちを とんでもなく すごいことのように いうひとも いる

じぶんの ひとつぶを ひとの ひとつぶよりも 
おおきいと おもうことも できるし
ちいさいと おもうことも できる

でも ほんとうは みんな おなじ ひとつぶ


ぼくには そんな ひとつぶの かちが ある

そのかちを ひていできる ひとは いない

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『できることは ひとつだけ』
できないことは たくさん

できることなんて ひとつだけ
できないことなんか やまほど

でも そのひとつだって わからない
できないときも あるから

でも そのひとつ
もし ひとつだけ できたなら
それは あなたの いみなのです

いえいえ ちがいます
たくさん できては だめなんです

ひとつ じゃないと だめなんです

ひとつだけには いみがある
ひとつじゃないと いみがない

そのひとつ 
いま あなたは それが できている

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ちなみに、この中で、出来ている「絵」があるのは一つだけで、なんとなくこんな絵を描こうと思っているのが一つです。
他のは、該当する「絵」がまだありません。
『いかん、いかん!』
『でも、まぁいいかぁ?』


「長い題」=詩のような題(その10)



「長い題」=詩のような題(その10)です。

いやぁ、マズイですねぇ。
ドンドン長く成ってます。
こんな「題」に見合う「絵」ってあるんだろうか?っていう疑問はあるんですが、いちおう、この「長い題」も作品の一部ということに成っております。

そんな感じで、「長い題」=詩のような題(その10)です。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

アスファルトで おおわれた 
ちきゅうという はいいろの ほしが あるという

かつては あおと みどりの ひかりに つつまれていた その ほしには 

けんりょくは うばいあい
せきにんは おしつけあい

それでいて じょうひんぶった ちしきや
みえと じふしんだけで つくりあげた かんせいを
みせあって あそぶという とぼけた しゅうせいがある 

にんげんという いきものが いたという

その にんげんという いきものは
みずからが たんなる りゅうつうしゅだんとして うみだした
かねという もうそうに 
とらわれ しはいされ ほんろうされ
さいごには はかいされてしまった

しかし あらたな しゅうせいを みにつけたものだけが いきのこり
あたらしい いきものとして うまれかわった

その あたらしい いきものは 
いまも はいいろの ちきゅうに すんでいるが
いまでも ちきゅうが あおいひかりに つつまれていると
しゅちょうしている

かれらは いまだに かねを すうはいし
それに ぜつだいな ちからが あると しんじているが
それを ぶんめいと よぶことによって
そこに むじゅんは なくなるものと かんがえている

かれらは ありとあらゆることの なまえを よびかえることによって
じぶんたちが うみだした むじゅんを 
すべて わすれさることに せいこうした

かれらは かんせいされた せいかつを てにいれ
もはや なにひとつ こまることは なくなった

つまり かれらが みにつけた あらたな しゅうせいとは
すりかえに ほかならない

あらゆることにおいて ほんしつを ついきゅうせずに
ぶなんで ここちよいものに すりかえて 
つじつまだけを あわせる

しんじがたいことだが 
かれらは このしゅうせいを みにつけたことによって いきのこり 
いまや かつてないほど はんえいしているという


さて ところで
この あたらしい いきものたちこそが
いま ここにいる われわれであるとする ぞくせつが ある

もちろん おおやけに みとめられた せつでは なく
まったく こんきょの ない うわさで あって
すくいようもないほど こっけいな めいしんでは あるのだが


『その めいしんの なかに ねむっている 
しんじつのとびらを いま ぼくのなかで ひらこう』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

しんぴんの あおぞらに 
しんぴんの たいようが のぼり 
きょうも また 
しんぴんの まちの
『しんぴんの いちにち』が はじまる


しんぴんの ふくを きて
しんぴんの くつを はき
しんぴんの いえを でる

しんぴんの くるまに のって
しんぴんの みちを はしり
しんぴんの まちを ぬけ

しんぴんの ビルに はいり
しんぴんの オフィスの なかで
しんぴんの しごとを して
しんぴんの きゅうりょうを もらう

しんぴんの みせに ゆき
しんぴんの しょうひんを えらび
しんぴんの ふうとうから とりだした
しんぴんの かねで かう


そんな まあたらしくて ピカピカの
しんぴんの まちの くらしには
ちり ひとつ おちていない
どろの ついた ところは どこにもない

だから じつに かいてきだ


そんな まぶしいばかりの しんぴんの せいかつの なかで 
だれかが といただした


きみは どろの においが なつかしくないのか
その ちのけのない ビニールのような しょくひんは うまいのか
きずだらけの はしらがある いえに また すみたいとは おもわないのか
あの きふるして しなしなになった ふくの はだざわりを
いったい きみは わすれてしまえるとでも いうのか


そこで また べつの だれかが つづけた


ところで その しんぴんの みなりをした きみの なかみは どうなんだ

にんげんは いつまで しんぴんで いられるのか
そもそも しんぴんの にんげんなど いるのか
また いたとして それに いみが あるのか

この といかけによって
ひとの こころの なかの しんぴんの せかいが ほうかいした

ゆめの くらしは うしなわれ 
ふるびた げんじつが あらわれた

でも それなのに 
しんぴんの まちは いまも ここにある
いちど うごきだしたものが やすやすと とまることは ない

だれかの といかけぐらいでは とまらない
つまりは だせいで つづいていく

にんげんは もう げんじつを うけいれる じゅんびが できているというのに

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

よのなかは きかいじかけで うごいている


はぐるまは せいかくに ときをきざみ
すべての ぶひんは かんぺきに せいぎょされている

こわれた ぶひんは はずされて
すぐに あたらしい ぶひんに とりかえられる
しんぴんの ぶひんは いくらでも ある
だから だれも こまりはしない

だったら それは それで いいんだろう


さて そこで こわれた ぶひんは どうしよう

つぎから つぎへと はずされて 
ずいぶん たくさん たまってる
まがった ぶひんが たまってる


だったら なにか つくってみよう
まがった ぶひんを つかってみよう

もしかして おかしなものが できるかも
もしかして へんなものが できるかも

いや きっと たのしいものが できるだろう
そう きっと やわらかいものが できるだろう

だって まがった ぶひんで つくるのだから
やわらかいものが できるはず


その やわらかい ぶひんに つつまれて
きかいじかけの よのなかが すこしづつ うごきだす 

『やわらかく うごきだす』


そうしたら 

いつのまにか せいかくさは わすれられ
かんぺきさなど かげもない


でも それなのに
やっぱり だれも こまりはしない

だったら これも これで いいんだろう
そこだけ ちがう はずは ないから

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

きっと きみは さみしいんだね

だから こんなに かがやいている せかいのなかで 
ひとり ぽつんと かなしそうに しているんだね


それとも もしかして 

ほんとは とっても うれしいのかい
だから こんな とじこめられた ばしょで
ひとり かがやきを ふりまき つづけているのかい


それとも・・・


いいえ
わたしが ここに いるのは さみしいとか うれしいとか
そういうことでは ありません


ただ わたしは
どうしようもなく なやましくて
たえられないほど もどかしくて 
それで わたしの からだじゅうを
ぜつぼうてきな よろこびが くるおしく めぐっていて

だから わたしは 
ただ こころを しずめるために 

『ここに ひとりで さいているのです』


でも わたしのことを きにかけてくれて うれしい


ここに かくれて さいている わたしに
きづいてくれる ひとが いるなんて


わたしは そのことが ほんとに とっても うれしい

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


『長すぎ!!』



「長い題」=詩のような題(その11)



「長い題」=詩のような題(その11)です。

『これって絵の題なんですか?』

「絵の題なんです!!」

・・・・的な?感じで、「長い題」=詩のような題(その11)です。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
二か所あるものもあります。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『かがやきの せかい』

しきさいと こうたくが しはいする 
この さんらんする ひかりの せかいでは
あかるさは なんのいみも もたない

しろは しろに すぎず
くろは くろに あまんじるしかない

ここは まさに しきさいと こうたくが しはいする
かがやきの せかい なのだから

ほかのものが いみを もつことは いっさい ゆるされず
すべてが かがやきの ために
ぜんめんてきに ほうしさせられることに なるのだ

この はんきょうする ひかりが じゅうまんする せかいが
しきさいと こうたくのみによって 
きずきあげられ しはいされて いることには

なんの りゆうも ひつようないのである

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

やくそくする
ぼくは きみに やくそくする

どんなときにも きまじめであることを

ぼくは いついかなるときにも 
きまじめに いき
きまじめに かんがえ
きまじめに かたり
きまじめに こうどうすることを
きみに やくそくする

つまりは
きみを いちずに あいし
きみの すべてを うけいれ

きみに すべてを ささげることを
いま ぼくは きみに やくそくする 

きみが だれであっても それは いっこうに かまわない

いま ぼくが きみと よんでいるのは 
このせかい すべての ことだから

それじゃないと このやくそくを まもることは できないし
それならば このやくそくは かならず まもられることになる

だからこそ ぼくは このせかいに たいして 
『いつも いっしょうけんめいに いきる ということを やくそくして いるんです』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~









「長い題」=詩のような題(その12)



「長い題」=詩のような題(その12)です。

最近に成って、ようやく、この「長い題」ができるペースが落ちてきて、なぜかホッとしています。
ペースが落ちてホッとするのもおかしいんですけどね。

こんな「題」の付け方をするようになって、初めて気が付いたんですけど、「題」ばっかりできるのは考えもんですね。
(絵に合わせて「題」を作るとは限らず、独立した「絵の題」として作っています)
なんか、自分がすごくバカなんじゃないか?っていう気に成ってきます。

でも、めげずに「長い題」=詩のような題(その12)です。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『うつくしくは ないが かいぶつでは ない』

こわそうにも みえるが 
おそろしいと いうほどでは ない

どこか さみしそうに しているのに
ないている わけでは なく
ただ ひとりで そこに たっている

つめたくて するどい はもののような ものなのか
やわらかくて あたたかい もうふのような ものなのか
その しょうたいは わからない

そういうものが いつも ひっそり たっている

だれの なかにも ひとりづつ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『もしも はなに なれたら』

たいように せを むけて はしりだそう
その ぎゃっこうの なかで 
せっかく さいた あざやかな いろを うしなって しまうとしても

もしも はなに なれたら

つきあかりに てらされよう
その あおじろい ひかりに
いま はなひらいたばかりの みずみずしさを
すいとられて しまうとしても

もしも はなに なれたら

よろこびに みちて
おどるように はしりつづけよう

こんな くらやみの かたすみに 
この はなびらの いろで すこしだけでも あかみを うつすことが できたら
きっと それは はなさくことの よろこびに ちがいない

だから もしも ぼくが はなに なれたら
そんなふうに さいてみたいと ひそかに おもっているのです

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さめのように つめたく なりたいと おもっては いないだろうか


とりのように
じゆうに そらを とびたいと おもうのと おなじく

はなのように
うつくしく さきみだれたいと おもうのと おなじく

そして くうきのように
とうめいで ありつづけたいと おもうのと おなじく

こおりのように つめたく
たった いってきの なさけをも もたない
そんな かんぜんむけつな いきものに なりたいと おもっては いないだろうか

そんなものには だれひとり なれない というのに


ひとは ちきゅうじょうで ゆいいつ 
『さめよりも れいこくな いきもの』だと いうのに

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『こんとんと めいかいの あいだには』 しんじつが あり
しんじつが ないところには うそが つくりだされる

ひとたび うそが つくりだされて しまえば
それは またたくまに せかいを おおいつくし
この よのなかは うそに そまる

しかし うそにも かならず
こんとんが あり めいかいが あり
その あいだには しんじつが ある

だから この せかいは しんじつで おおわれている ということもできる

それならば なぜ しんじつのないところが あり
そこに うそが つくりだされて しまうのか

おそらく そのとき そこには
こんとんと めいかいだけが あり 
その あいだが ないのだろう

つまりは こんとんと めいかいの あいだに
だれひとり しんじつを みつけだそうと しなくなったとき

この せかいは すくいようのない あざやかさで
うそに そめあげられて いくことになるのだ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

すべての ルールを すてさろう
あらゆる ほうそくを ぬけだして ちゅうに まいあがろう

すべての かいりつを ぬぎすてよう
あらゆる おきてから かいほうされて あしばを うしなおう


『もう それを じゆうと よぶのは やめよう』
ぼくたちは もう じゆうが なにも あたえてくれないことを まなんだのだから

じゆうが なにかを あたえてくれるのは
そのひとの なかに じゆうが ないとき

じゆうが なにかを あたえてくれるのは
そのひとの なかに ルールという あしばが あるとき

じゆうが なにかを あたえてくれるのは
そのひとの なかに かいりつという ふじゆうが あるとき

だから ぼくたちは 
『もう にどと じゆうに なにかを のぞむことは ないだろう』

すべての かいりつから ときはなたれて
すべての ほうそくから とびだして
ちゅうに まいあがった ぼくたちの こころに
じゆうが あたえうる ものなど なにも ないのだから


じゆうが あたえうるものは 
ぼくたちの こころのなかに すべて そろっていて

そんな ぼくたちの こころは
もう すでに 
くうかんと じかんを こえて ちゅうを まいつづけて いるのだから

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ひとには みな 
『いってきの いろ』が ある

その いってきを うみにながせば
たちまち うすまって きえてしまうだろう

その いってきを そらに むかって まいてしまえば
かぜに ふかれて きりのように かすんでしまうだろう

その いってきを つちに おとせば
すなぼこりに まみれて いろなど みえなくなってしまうだろう


そんな いってきの いろで せかいが うめつくされている

どの いってきも ほかの いろに そまってしまうことは ない
ほんとうは きえてしまうことも ない

ほんとうは だれの いろも みな おなじくらいに きわだって うつくしい

だから その いってきの しずくを
けっして つぶしては ならない
つぶしてしまったら ほんとうに きえてしまうから

だから その いってきを けっして つぶしては ならない

いかなる りゆうが あっても






「長い題」=詩のような題(その13)



「長い題」=詩のような題(その13)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、「長い題」が二つ三つ出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)

はじめの二つは、ほとんど同じようなものなんですが、どっちがいいのかわからないので、両方書いておきます。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『げんだいの じょじしを かたること』
それは この プラスチックの せかいを すてること

げんだいの じょじしを かたること
それは この みせかけの じかんを とめること

げんだいの じょじしを かたること 
それは この そとがわの からだけに なった じだいを ぬぎすて
にんげんの にくたいと せいしんを とりもどすこと


もういちど ときめくじかんを つくりだそう
あの みわくされる しゅんかんを おもいだそう

みも こころも ささげてしまいたく なるような
にんげんの せいを よびもどし
この ぬけがらの じだいに いきを ふきこもう


もし かりに いまに まんぞくしていると いうものが いるのなら
そんな ひとは おいていけばいい
この じだいの ぬけがらと ともに

その プラスチックの ぬけがらに へばりついて いたいなら
それを とめる ひつようは ない
かれらに とっては それが ゆいいつの しあわせ なのだから


もはや われわれに そんな ためらいは ない

この じだいに ちを そそぎこみ
にくたいを よみがえらせ 
そこから ふきだす かんきが この せかいを みたしたとき

そこには 
にんげんの いのちが 
えいえんに おどりつづけることが できる くうかんが 
うかびあがる ことだろう

その やくどうする せかいを まのあたりに してしまったからには
もう われわれが ここに とどまる りゆうは なくなった


そう われわれは たった いま 

げんだいの じょじしを かたりはじめると けついしたのだから

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『げんだいの じょじしを かたること』

それは この プラスチックの せかいを やめること 
それは この みせかけの じだいを すてること

それは この いつわりの じかんを とめ
こころおどる じかんの ながれを とりもどすこと


いま この ページを やぶりすて
あらたな ページを くわえよう

プラスチックの じだいに
れきしという なまえは にあわない

それは せんねんごには きえてしまう ページ

そんな ページを かさねても 
げんだいの じょじしは かたれない
この プラスチックの せかいに 
じんじつの こえが ひびくことは ない


このままでは ひとの からだも プラスチックに なるだろう
このままでは ひとの こころも プラスチックに なるだろう

そう この みせかけだけの ページを かさねていけば
そう この しんじつのない おんがくを かなでつづけていけば

きっと プラスチックの にんげんたちが
ただただ せいかくに ときを きざみつづける
そんな よのなかに なるだろう


だから いま 
しんじつの ことばを かたりはじめよう
たとえ それが まやかしだと いわれても

それは せんねんごに じょじしと なって
かたりつがれる ものがたりに なるのだから

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この二つはほとんど同じなんですが、どちらがいいか自分ではわからなかったので。







「長い題」=詩のような題(その14)



「長い題」=詩のような題(その14)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)
今回のは、内容が暗いものが多いので、そういうのが嫌いな方は読まないほうがいいと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『きぼうとは』
よのなかを てらす ゆいいつの ひかり

きぼうとは
ひとを みちびく ただひとつの とうだい 

きぼうとは
それを たどって ゆきさえすれば
きっと いきることの いみに たどりつけるという
たった ひとつの みちしるべ


つまりは きぼうとは
もしも それが うしなわれてしまえば
ひとの こころから 
いきることの よろこびも うしなわれてしまうという  
のろいの じゅもん でもある

つまりは きぼうとは
もしも それが きえうせてしまえば
ひとの おこないの なかから
すべての いみも きえうせてしまうという
しの よげん でもある

つまりは きぼうとは
それが あたえられた ものにとっては
かがやき でもあり てんへ のぼる かいだん でもある

つまりは きぼうとは
それが あたえられなかった ものにとっては
まっくらやみの あんこく でもあり ならくのそこへの いっぽんみち でもある


だから きぼうとは
すべての ひとに おなじだけ
すべての ひとに おなじように

そう かんぺきな タイミングで あたえられなければならない


つねに じゅんびは できている
じゅうぶん よういは ととのっている

このせかいには 
ひとりに ひとつの きぼうが よういされ

いつも かんぺきな タイミングを まっている
いつでも りそうの あいてを まっている


なんぴとたりとも
その タイミングを じゃま してはならない

なんぴとたりとも
ひとの きぼうを よこどり してはならない


なぜなら きぼうが たりなくなってしまうから

そう つまり 
ひとりに ひとつの きぼうが あたえられなく なってしまうから
それでは だれかが しんでしまうから
それでは みんな しんでしまうから


そんな ときには たりない きぼうを わけあうしかない

たとえ それが かんぺきな タイミングでは なくなってしまうとしても
たとえ それが りそうの あいてでは なくなってしまうとしても

それでも そうするしかない


そう つまり
いまが そのとき なのだから
そう つまり
いつでも そのとき なのだから

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

しゃかいとは 
ひとを しばる ロープ

ひとりの くびに いっぽんづつ まきついて はなれない

しめつけられるのが いやならば 
ロープで ひきまわされて なすがまま

ちゅうしんに むかって たばねられた
ロープの うずに まきこまれて なすがまま

まるで ロンドのように おどりつづける
まるで ロンドのように まわりつづける


いま ぼくは おどるのを やめよう
いま ぼくは まわるのを やめよう
もう おどらされるのも まわらされるのも やめてしまおう

たとえ くびを しめつけられて くるしくても
たとえ だれからも かえりみられすに しんでしまうとしても
もう にどと ロープの いいなりには ならないだろう

ぼくが しんで しかばねに なって
めいっぱい おもたい おもしに なって

きっと いつか この うずの かいてんを とめてやろうと 
ぼくは そう おもっているのだから

きっと たくさんの ひとが
そう おもっているに ちがいない

だから みんな 
いけるしかばねと なって かなしい おもいを かかえながら 
こどくという へやに とじこもっているに ちがいない


それだけが いまできる 『たったひとつの いきかた』なのだから
それだけが いまできる 『たったひとつの しにかた』なのだから

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

しゃかいに てきおうする ということは

もっとも うまく
もっとも こうかてきに
そして もっとも てきかくに いきることであり

また それは 
もっとも ずるがしこく
もっとも ひとでなしに
そして もっとも こそくに いきる ということでもある


つまり しゃかいに じゅうなんに たいおうして いきるということは

こじんが しゃかいの ぎせいとなって
しゃかいのために じゅうじすると いうことであり

また それは 
こじんが しゃかいの なかで 
いかに ふるまうことが 
もっとも じこの ほしんに つながるのか ということを 
てっていてきに けんきゅうし ついきゅうすることでもある


ふたつのうち どちらの はんだんを とるのも 
かんぜんに あなたの じゆうだ

ただし ふたつのうち どちらの はんだんに もとづいて 
しゃかいに てきおう したとしても

『あなたは もうひとつの はんだんから のがれることは できない』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『ひとは みな パート・タイムの にんげん 
のこりは ほぼ サル』

にんげんで いられる じかんは みじかく
サルの じかんは ながい


そんななかで 

サルの じかんに あっても 
なんとか にんげんで あろうとすること

それだけが 
にんげんに うまれてしまった ぼくに できる たったひとつのこと

サルに うまれてさえいれば そんなことは きにも しなかったろうに

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「長い題」=詩のような題(その15)




「長い題」=詩のような題(その15)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『てを ついて いこう』
あしだけで たって いられなくなったら

てを ついて いこう
こころの バランスを たもって いられなくなったら


からだの おもみに つぶされて
こころが くずれてしまう まえに
じめんに てを つこう

まず ひざを おり 
それを ゆっくりと ちに おろして
それから やさしく てを つこう

そっと てを ついて じめんに ふれたら

やっと だいちと つながって
やっと ちきゅうと つながって

そうして ひとつの ほしに なり
そうして ひとつの うちゅうに なり

エネルギーに みたされる
あっとうてきに みたされる


だから てを ついて いこう
この うちゅうの ひとつとして あるために

それで やっと いきていると いえるの かもしれない

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『ふういん と かいほう』

この ざつおんの なりやまぬ せかいの なかで
むじゅんの ひかりに みたされて

ありとあらゆる ほうそくが
せんぺんばんかの かいりつと なり

ありとあらゆる どうりが
へんげんじざいの こうそくと なる


その とざされた もんの なかに 
ふういんされた ひとの こころは
いったい いつに なれば かいほう されるのだろうか


はたして にんげんは それまで いきて いられるのだろうか  






「長い題」=詩のような題(その16)




「長い題」=詩のような題(その16)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『ひょうりゅうぶつのように』
ただ そこに ある


ひょうりゅうぶつのように
うみに ただよい

ひょうりゅうぶつのように
ひに さらされ

ひょうりゅうぶつのように
どこかに ながれつく


ときに おきざりに され
ときに きづかれも せず

ただ そこに ある

だが ときには 
だれかに ひろわれ
そして ときには 
たからの はこに いれられる

それでも やはり ただ そこに ある


そんな ひょうりゅうぶつのような こころを もった
そういうひとは たしかに いる

ぼくも はやく そういうひとに なりたい

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

くうちゅうに しかけられた わなが ある
おもわぬところで ひっかかる

くうきで できた わなも ある
とうめいだから だれにも みえない

そんな くうかんが 
そんな わなで うめつくされて 
もう のがれる ばしょは どこにも ない


うちゅうの はてまで わなが はりめぐらされた この せかいでは
にんげんの いきるばしょなど どこにもない

そうだ 『あしたからは かせきに なろう』

それなら ぼくにも できそうだ


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

とうめいで めに みえない わなが ある

ひとの こころが つくりだす
だれにも みえない わなが ある

のがれることは できない


わなに かかると そのひとも 
いつしか からだが すきとおり
とうめいに なって わなに なる

そうなったら ひとじゃない
わなに なったら ひとじゃない

そう わなとは 
からだを うしなった
『ぼうれいたちが しかける トリック』だ

だから わなに かからず いきていく
わなに ならずに いきていく

ここまで なんとか いきてきて
あげくの はてに 
それが さいごの わなだと きづき

やっと わなに とらえられ
やっと からだを うしなって
とうとう わなを しかける がわに なる


ざんねんながら いきるとは そんなような ことらしい
ざんねんながら しぬとは そんなような ことらしい

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ぜつぼうと きぼうの あいだで

ぜつぼうしたひとは もう それいじょう いきられないのだろうか
きぼうが ありさえすれば ずっと いきていかれるのだろうか


いや じつは 
きぼうだけで いきられる じかんは みじかく
ぜつぼうだけで しんでしまえる ひとは すくない


りょうほうないと いきられない
りょうほうないと しねもしない

だからといって りょうほうあれば いきられるのか
だからといって りょうほうあれば しねるのか

そんなことは わからない 
きっと だれにも わからない


ただ ひとつ わかっているのは
ぜつぼうと きぼうは いつも そこに あるということ

かならず ぜつぼうと きぼうが まざりあって
すぐそこに あるということ

それが いいことなのか わるいことなのか
『それは だれも おしえてくれなかった』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

しゃかいとは
ひとの ちからを うばう もの

ひとの せいきを すいとって 
おおきく ふくれあがっていく もの


だから しゃかいのために はたらいては いけない
だから しゃかいに エネルギーを そそいでは いけない
だから しゃかいを にんげんの ちで こえふとらせては いけない


しゃかいが ふくらめば 
ひとは しぼむ
しゃかいが しんかすれば
ひとは ぜつめつする


つまり しゃかいの ために はたらくと いうことは
ひとを ほろぼすと いうことだ

ひとつも りっぱな ことじゃない

あとには しんかした しゃかいという マシンと
その ぶひんと かした にんげんという パーツが のこるだけ

そんなことに なる まえに 
ひとが ぜつめつする まえに

にんげんが しゃかいを つかっていこう
しゃかいが ぜつめつするまで

『きっと それぐらいで ちょうどいい』



「長い題」=詩のような題(その17)





「長い題」=詩のような題(その17)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『さんぜんかいも かれる はな』が ある

さんぜんかい さいて 
さんぜんかい かれる

それは うまれかわりとは ちがう

それは りんねする てんしょうでは なく
れんぞくする ほうかい


かたちづくられる はじから みるみる くずれてゆく

つまり 
うまれかわるために かいたいされて いるのではなく
くずれさるために けいせいされている

だが しかし
そんな なかに あっても

さんぜんいっかいめに さく はなは うつくしく 
さんぜんいっかいめに かれる はなも また うつくしい

その りゆうは えいえんに わからないだろう

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『せかいには ブルーの あめが ふることが ある』
その ブルーの あめには オレンジ色の つぶが まじることが ある


なぜならば それが うつくしいからに ほかならない

すべての ものが ただただ うつくしいから 
そこに そんざいしている


それが この せかいが なりたっている 

ただ ひとつの りゆうに ほかならない 



「長い題」=詩のような題(その18)



「長い題」=詩のような題(その18)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『ピエロが しりもちを ついて ひっくりかえった 』

ひとりの きずついた ピエロが
しりもちを ついて ひっくりかえった そのとき

コロンと なかみが とびだした
ピエロの なかみが とびだした 

ひとりの きずついた ピエロの なかみが
コロンと そとに とびだして
ピエロの なかは からっぽに なった


その ピエロは いつも おどけてばかり いたから
だれも それに きづかなかった けれど

みんな ピエロは おどけるものだと おもっていたから
だから それに きづいてくれる ひとは いなかったのだ けれど

でも
そのとき ピエロは 
おどけてなんか いなかった
そのとき ピエロは 
みんなを わらわせるために ころんでみせた わけじゃなかった

どうやら ピエロは きずついて いたらしい
どうけで あることに つかれてしまって いたらしい

だから ひっくりかえって
だから しりもちを ついて ひっくりかえって
そして もう たちあがることは できなかった


でも それなのに 
まだ だれも きづかない

まだ ピエロが おどけていると おもってる
だれもが みんな おもってる
まだ みんな ゆびを さして わらってる
みんなが ピエロを わらってる

もう ピエロの なかみは とびだして
もう ピエロの なかは からっぽで
きずついた ピエロの ぬけがらが そこに あり
きずついた ピエロの なかみも そこに ある


からっぽに なった
かなしい ピエロが たちあがれずに ころんでる 
しりもちを ついて

それを みて
みんなが たのしそうに わらってる
ゆびを さして


でも いちばん かなしいのは
ピエロが それを よろこんで いること

かなしみながら すこし よろこんでいること

だって しかたがない 
それが ピエロの しごと だから


わらわれることを なきながら よろこぶことが できるのは
ピエロだけ なんだから しかたがない

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『てんにょのように かけぬける』

そらを まうように かけぬける
ちを はう けむりのように かけぬける
ふきあげられた マグマのように かけぬける


それが いま あなたに あたえられた ことならば 
それが いま あなたに できる ことならば

きっと あなたは てんにょのように 
そらを かけぬけることに なるのだろう


なにかに はばまれて かけぬけることが できなくなるまで

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「長い題」=詩のような題(その19)




「長い題」=詩のような題(その19)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

すべての ひとの なかに
みにくくて きたない ほんしょうが かくされている

それを かくしとおした ものを 
ぜんにんと いっている


そんなことは とおらない
そんなことは ありえない
そんなことは ゆるしては いけない


でも しかし 
かくしておかねば どうなるのか

あぁ きっと 
みんな みにくく なるんだろう

そう きっと 
すべての ひとが がきと なり
もうじゃのように はいまわる

だから かくしていくしか ないんだろう


そう それが
『それだけが まだ ひとに できること』


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『はるか まいそうのちへ』 たびだつ
そこが どこなのかは まだ わからない


わかっているのは 

そこが はるかかなたの こだかい おかの うえで あるということ

そこに たどりつきさえすれば 
やすらかな きもちで この からだを ぬけだし
かぎりなく じゆうな たましいと なって 
せかいじゅうに ひろがって ゆくことが できるということ

そのばしょで まいそうの ぎしきを おえた からだは
かぜのように かろやかに ふきわたり
みずのように なめらかに ながれて
いっさいの いたみを ともなうこと なく 
きえて ゆくことが できるということ

そして のこされた こころは 
かぎりなく ちいさな てんに なり 
せかいの すみずみまで いきわたり
へんざいする ことに なるということ


それだけ わかっていれば ふそくは ない
そこに ゆきさえすれば
きっと しずかな よろこびと ともに まいそうされる ことになるだろう

あぁ いつのひか 
ひとは その おかのうえの ちを みつけだすことが できるのだろうか


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『もしも そこに からだが あって』
そのなかに こころと いわれるものが あるのなら

それで じゅうぶんな はずなのに
それで ふそくなく たりている はずなのに

どうして くるしみや いたみが あるのだろう
いったい どこから かなしさや いかりが やってくるのだろう

いや それが 
わかれば すべて きえてしまう
こころも からだも きえてしまう

だから きっと わからない

たぶん それで いい


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「長い題」=詩のような題(その20)





「長い題」=詩のような題(その20)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


『ほんのうの ままに いきる』

ほんのうの ままに うまれ
ほんのうの ままに せいちょうし
ほんのうの ままに じんせいを おくる

ほんのうの ままに めしを くらい
ほんのうの ままに それを はいせつし
ほんのうの ままに その くそに まみれる

ほんのうの ままに ねむり
ほんのうの ままに めざめ
ほんのうの ままに かつどうする

ほんのうの ままに み
ほんのうの ままに きき
ほんのうの ままに それについて はつげんする

そして あげくの はてには 
その じぶんの ことばの あざとさに しばりつけられて あえぎながら 
さいごには しんでしまう

さいごだけは ほんのう じゃない


こんなことに なっとくできる ものは いるのか


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ひとが いきると いうことは
しぜんに いきさせられると いうことに ちがいない


すべては はなから きめられている
じぶんで きめられることなど ひとつも ない

しぜんの ままに いきるとは 
おそらく そういうことだろう


つまりは 
すべて きめられたとおりに いきさせられると いうことだろう


それで いいのかも しれないが
それで じゅうぶんなのかも しれないが


じぶんで きめる みちも ある

もちろん そんを かくごで

しぜんに さからって 
とくなことなど ないだろう

おおきなものに はむかえば
きっと ろくなことは ないだろう


それでも じぶんで きめる みちは ある


『いま きみも その わかれみちの まえに たっている』

ぼくと いっしょに


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『かせきに なると いうことは』

わすれさられて しまうこと
ひとの きおくから あとかたも なく 
きえて なくなってしまうと いうこと

そのとき ひとは えいえんに なり
そのとき ひとは すべてに なり
そのとき ひとは むに かえる


ここうで あるとは そういうことなの かもしれない


ここうで あることは むずかしく
わすれられることは たやすい

ならば わすれられることから はじめたら
ここうの ひとに なれるの かもしれない

ここうの ひとに なれば
こどくにも たえられるように なるの かもしれない


ところで 

かせきに なっても
よろこびは まだ かんじるのだろうか


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~






「長い題」=詩のような題(その21)






「長い題」=詩のような題(その21)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


『わらいを くろで ぬりつぶしては いけない』


わらいは 
それを うしなった ひとに あたえられた ときに わらいとなる

わらいは
かなしみを すいとった ときに わらいとなる

わらいは
ひくい ばしょで しいたげられている ひとたちの 
かおを ほころばせた ときにだけ わらいと なるのです


だから わらいを
すでに わらっている ものに あたえては ならない

だから わらいを
たかい ばしょで しはいしている ものに あたえては ならない

だから わらいを
けんりょくに こびるための しゅだんに しては ならないのです


そうすれば わらいは
くろで ぬりつぶされて
にんげんの みにくい こころを うきたたせ
くらやみの なかで ほくそえむ ことに なります


だからこそ わらいは
ないている ひとにしか あたえることが できないのです

かなしみを しらないものには
くらやみで ほくそえむことしか できないのですから

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『たりないものが あれば』
それを たすことが できるのに

よぶんなものが あれば
それを へらすことが できるのに


でも そういうものが みあたらない

ほんとうに こころの そこから たりないと おもうものも 
しんそこ こまることも なにひとつ ない この よのなかで
こころの こうふくだけが どこにも ない

こんなことが あるのだろうか
こんなことが ありえるのだろうか

でも まちがいなく ここに ある
めを ひらけば たしかに ある


どうやら みんなで がんばって
そんな せかいを つくりつづけて きたらしい

そして まだ 
だれも それを やめない


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『わたしは モバイラーです』

いいえ 
モバイル・タブレットでも モバイル・フォンでも ありません
モバイラーです

だから テレフォンも メールも ネットも できません


わたしに できることは ひとつだけ
それは あなたを モバイル することです

あなたの ハートに アクセスして 
そのなかに ねむっている あなたの ヒューマン・マインドを 
あなたの フレンドの もとへ デリバリします


まず 
あなたが コミュニケートしたい フレンドの シグネチャを
インプットしてください

3びょうご 
わたしは ゆっくりと  あなたの ボディ&ソウルを 
1メートルだけ モバイルします

あなたの マインドを きどうに のせるためです

それで 
あなたの マインドは 
あなたの フレンドの もとへ 
サブミットされます


わたしの しごとは ここまでです

あとは あなたが 
あなたの マインドの あとを おって
あなたの ヒューマン・ボディを いどうさせてください 

その さぎょうは 
あなた じしんで おこなう ひつようが あります

それでないと フレンドシップは せいりつしません


そもそも 
わたしが かいはつされたのは
この ヒューマン・コミュニケーションに かんする じじつが 
はんめいしたから なのです

つまり
テレフォンや メールや ネットのような モバイル・コミュニケーションは 
ヒューマン・マインドに おける フレンドリーな コミュニケーションとは
かんぜんに ふてきごうで あるという じじつが 
あきらかに なったのです

それで わたしのような モバイラーが かいはつされました


そうです
モバイラーの ほんとうの もくてきは

ヒューマン・マインドが かんぜんに とらわれてしまっている
モバイル・コミュニケーションから 
ひとの マインドを ひきはなして とりもどす ことなのです


といっても もちろん
モバイルを せんたくすることも かのうです

ヒューマン・コミュニケーションは 
ウォーム&テンダーな ツールでは ありますが
いっぽうで ブロークン・ハートになる かくりつがたかく
ふあんていな コミュニケーション・ツールです

そのてん モバイル・コミュニケーションは
クールで あんていした ツールであり
リスクは ひくいと いわれています


ふたつのうち どちらを えらぶかは
かんぜんに あなたの じゆうです


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

※最後のは、コンセプチュアルな立体作品を想定した「タイトル」です。
これは、遊びのつもりで作りました。
(こういうのは、今のところ本気で作る気はありません)

本当に人をのせて動く「モバイル・フォン」のような形の物を作って、その画面に上の文章を表示させます。


※スイマセン、いつもこんなバカげたことを考えてしまいますが、決して凄くバカなわけではありません。
まぁ、リコウでもありませんけど。

『じゃ、なんなんだよ!』

「フツウ」


「長い題」=詩のような題(その22)








「長い題」=詩のような題(その22)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『ピエロのように いきれば』
きっと たのしいに ちがいない


ピエロのように たまのり
ピエロのように つなわたり
ピエロのように さんりんしゃ


きっと たのしいに ちがいない


ブカブカの くつを はき
ダブダブの ズボンを ひきずって
ひょこひょこ あるく


きっと たのしいに ちがいない


はげちゃびんの かつらを かぶり
なきがおの けしょうを ぬって
つんのめって ころんで みせれば だいかっさい

サーカスは われんばかりの だいかっさい
ピエロは サーカスいちの にんきもの


だから きっと たのしいに ちがいない


ないているのに わらってる
つんのめっても よろこんで
ひっくりかえって おおわらい

そんな ピエロのように いきれば


きっと たのしいに ちがいない


みんな よろこんで いるなら

きっと たのしいに ちがいないから


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『アンビバレントな アンバランス』

ゆらゆら ゆられて ながされそう
でも
くっついて はなれない

ふらふら とばされて しまいそう
でも 
やすやすとは はなさない


そんな アンビバレントな アンバランスが からまりあって
いきもののように うごきだす

しょくぶつのように ねを はり
どうぶつのように せいちょうし
そして 
にんげんのように かんがえ はじめる

すると 
アンビバレンスが ふくらんで
くらくら めまいで たおれこむ

また ひとつ アンビバレントな アンバランスが できあがる


でも いつのまにか 
ぼくは バランスを とりもどし ただよっている

ゆったりと なみに ゆられて ただよっている


でも きっと 
また アンビバレンスに つかまって
また アンバランスに たおれこむ


そんな ふうに いきていても
こまることは ないのだ けれど

そんな ふうに しんでいくのも
こまることでは ないのだ けれど 


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『かこを すて 
みらいも すてて 
げんざいを いきる』

それとも

かこを とりこみ 
みらいも とりこんで
げんざいを いきる


かこを すてることは できるのか

できる わけが ない
それじゃ げんざいが きえてしまうから


みらいを すてることは できるのか

できる わけが ない
それを いいおわらない うちに 
すかさず おしよせる みらいを すてることなど ふかのうだ


かこを とりこむことは できるのか

それが できない わけは ない
かこは すでに ここに あるのだから


みらいを とりこむことは できるのか

それが できない わけは ない
みらいも すでに ここに あるのだから


じかんとは 
かこと みらいと げんざいが
ひとつの いまに ふくまれた せかい

そんざいとは
すべての ものが ひとつの もの
ひとつの ものが すべての もの
そんな
ひとつの てんに すべてが ふくまれる せかい


じつを いえば
そこに じかんは ない
ほんとうのことを いってしまえば
そこに そんざいなど なにも ない

そこに ながれは なく
そこに うごきも ない

たいせきも なく
しつりょうも ない


そんな むの なかに
すべての ゆうが ふくまれる

そういう てんの なかに
なんと すべてが ふくまれる

すなわち ゼロの なかに
むげんの かずが ふくまれる


さからっても しかたない
じかんに さからったって しかたがない

こんな よのなかに いきている われわれに
できることなど なに ひとつ ないのだから







「長い題」=詩のような題(その23)







「長い題」=詩のような題(その23)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『このよに いっさつしか ない ししゅう』


にくひつで かかれた その ししゅうは
ひらけば ひとの こえが するという

その こえを きいたものは 
けっして その ことばを わすれることは なく
それを かたりつぎ ひろめて ゆくという

その ことばは ひとの こころの なかに 
ねを はり
えだを ひろげ
やがては たいぼくのように おいしげる

もはや ししゅうが そんざいする いみは うしなわれ
はじめの ことばとは まったく ちがう ことばが 
つぎつぎ つむぎだされて ゆく


ほんらい ししゅうとは

そんなもの なのかもしれない


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ほんとうの おくりもの

いま きみに おくりものを おくろう
そう きみに ほんとうの おくりものを おくろう


あまっている ものを あげて 
それを おくりものと いえるのか

ぼくは それを おくりものとは よばない

いらない ものを わたして 
それを おくりものと いえるのか

ぼくは それを おくりものとは よばない

それならば
ひとが よろこぶ ものを おくれば
それを おくりものと いえるのか

いや それでも ぼくは それを おくりものとは よばない


たしかに よのなかは うまくいく
いらない ものを あげて
もらった ひとは よろこぶ
すべて まるく おさまるに ちがいない

でも それは ほんとうの おくりものでは ない

なぜなら 
よろこびだけが おくられて
かなしみが おくられて いないから

だから その おくりものが ひとの こころを うごかすことは ない
だから それは ほんとうの おくりものでは ない


いま きみに
ほんとうの おくりものを おくろう

いま きみに

それを うしなえば ぼくが いきて いかれなく なるような 
そういうものを いま きみに あげよう

いま きみに

それを おくれば ぼくが きみに きらわれ ときには にくまれて しまうような
そういうものを いま きみに おくろう


そう きみに 

ぼくの なかみを そっくり きみに てわたそう



おそらく きみを よろこばせることの ない
この 『かなしみの ギフト』を

はたして きみは うけとって くれるだろうか


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「長い題」=詩のような題(その24)





「長い題」=詩のような題(その24)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『なにかが でていった わたしの なかから』

それは けっして うつくしくは なく
かといって それほど みにくいと いうほどの ことも ない
ごく ありふれた なにかで ありました

それは わたしに とっては かけがえのない たいせつなもので
てばなしたくは なかったのですが
とうとう でていって しまいました


なんとも ばかげた はなしでは あるのですが

いま それが なくなって 
とても よかったと おもっています


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『みらいとは そこに むかって いく ばしょでは なく
かことは むかし そこに いた ばしょでは ない』

げんざいの なかに ある あこがれ 
それが みらい

げんざいの なかに ある あいちゃく
それが かこ

えいえんの みらいから 
えいえんの かこまで
その すべてが つまった げんざい 
それが じかん

だから わけることは できない
かこも みらいも わけられない
げんざいの なかに つまって いるの だから

かこ げんざい みらいと 
じかんを じゅんばんに ならべることは できない

それは くうかんの はなしだから
それは じかんの はなしでは ないから

だから わけることは できない


それでも ひとが それを わけて しまうのは
それでも ひとが それを わけたく なるのは

あこがれが ひつよう だから 
あいちゃくが ひつよう だから

どうして ひつようなのかは わからない

でも きっと 
それで じかんが つづいて いるに ちがいない


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『ともを さがして たびに でる』
このよに ともは いないことが わかった

おやを さがして たびに でる
このよに おやは いないことが わかった

じぶんを さがして たびに でる
このよに じぶんの のぞむ じぶんは いないことが わかった

もう さがすのは やめて
いないものを さがしても はじまらないので

じぶんで つくるのも あきらめて
つくっても また うしなうと かなしく なるので


それでも なんとか もういちど
あきらめ きれずに もういちど

そう もう いちどだけ さがしてみた
そう じぶんの なかを 
もう いちどだけ さがしてみた

それで ようやく みつけ だしたのが
みじめに ちぢこまった ちいさな じぶんなのでした


じぶんとは きっと そういう ものでしょう


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「長い題」=詩のような題(その25)




「長い題」=詩のような題(その25)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『みっつ からだが あったら』
あれも これも できるだろう

みっつ あたまが あったら
あれも これも わかるだろう


でも ひとつだけ
あたまも からだも ひとつだけ

だから ひとつしか できない


あぁ それなのに 
その ひとつが なになのか

それすら だれにも わからない


もしかすると

それで みんな きかいの ように
はたらき つづけて いるのか


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はなのような ちょうが
ちょうのような はなに とまった そのとき 

はたして せかいは ぎゃくてん するのだろうか


おもては うらに
まえは うしろに
うえは したに

そして 
ひかりは かげに


そんな とき
いったい ひとは なにに へんぼうするの だろうか

それを みに ゆきたいと おもいます


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「長い題」=詩のような題(その26)







「長い題」=詩のような題(その26)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『わたしには なまえが ない』


なまえは いらない かおが あれば
かおが ないなら なまえが いる


なまえが なければ いきづらい
かおが あっても いきづらい
いきて いるから いきづらい

なまえが あれば いきやすい
かおが なくても いきやすい
いきて ないから いきやすい


でも どちらかを えらぶしか ない

かおも なまえも ない ひとは しんでしまう
かおも なまえも ある ひとは いない


だから わたしは 
かおを うしなうことは できない

わたしには なまえが ないのだから


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『きみに あげる これを あげる』
はなたばだと おもって

きみに あげる これを あげる
ダイアモンドの ゆびわだと おもって

きみに あげる ぜんぶ あげる
ほんとは はなたばじゃ ないけど
ほんとは ダイアモンドじゃ ないけど

そう 
ただ ぼくが あげたい だけなんだけど


ぼくは ただ あげる だけで うれしいけれど
きみは ただ もらう だけで よろこんで くれるだろうか


もしも きみが よろこんで くれたら 

それで いい


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『いきたい ように いきる』

やりたいことだけを やり
やりたくないことは やらない

いいたいことだけを いい
ききたくないことは きかない

つまりは
ぼうじゃくぶじんに いきる


ただ もんだいなのは 
なにを したいのかが わからないと いうこと


はたして よのなかに

それが わかっているものが いるだろうか


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「長い題」=詩のような題(その27)







「長い題」=詩のような題(その27)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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うちゅうには うつくしい ほしも あるという
ちじょうには らくえんと いわれる ばしょが あるという


はなは さきほこり
なみうつ うみは かがやき
ひとは みな よろこびの なかに いきている

たしかに 
『そんな らくえんと いわれる ばしょ』が 
あると いわれている


まだ

みたものは いない

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『ちょうのように さき
はなのように まう』

そらに さく はなは
ちょうのように まい
えだを のばして とぶ ちょうは
はなのように さきみだれる

そんな ときには
ちょうと はなを へだてている かべは きえ
せかいは ひとつに なるだろう


しぬまでに いちにちだけ
そういう せかいに くらすことが

いまの のぞみ

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「長い題」=詩のような題(その28)





「長い題」=詩のような題(その28)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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ようこうろで とかされる

『メルティン モルト メルト・ダウン』
いまの おんどは 300ど

もうすぐ きっと とけはじめる

まっかな よろこび おどってる
いまの おんどは 800ど

1000どを こえたら とけはじめる

ふつふつ いかりが わいている
メルティン・ポットは 1000どを こえて
いまの おんどは 3000ど

とうとう とけて なくなって
よろこびも いかりも なくなって
かなしみだけが のこされる

メルティン モルト メルト・ダウン
ようこうろで かもされる

いまの おんどは 30000ど
ついには ようこうろも とけはじめ

メルト・ダウンが はじまった
50000 70000 95000
いよいよ おんどは 100000ど


メルティン モルト メルト・ダウン
メルト・ダウンが やってくる
この せかいを ときはなつ そのために

メルティン モルト メルト・ダウン
ようこうろも かもされる
いまの おんどは ぜったい0ど

つめたく しずかに 
メルト・ダウンが すすんでる
ひとの こころを ときはなつ そのために


あっというまに 1000ねんご 

はれわたる そらのした
メルト・ダウンの かんりょうだ
いまの おんどは 36ど


これで やっと 
たましいが いきられる 



注:一応お断りしておきますが、「原発反対または賛成」ということとは関係ありません。
  私はどちらかと言えば反対ですが、いったい、どうやって「原発」を終わらせればいいのでしょう?

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『ウイルス・トレインに のって パンデミックが やってきた』


ウイルスたちが あばれだす
ロック・ダウンじゃ おさまらない

スプラッシング ザ クラスター
デッド・タウンじゃ おわらない


ウイルスは もどれない
Don't look back
ウイルスは とまれない
Got keep moving

ひとは ふりかえることが できるのか
Back to Origin
ひとは たちどまることが できるのか
Change your Heart


Change is gonna come

ウイルスたちが やってくる
ときを つげに やってくる

Time is coming

パンデミックが はじまった
くるった まつりが はじまった
100ねんぶりの おまつりだ

はやくしないと おわってしまう
のりおくれたら おしまいだ


そうしたら 
また 100ねん
こんな せかいで くらすことに なる



注:念のためお断りしておきますが、人命軽視などの意味を含むものではありません。
  コロナ・ウイルスによる被害を軽く扱うようなつもりは全くありません。  
  もしも、そういう印象を持たれた方がいらしたのであれば、申し訳ありません。
  どちらかと言えば、そういったこととは逆の意味で書いたものです。

※本文中に「ダイレクトな引用」ではありませんが、引用に近い部分が有りますので、以下に記しておきます。
 すべて、音楽のタイトルや歌詞で、[YOU TUBE]のリンクも貼っておきます。
 ただし、必ずしも曲の内容と上の文は関係ありませんので、その辺はアシカラズ。

 「ウイルス・トレインに のって パンデミックが やってきた」
  =Rev. Edward W. Clayborn 『The Gospel Train Is Coming』より。
 「Don't look back」=Bettye Swann 『Don't look back』より。
 「( I ) Got keep moving」=Robert Johnson 『Hellhound On My Trail』より。
 「Change is gonna come」=Sam Cooke 『Change is gonna come』より。

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『ファンキー パンキー パンデミック』
いかれた ウイルスたちの ブレイク・ダンス
せかいじゅうで まきおこる

スーパー デューパー フェスティバル
とじこめられた たましいたちの ライオット ゴーイン オン
しずかに きょこうを はかいする


ウイルスたちの ダンシング

ひとの れきしを みせつける
くるった おどりで みせつける

ころしあいを みせつける
けんりょく しはいを みせつける
さべつの こころを みせつける
しゅせんどの きょうそうを みせつける
みえの はりあいを みせつける
じこほしんを みせつける

きみょうな かじつを きに つるし
やさしさの しかばねを のに さらす


そんな ことの くりかえし
そんな れきしを みせつける
くるった おどりで みせつける

そんな しばいを みせつける
ウイルスたちが みせつける
おどり くるって みせつける
にんげんたちに みせつける

せかいじゅうを まきこんで
パンデミックが みせつける
れきしの きょこうを みせつける


いったい
この しばいに まくを おろすものは いないのだろうか



注:念のためお断りしておきますが、人命軽視などの意味を含むものではありません。
  コロナ・ウイルスによる被害を軽く扱うようなつもりは全くありません。  
  もしも、そういう印象を持たれた方がいらしたのであれば、申し訳ありません。
  どちらかと言えば、そういったこととは逆の意味で書いたものです。

※本文中に「ダイレクトな引用」ではありませんが、引用に近い部分が有りますので、以下に記しておきます。
 すべて、音楽のタイトルや歌詞で、[YOU TUBE]のリンクも貼っておきます。
 ただし、必ずしも曲の内容と上の文は関係ありませんので、その辺はアシカラズ。

 「スーパー デューパー」=Sugar Billy 『Super Duper Love』 より。
 「きみょうな かじつ」=Billie Holiday 『Strange Fruit』より。
 「ライオット ゴーイン オン」:=Sly & The Family Stone 『There's A Riot Goin' On』(Album Title)より。

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「長い題」=詩のような題(その29)





「長い題」=詩のような題(その29)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『どんよくに いきるか 
どんよくに しぬか』

いきることに どんよくに なれば
ちからを えることが できるが
いきざまとしては みにくい すがたに なるだろう

しぬことに どんよくに なれば
いきざまの みにくさからは はなれられるだろうが
ちからを うしない さまよい つづけることに なる

しかし そもそも
みにくいことは わるいこと なのか
うつくしいことは ただしいこと なのか
ちからは なければ ならない ものなのか

おそらく だれにも わからない


ただ わかっているのは

どんよくであると いうことが
うつくしくは ないと いうこと


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『グッド・ラック フォー ハード・ラック』

ハード・ラックな じんせいを おくっている あなたに
グッド・ラックを おくります
ことばだけでも

ハード・タイムな じだいに うまれてしまった あなたに
グッド・ラックを おくります
ことばだけでも


おくれるものは ことばだけ
でも
くちで いってる わけじゃない
たましいを つかって いいましょう


いま ダブル・トラブルの なかに いる あなたに 
グッド・ラックを おくりましょう

あなたの じんせいに なにひとつ いいことが ないとしても

グッド・ラック フォーエバー



※この「詩のような題」は、下にある曲に影響を受けています。
全体の歌詞を日本語で読んでいないのでよくわかりませんが、歌詞や曲調には必ずしも関係ありません。
主に、言葉の持っている「ひびき」に影響を受けたのだと思います。







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『アンラッキー・ブルースは 
どこにでも ころがっている』
いしころ みたいな ものだから

ストーン・イン・マイ・パスウェイ 
みちばたに たくさん ころがっている
ふうん なんて ありふれた ものだから

さけることは できない


でも 
ふだんは それに きづかない
いしころ みたいな ものだから

つまづいて いても きづかない
たくさん ころがっている ありふれた ものだから

のりこえて いても きづかない
かんたんに のりこえられる ものだから

だから 
ひとを ふみつぶして いても きづかないで いられるのさ
かんたんで ありふれた いしころ みたいな ものだから

どうってこと ない


でも いちどでも 
いしころが ころがって いるのに きづいてしまえば
アンラッキー・ブルースに つかまって
もう たちあがることも できない


だって 
その いしころって
アンラッキー・ブルースに つかまって
たちあがれなく なった やつらの あたま なんだぜ

あんた それを ふみつぶして いけるのかい



※この「詩のような題」は、下にある曲に影響を受けています。
全体の歌詞を日本語で読んでいないのでよくわかりませんが、歌詞や曲調には必ずしも関係ありません。
主に、言葉の持っている「ひびき」に影響を受けたのだと思います。









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『300かいに 1かいだけ めぐってくる こううん』




「長い題」=詩のような題(その30)です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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ぜつぼうの むこうには 
きっと きぼうが まって いるのだろうか

いや ちがう
きぼうの むこうから かならず ぜつぼうが やってくる

ふうんの つぎには
いつか こううんが めぐって くるのだろうか

いや ちがう
グッド・ラックの うらがわに はじめから バッド・ラックが はりついている


きぼうとは 
ぜつぼうから とおく はなれた ところに ある こころ
こううんとは
アンラッキーを はるかに うわまわる ラッキーの れんぞく


つまりは
ラッキーの れんぞくこそが ほんとうの こううんで あり
こううんの れんぞくこそが ほんとうの きぼうに なる

だから ときどき やってきたのでは たりない


たしかに 
くらやみに あっても 
ひは また のぼるだろう

たいようは あっとうてきな ちからで 
やみを あとかたも なく かきけしてしまう
だから それで いい


しかし 
ひとに そんな ちからは ない
だから きぼうを うばいあう
だから こううんを むしりとる

グッド・ラックを うばいとった ものが 
ラッキーの れんぞくを ひき あて
こううんを むしりとった ものが
きぼうの れんぞくを てに いれる

うばわれ むしりとられた ものたちは
おそらく てに はいることの ない きぼうを おいつづけ
『300かいに 1かいだけ めぐってくる こううん』に 
うれしなみだを ながして いきていく 

それを きぼうだと しんじて



そんな ときには

もう 
のこりかすの きぼうを きぼうと よぶことは ないし
もう
しょうがいに 3まいだけ もらえる ビスケットを 
こううんだと おもい つづけることも ない

そして 
それと おなじように

もう
よぶんに おしつけられた ぜつぼうを うけいれる ひつようは ないし
もう
いかさまで つかまされた ふうんを せおいこむ ひつようも ない



そう そんな ときには

きぼう と ぜつぼう
こううん と ふうん
どれひとつも のみこんでは ならない


うばっている ものたちから みれば
それらは どれも みな おなじような ものだ

どれであっても 
それを のみこむものが いれば
そのぶん じぶんたちに こううんが れんぞくして ころがりこむ

そういう からくり



だから そんな ときには

それを ひとつぶたりとも のみこんでは ならない

それを のみこむものが いなくなれば 
からくりは あばかれ
こううんの れんぞくは ほうかいする



だから それを のみこんでは ならない
ひとりだけでも


なぜなら そんな ときには

その ひとりこそが 
うばわれつづける ものたちに とって

ただ ひとつ

ほんものの きぼう なのだから


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※この「詩のような題」は、下にある曲に影響を受けています。
全体の歌詞を日本語で読んでいないのでよくわかりませんが、歌詞の意味や曲調には必ずしも関係ありません。
主に、言葉の持っている「ひびき」に影響を受けたのだと思います。














『なまえを すてた ものには』




「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『なまえを すてた ものには』
たましいが あたえられる


ひとは
なまえを あたえられることに よって 
にくたいの なかに はいりこみ
その にくたいが いきる いばしょを えることに なる

おさないころ までは 
それで いい
まだ たましいを もとめていないから


でも 
たましいを もとめるように なると
それは 
にくたいと その いばしょに 
たましいが とじこめられることを いみするように なる

それで たましいが いたみを かんじるように なる


なまえを えらび
いごこちの いい いばしょを えるか
それとも 
なまえを すて たましいを えらび
いばしょを うしなって いきていくか


たましいを えらんだからと いって
いたみが きえるわけでは ない
いや むしろ
なまえを えらんで たましいを わすれている あいだは
いたみは かんじなくなる



ふたつの いきかたのうち どちらを えらぶかは
かんぜんに じゆうだ

じぶんにしか きめられない



だから
ひとには なまえが あたえられなければ ならない

ひとは
なまえを あたえられないと 
なまえを すてることが できずに

たましいに であうことが できなく なって しまうのだから


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『ろんりに いみなど ないのです』




「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『ろんりに いみなど ないのです』

にんげんの こころの なかから
ろんりを はずして のこった ものが
たましい なのですから


だから 
たましいが あれば
ろんりなど いらないのですが

たましいは だれにも おなじように
ひとつづつ あたえられて いるのですが

ろんりで できることと いえば
いいわけ くらいの もの なのですが

ろんりが けつろんに とどくことなど
こんりんざい ありは しないのですが


どういうわけか 
ろんりを もっていないと
たましいを みうしなってしまう という

 
そんなことには こまります






『とくべつな いろ』






「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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いろが ほしい
『とくべつな いろ』が


ふつうの いろじゃ だめなのか
ふつうの いろなど いらないか
ふつうの いろでは つまらないと いうのか


ならば きこう

とくべつな いろとは なにいろか
ふつうの いろとは どのいろか

どんな いろが ほしいと いうのか


こたえられる わけが ない
ゆびさせる はずが ない

そんな いろを みつけだせる やつは 
きっと ひとりも いないだろう



あなたが ぬれば 
それは あなたの いろに なり
わたしが ぬれば 
それは わたしの いろに なる

おそれずに 
その いろを ぬりましょう
ちぢこまって いないで
おもいきって ふつうの いろを ぬりましょう


それが あなたの いろに なり 
その いろが あなたに なるでしょう

あなたの いろに そまりましょう
あなたの ふつうの いろに そまりましょう

あなたが そまりきった その とき
あなたは かんぜんに その いろに なり
その いろは かんぜんに あなたに なります

ふつうの いろが 
このよの ものとは おもえない かがやきを はなち

とうとう 
あなたに とっての
もっとも とくべつな いろに なるでしょう

そうです
あなたは せかいじゅうで ただひとり


ついに その いろを 

みつけだしたのです


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※イメージ・ソングのような意味で下の曲をつけておきます。
英語はわかりませんが、歌詞の内容と上の「詩のような題」はほとんど関係ありません。






どちらがいいかわからないので、もう一曲






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『むかし いた ばしょを おもいだす』






「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『むかし いた ばしょを おもいだす』

それは 
あたたかい つちや くさばなに おおわれた
やわらかい ばしょで ありました

むかし いた じかんを おもいだす
それは
ひそひそと たのしそうに はなしを する こどもたちの こえや
そとから きこえる とりの さえずり だけが ただよう
ゆるやかな じかんで ありました


そんな きおくを たどって
むかし いた その ばしょに かえって みました
そんな ときを なつかしく おもって
むかし いた その じかんに もどって みました


ところが 
なつかしかった その ばしょは
やわらかい ばしょではなく
もどりたかった その ときは
ゆるやかな じかんではなく

その ばしょには
ガラスの はへんが さんらんする けわしい みちを
とけいの びょうしんに せきたてられて 
あるきつづける ひとたちが ひしめいている
そんな じかんが ありました

いまと おなじように


もしかしたら おもいでを さかのぼる とちゅうで
みちを まちがえたのかとも おもいましたが
まちがえようは ありません

あるきつづける ひとたちに はさまれて
こどもの わたしが いたのですから 
まちがえようは ありません


しかたなく なつかしい ばしょを あきらめて
いまに もどって きて みると
たしかに 
みちは けわしさを ましており
ときの せわしなさは とうの むかしに げんどを こえて
ひしめきあう ひとびとは けたたましい さけびごえを あげています

けっきょく 
むかしも いまも いいとは おもえません


それでも
わたしは そのことが わかって よかったと おもいます

もう 
そこに もどる ひつようが なくなりましたから

もう
ひしめきあって いがみあいながら
いっしょうけんめいに ガラスを ふみつづけるのは

やめようと おもいます


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※下の曲はブルースの中では一番有名な曲かも知れません。

この曲を作ったといわれているロバート・ジョンソンはシカゴがカリフォルニアにあると思っていたようです。
(別の説もあると思いますが)
彼は、シカゴにもカリフォルニアにも行かずに死んでしまいましたが、たくさん人が居てたくさん仕事があって黒人でも豊かな暮らしができると思ってシカゴにたどり着いた黒人たちも、けっきょく「田舎の貧しさや田舎の差別」から「都会の貧しさや都会の差別」に変っただけだったようですから、彼はシカゴに行き着けずに、シカゴがカリフォルニアにあると思い込んでいられてよかったのかもしれませんね。







『うずくまって はねを やすめていても』




「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『うずくまって はねを やすめていても』
けっして らくとは いえない

なぜなら うちひしがれて いるから
だから らくとは いえない

うちひしがれて いるのは からだだけ ではない
ぜんしん ぜんれいが うちひしがれて いる
だから けっして らくとは いえない


それでも ここにいると 

ここに こうして うずくまって 
はねを やすめて じっとしていると

もしも ここで しんだら
きっと ここが まいそうのちに なるのだろう

そんなふうに おもえてくる
ここが どこなのかも わからないと いうのに

だから けっして らくとは いえないと いうのに


※この「詩のような題」は、今は『かなしい ときは なきましょう』というタイトルをつけている絵に使っていたんですが、そちらのタイトルを変えたので、今のところ、この「詩のような題」に対応する絵はありません。

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※上の「詩のような題」のイメージに近い曲です。






もう一曲





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この「詩のような題」は、一枚の絵に一つのタイトルとは限りません。
「入れ替え可能な題」という考え方をしています。
(もちろん、タイトルと絵が切っても切れないような関係にあるものもありますが、そうでない場合もあります。)
そのため、絵よりも題の方が先行することもありますし、絵に対して題を考える場合もありますし、もともと、出来ていた絵とタイトルを組み合わせることもあります。

もちろん、見る人が勝手に絵と題を組み合わせることも出来ます。
抽象性って、そんなことじゃないかと思いますよ。

そういうことですので、どうぞよろしく。














『それは たぶん かなしいことが あるから』






「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なんで いつも おこっているの

『それは たぶん 
かなしいことが あるから』


なんで いつも わらっているの

それも たぶん
かなしいことが あるから


それなら なんで ないては いないの

それは たぶん
かなしすぎることが あるから



かなしいときに なける ばしょが あれば
たぶん それで いい
かなしいときに なける じかんが あれば
たぶん それで いい
かなしいときに なける あいてが いれば
たぶん それで いいのだろう

そこで なけば いいのだから


かなしいときに なける ばしょが ないと
ひとは わらってしまう
かなしいときに なける じかんが ないと 
ひとは おこってしまう
かなしいときに なける あいてが いないと
ひとは どうすることも できずに
かなしみを ためこんでしまう

だから 
かなしすぎる ときには
ひとは なくことが できない


「いまの なか」に 
なける ばしょが あるだろうか
「いまの なか」に
なける じかんが あるだろうか
はたして 「いまの なか」に
なける あいては いるのだろうか

「いまの なか」では どれも みつけられない
 
だから みんな
いみも なく おこっている
だから みんな
いみも なく わらっている
だから みんな
しにそうに なるまで かなしみを ためこんで
かなしいのに なくことだけは できない

ないて しまうと
「いまの そと」に はじきだされて しまうから



だったら みんなで ゆきましょう
「いまの そと」に ゆきましょう

なける ばしょに ゆきましょう
なける じかんを つくりましょう
だれかの 
なける あいてに なりましょう

「いまの なか」から はじきだされても いいから


おもしろい ばしょは 
もう いらない
せきたてられる じかんは 
もう たくさん
ギスギス せりあう あいてには
もう うんざり


もしも あなたが 
そんな ふうに おもうなら

「このえの なか」に きてください
「いまの そと」に はみだして

「このえの なか」で ないてください
「いまの なか」を ぬけだして



このえの まえに たっている あなたは 
たぶん かなしんで いるから
このえの まえに たっている あなたは
たぶん かなしみを ためこんで いるから
このえの まえに たっている あなたは
きっと かなしすぎて なくことが できずに いるに 
ちがいないの だから


もしも ほんとうに そうだったら

「このえの なか」で 
ないてください


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

※BGMとして下の曲をつけておきます。






~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この「詩のような題」は、一枚の絵に一つのタイトルとは限りません。
「入れ替え可能な題」という考え方をしています。
(もちろん、タイトルと絵が切っても切れないような関係にあるものもありますが、そうでない場合もあります。)
そのため、絵よりも題の方が先行することもありますし、絵に対して題を考える場合もありますし、もともと、出来ていた絵とタイトルを組み合わせることもあります。

もちろん、見る人が勝手に絵と題を組み合わせることも出来ます。
抽象性って、そんなことじゃないかと思いますよ。

そういうことですので、どうぞよろしく。






『ひとつぶの にんげんの たね』





「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

たいようのように なりたいか

いいえ
つちで ありたいと おもいます


だいちのように なりたいか

いいえ
いのちで ありたいと おもいます


しょくぶつのように なりたいか

いいえ 
どうぶつで ありたいと おもいます


どうぶつのように なりたいか

いいえ
にんげんで ありたいと おもいます



つまり
このまま にんげんで ありたいのか

いいえ
このまま にんげんで あれば 
にんげんに とどきません



だから わたしは 
『ひとつぶの にんげんの たね』で ありたいと 

そんなふうに おもいます







『べつの ほしに いって』





「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『べつの ほしに いって』
べつの くにを つくって
その くにに くらす

その
ミルクと はちみつの くにに



やさしく あまい かおりの ただよう
その くにでは
ひとの こころが
やわらかい つちの うえを はねまわっている

たのしそうに


べつの ほしに いって
すこし くろうすれば 
きっと そんな くにが できるだろう

そうすれば
きっと しばらくの あいだは
そんな ミルクと はちみつの くにで くらすことが できる

そう 
みっかくらいは くらせる かもしれない
まぁ
それ いじょうは もたない


でも
この ほしには

そんな ひは いちにちも ないから

いま 
この ほしには
ぼくたちに わりあてられる ミルクや はちみつは 
もう 
のこって いないらしい


だから 
べつの ほしに いって


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

※「ミルクと はちみつの くに」というのは、下の曲から拝借しました。
  (ほかの部分の歌詞はわかりません。)







『おんがえしが したくて』





「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『おんがえしが したくて』
つるは はねを ぬきました

おんがえしが したくて
ごんぎつねは たべものを はこびました

おんがえしが したい わたしは
いったい 
なにを すれば いいのでしょう


やっぱり
すりきれて はねが いっぽんも なくなるまで
はねを ぬき つづけなければ ならないのでしょうか

やっぱり
さいごに てっぽうで うたれて しぬまで
たべものを はこび つづけなければ ならないのでしょうか


もうすこし きらくな 
そう つまり
わたしのような ものにも できる おんがえしの ほうほうは 
ないのでしょうか


ものがたりの ように
ドラマチックで なくて いいから


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『カネという なまえの じゅもん』






「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ひたいに じゅもんの もじが うきあがる

かおから くびを つたって むねや せなかに 
そして からだじゅうに じゅもんが きざみ つけられてゆく

やがて 
ぜんしんに うきあがった じゅもんが
あらなわのように からだを しめつけはじめる

にくに くいこみ
てあしを しばりつける

もう
みうごきは できない


『カネという なまえの じゅもん』に しばられて
もう 
みうごきは できない

もう だれ ひとり
みうごきが できるものは いない


じゅもんの ロープに しめあげられて
あやつり にんぎょうの ように なすが まま

もう
その ひとみに いろは なく
いきているとは いえない


そのとき ひとは 
しゅせんどに なる



じゅもんの のろいを とくには
びんぼうに なるだけで いい

だれにでも できて 
さほど むずかしくも ないが

だれも やらない


みんな カネもちに ならないと 
じゅもんから のがれられないと おもっているから

だから 
だれも やらない


それこそが まさに 
その じゅもんで かけられた のろいなのに



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

※BGMとして下の曲をつけておきます。
 映画音楽(確か「ストレンジャー・ザン・パラダイス」という)として一時期もて
 はやされたことがある曲で、映画の挿入歌として聴くと効果的な曲なんですが、
 なにせ声が怖いんで、苦手な人はパスしてくださいませ。
 (でも、この人、本当はかなりコミカルな、というか、ふざけた人です。)









『わたしは えそらごとで ありたい』





「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『わたしは えそらごとで ありたい』

げんじつの なかに しんじつは みつからないから


わたしは うそつきで ありたい

もっともらしい ほんとう よりも もっともらしく ない うその ほうが
まだしも 
ほんとう なのだから


わたしは まぬけで ありたい

りこうな ひとより まぬけな ひとの ほうが
すこしだけ 
にんげんに ちかいような きが するから 


わたしは にせもので ありたい

ほんものの なかには ほんものが せんに ひとつしか ないのに
にせものの なかには ほんものが ひゃくに ひとつくらいは あるから



だから わたしは 

このよに ひとつしか ない

じぶんと いう 
えそらごとで ありたいと おもうのです








『どうせ そんなことは できない』




「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『どうせ そんなことは できない』

どうせ そんなことを いっても
どうせ そんなことを やっても

どうせ そんなことに あせを ながしても
どうせ そんなことに なみだを ながしても

なにも できや しない



でも できることには 

もう
いみは のこって いないから







『そらの なみだは あおく』




「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『そらの なみだは あおく』
あるときには
そこに オレンジいろの つぶが あらわれる

そう
この せかい ぜんたいが かなしんで いる ときには
そんな ことも あるの かもしれない


ひとが かなしめば 
そらが ないて
そらが ブルーの なみだを ながせば
ひとは かなしみを ふかめる

そして 
この せかい ぜんたいが かなしみに そまった その ときには
きっと ブルーの あめの なかに 
オレンジいろの つぶが あらわれる

その いろで 
ブルーの かなしみを やわらげる ために



あぁ また 
オレンジいろの つぶが はじけて

あおい なみだが きえて ゆく



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

※この「詩のような題」は下の曲のタイトル「Sky is Crying」から発想したものです。








『いでんしが しはいする せかい』





「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『いでんしが しはいする せかい』

それは 
にんげんが よくぼうに あっとうされ 
しょうどうに しはいにされる せかい
そして それは
やさしさや よわさが はいじょされ 
つよさと よばれている ぼうりょくが しはいする せかい


いでんしは つねに 
つよさを せんたくし よわさを はいじょする
いでんしは つねに 
よくぼうを せんたくし やさしさを はいじょする
こんきょは ない

はいじょされるのは きまって にんげんせい
こんきょは ない


いでんしは たいこの じょうほう 
だから 
まだ にんげんせいには たいおう していない
だから
いまも サバイバルを せんたくする

とりあえず いまは 
そんな ひつようが なくても
こんきょ なく
つねに いきのこりを せんたくする

ひたすら どんよくに



そうやって いつも せいめいの しゅは ほろんできた

いま にんげんも 
その わかれみちの まえに たっている



ほろびるのが あしたでは ないと いうだけだ






『ながされる いやされる』





「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『ながされる いやされる』

ながされる
じだいの ながれに ながされる
せけんの くうきに ながされる

いやされる
はてしなく いやされる
すべてを わすれて いやされる


それにしても

ながされずに いやされたいと おもうことは
たかのぞみ なのでしょうか






『それは できないと きづいたので』





「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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それが できるような きが して 
やってみる 

でも 
『それは できないと きづいたので』
ほかの ことを する

でも 
その ほかの ことも できないと わかり 
また べつの ことを する

でも 
その べつの ことも できないと しって
することが なくなる


どうやら 
ぼくに できることなど 
はじめから なかったらしい



ところが それが
とても きもちいい

どこからの ちからも かからない
そんな フリー

ただ それを 
うけいれる だけで いい



だから つづけることに した
できないを



もしかすると
できることは こうふくな ことなの かもしれない

でも
そんな ひんそうな こうふくは
もう いらない


できないことの ほうが 

はるかに しぜんで
はるかに えいぞくてきで 
はるかに りそうてきで 
はるかに すてきな 

そんな フリーに
すこしだけ ちかい きが するから


ならば もう
そんな できるは 

いらないでしょう








『きっと あいが もちあげて くれる』





「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『きっと あいが もちあげて くれる』

きっと
あいは ひとを すくいあげて くれる
きっと
あいは ひとを ひろいあげて くれる

きっと
あいは ひとを つきおとしたりは しない



そう もしも

その あいを
ひとが つくりだすことが できるのならば



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※この「詩のような題」は下のゴスペルのタイトルから発想しました。
私自身は、信仰や宗教とは無関係にゴスペル音楽を聴いています。
そのため、ゴスペルの歌詞との間には、意味の食い違いがあると思います。
ゴスペルで歌われる「愛」は主に「神の愛」だと思いますが、ここでは、主に「人間の愛」を考えています。
つまり「不完全な愛」ですね。

私は「完全なモノ」よりも「不完全なモノ」に惹かれますので、どうしても「不完全な愛」の方に近づいて行ってしまいます。
その「不完全な愛」の中に「完全性」を創り出したり見つけ出したりすることは出来ないのかも知れませんが、そういう姿勢を持ち続けることが出来る人は、「ステキ!」






ついでと言ってはなんですが、おなじ、スワン・シルヴァートーンズの別のアルバムも。
(こちらの方が、少し新しいもので、よりソフトなヴォーカルが楽しめるかと)












『きみは あいを しっているかい』






「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『きみは あいを しっているかい』

いや もちろん 
ぼくは しらない


きみは どうすれば あいが てに はいるのか わかるかい

いや もちろん  
ぼくにも わからない


いったい きみは 
あいに ついて なんにも しらないと いうのかい

いや いや 
もちろん ぼくだって 
なに ひとつ あいに ついて しってることなんか ないんだけれど



いま
ぼくの なかに あいが あるような きがして

さっき 
きみの なかに あいが みえたような きがして



だから きみなら もしかして
あいを しっているかと おもって 

だから きみなら もしかして
ぼくに 
あいを おしえて くれるかと おもって


でも 
その まえに

ぼくが きみを あいして いるなら
それで じゅうぶん なんだけど



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※この「詩のような題」は下の曲に着想をもらいました。
(英語はわかりませんが、たぶん、全体の歌詞とは意味の食い違いがあると思います。)









『もしも あなたが かちたいならば』





「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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かちたいならば
その ほうほうを おしえましょう


『もしも あなたが かちたいならば』
よわい あいてを みつけなさい

もしも あなたが かちたいならば
その あいてが ゆだんしている ときに やりなさい

もしも あなたが かちたいならば
さらに その あいての うしろから おそいなさい


そうすれば きっと あなたは かてるでしょう


けっして つよそうな ものと たたかっては いけません
けっして せせいどうどうと しょうぶしては いけません
けっして ひれつな やりかたを けぎらいしては いけません

じぶんが つよくなれば かてると おもうのも まちがいです

じぶんが どんなに つよくなっても 
その じぶんより よわいものにしか かつことは できません
つよくなれば じぶんより よわいものの かずが ふえるだけです

かちたいならば 
まよわずに おやりなさい
まよえば きっと まけるでしょう


だから もしも あなたが かちたいならば 
この ほうほうで やりなさい



そう もしも 

あなたが それを 
はずかしいと おもわないの ならば

この ほうほうで おやりなさい



かならず かてますから




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※イメージ・ソングのような意味で、下の曲をつけておきます。











プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、他の仕事もしながら、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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