FC2ブログ

Categoryランダムな芸術論 1/10

「オリジナリティ」は大事なのでしょうが・・・

芸術において、やはり、「オリジナリティ」は大事だと思うわけですが、「オリジナリティ」が目的なのかと言われれば、『それは違う』と言わざるを得ないのです。それは、結果的に出てきてしまうものなのかなと。「オリジナリティ」がある作品は、ほかのものよりも目立つし、インパクトが強くなるから、受け入れられやすいのは、確かなことでしょう。でも、それは「驚き」であって「感動」ではないわけです。人を感動させるようなも...

  • 0
  • 0

「イミガワカラナイ芸術

わたしも含めて、多くの人が「ゲージツがワカラナイ」と感じる時、大抵は、作品が「抽象化」されているのだと思います。頭の中にあるものを外に出してあらわすのが表現なわけですけど、頭の中でかなりコネてから外に出すのが「抽象」だと思う訳です。そして、その頭の中で行われた作業の分が、見えないということなんですねぇ。だから、コネた分が多ければ多いほど、見た人はわからなくなるわけなのです。「抽象表現」は、ワカル人...

  • 0
  • 0

「お金」と「芸術」の共通点

「芸術」と言うと、「お金」とは正反対のところにあるものという捉え方をされていますけれど、この二つには、共通点があると思うわけです。それは、両方とも賞味期限がないことなのです。食べ物ではないので、賞味期限と言うのはおかしいんですが、要するに、無期限の価値を持っている(与えられている)ということですね。お金(通貨)というのは、それを発行している国が崩壊すれば価値がなくなるし、「芸術作品」も、その作者の...

  • 0
  • 0

「芸術」の競争

現代社会においては、競争と言うと、自由競争とか切磋琢磨といった、前向きなものとして、捉えることが前提になっているように思います。競争から離脱することは、「ドロップアウト」または「後ろ向き」という扱いになるわけですね。でも、実は、競争がそういう前向きな作用を持っていた時期はもう過ぎてしまって、競争が「足のすくい合い」になっているように思うのです。たとえば、「ものづくり」において、物を作る企業や芸術の...

  • 0
  • 0

表現=自己顕示なのか?

芸術などの手段を使って何かを表現するということは、その表現者の自己顕示性の表れであると言われることがあると思いますけど、それはちょっと違うと思うのです。確かに、なにかを表現するということは、自己を現すことではあると思うのですけれど、それを、即ち自己顕示であるといってしまうのは、何か一言しゃべっただけで、「おしゃべりな目立ちたがり屋」にされてしまうのと同じで、かなり極端だと思うわけです。 ※「自己顕...

  • 2
  • 0

「芸術の役割」が終わりかけて・・・・

これは、正直言って言葉にしたくないことなんですけれど、「芸術」というジャンルは、徐々にその「本来の役割」を終わろうとしているのではないのでしょうか?もちろん、今すぐに無くなってしまうとか、完全に消えてしまうとかということではないのでしょうが、緩慢にではあっても、本質的な意味での「芸術の役割」が消えて行こうとしているという考えが・・・・・そんな考えが、私の中にはあるのです。このブログで言っていること...

  • 0
  • 0

「刺激」と「感動」

芸術と言えば「感動」といってもよいのではないかと思います。実際に、芸術の条件を「感動するもの」と言う人は多いのではないでしょうか?ところが、現代美術を見ていると、そこのところがしっくりこないことがあるわけです。とてもインパクトがあって、強く心に残る作品があった場合でも、その衝撃力に「感動」が比例していないとでもいうのでしょうか。それどころか、ときによっては、むしろ反比例するように感じることすらある...

  • 0
  • 0

「芸術の真ん中」っていったいどこなのでしょうか?

現在の芸術の世界を見ると、「芸術の真ん中」っていったいどこなのかなと思ってしまうわけなのです。多様化したことで、あらゆる方向性を持つようになったことは理解できるとしても、何処を中心としているのかがはっきりしないと言うのは、受け入れがたいものがあるのです。そんなことは気にせずに、『いいものはいい』でいいのかもしれませんが、私はどうしても、ど真ん中だけが抜けているドーナツのようなものを思い浮かべてしま...

  • 0
  • 0

いま、「芸術」に求められるべきものは「まっすぐな表現」ではないでしょうか?

「芸術」が、「モダン・アート」とか「現代美術」と呼ばれる時代に入ってから、今日に至るまでの、「芸術」の歴史は「ヒネリ」の歴史だったといってもいいほど、「芸術」には、ありとあらゆる「ヒネリ」が加えられてきたと思うわけなのです。「現代美術」においては、常に、「ヒネリ」によって、斬新さが生み出され、オリジナリティを提示し、作品の意味深さも与えられてきたと言っても過言ではないのだと思うのです。もちろん、ヒ...

  • 0
  • 0

「芸術」は「私物」ではないと思っています

「芸術」と言うのは、作者の感情や感覚を現したものですから、まったくもって個人的なものだということができると思うわけです。でも、その反面「芸術」は私的な所有物では有り得ないということも言えるんじゃないかと思うのです。私の個人的な考えですが、「芸術」は作者自身を含めて何者かに所有されるべきものではなく、一定のよりどころを持たない、特定の場所をもたないようなニュートラルな状態に置かれるべきものではないの...

  • 0
  • 0

芸術が社会現象の発端であると考える理由

私はこのブログの本題である「宣言文」の中で、「芸術」や「哲学」と言うのは、世の中に起きていることに対して、或は、これから世の中に起きることに対して、少なからぬ責任があって、芸術者や哲学者を名乗る者は、その責任を感じて、創作や探究に当たるべきであると言っているわけですけれど、それは、いささか「芸術」や「哲学」を偏重した見方なのではないのか?と思う方もおられるのかもしれません。 ※「芸術者」:「創作者...

  • 0
  • 0

「芸術」は「自己満足」なのか?ということ

芸術表現や創作することについて、『そういうのは、所詮自己満足だろ』と言うことがよくあるわけです。第三者が言うことよりも、作者本人が言っていることの方が多いように思います。そして、私もよく言っていたと思います。でも、本当は、「自己満足」なんかじゃないと思うわけです。本当に「自己満足」だと思っていてやっているわけではなくて、どこかで、自分以外の人にも〝伝えたい"いや、〝伝わってほしい"と思ってやっている...

  • 0
  • 0

芸術における「完成度」とは?

芸術作品においては、その「完成度」によって評価が下されることが多いと思うわけです。それが間違いだとは思わないのですけれど、果たして可能なことなのかなと。現代の芸術が、多様な方向性を持っているということは、誰もが認めざるを得ないことに成っていると思うわけです。それは、一人に一つの方向性が認められている状態と言えるでしょう。その前提で言うとすれば、そこで言う「完成度」とは、一人に一つの「完成」を想定し...

  • 0
  • 0

「著作権」は守ってくれない!

「著作権」と言うものが、創作者の権利を守っているということに成っているわけですけれど、これは、少し違うように思うわけです。要するに、「著作権」が「創作者」の間に極端な格差を生み出してしまっているということですね。例えば、現在、プロスポーツの世界などを見ても、一部の選手の報酬が度を越して高額に成ることで、そのスポーツの世界全体の首を絞めることに成ってしまうということが、起きて来ているわけです。つまり...

  • 0
  • 0

「人間性の芸術」

芸術表現に必要不可欠なものとは何でしょうか?人それぞれに、考えるところがあると思いますけれど、私は、「具象」・「抽象」・「人間性」の三つだと思っております。「具象」は表現力であります。「抽象」は精神性であります。そして、「人間性」は、その精神性の中でも最も〝芸術であること"そのものであり、また、人間にとって最も具体的なことでもあるわけなのです。つまり、「具象」と「抽象」の「二極」をまとめて〝力と形"...

  • 0
  • 0

「芸術を見つけ出すこと」

20世紀以降の美術においては、「芸術」と無関係なものでも「芸術の場」に持ち込むことで、そこに芸術性が生じるという考え方があるわけです。作品の中に、「芸術」とは思えないような、言ってみれば「非芸術的」な”何か”を取り込むという考え方も含めれば、20世紀半ば以降の先進的な芸術分野においては、こういう考え方が主流であったと言ってもいいように思います。こういった考え方において、追究されていたのは「芸術」を”見つ...

  • 0
  • 0

「芸術」は文化遺産なのか?ということ

芸術作品と言うと、繰り返し修復しながら維持管理していくというのが、当然のことになっているわけです。当たり前のことのようになってしまっていますから、あまり疑問を持つこともないわけですけれど、実際には、これはとても微妙な問題を含んでいることのように思うのです。まず一番に思うのは、作者がその修復を望むかどうかということが、確認されない場合が多いということです。作者本人が亡くなっている場合が多いですから、...

  • 0
  • 0

”何処かに向かって行きたい”のです

現在、「芸術」に新たな方向性が見つけにくい状況になっているわけです。でも、逆に「芸術」に関しては、全ての方向性が許されているとも言えると思うわけです。現在は「芸術」に関する枠組みが解体されて、不定形の「漠然とした雰囲気」だけが「芸術」を「芸術」足らしめているといってもいいと思うのです。つまり、あらゆる方向へ向かうことが肯定されたことで、方向と言うもの自体の意味が無くなってしまったわけなのです。どこ...

  • 0
  • 0

「高さ」と「深さ」

前の記事の続きです。「芸術」においては、これまでも「深さ」は重視されてきたと思うのですけれど、実は、「深さ」を「高さ」に変換してしまっていたように思うのです。つまり、「深い」=「上質」とされてきたわけです。別に間違いだというのじゃありません。でも、「深さ」と言うのは、”下へ”の追究でもあるわけです。「下」なのに「上」と言うのは、矛盾しているように思えるわけです。だから、純粋に”下へ”向かう「深さ」があ...

  • 0
  • 0

「芸術」は手の届く所に置いておいてほしい

「芸術」を理解するには、「芸術に対する素養」が必要であるという考え方があるようです。これを間違いだとは思いませんけれど、こういう考え方は、出来るだけ強調しない方がいいように思うわけなのです。要するに、それは「芸術」を一般人の手の届かないところに、持ち上げてしまうことに成るように思うわけですね。確かに、「ナニカ」について、何も知らずにそれを理解することは出来ませんし、何も見ずに「ナニカ」を感じ取るこ...

  • 0
  • 0