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Archive2014年10月 1/1

「芸術」は手の届く所に置いておいてほしい

「芸術」を理解するには、「芸術に対する素養」が必要であるという考え方があるようです。これを間違いだとは思いませんけれど、こういう考え方は、出来るだけ強調しない方がいいように思うわけなのです。要するに、それは「芸術」を一般人の手の届かないところに、持ち上げてしまうことに成るように思うわけですね。確かに、「ナニカ」について、何も知らずにそれを理解することは出来ませんし、何も見ずに「ナニカ」を感じ取るこ...

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「自己実現」とは「欲望の実現」

「自己実現」と言う言葉をとても良く耳にするわけです。これには、「夢をかなえる」とか「やりたいことを見つける」と言うような意味も含まれると思いますけれど、もう少し現実的な印象もあって、社会の中で、自己の位置づけを確立して確固たるものにするというようなこともあるのだと思うわけです。要するに、金銭や地位・名誉と言った現実的なものに対する「欲望」の達成を「自己実現」と言っている部分がかなりあるのだと思うわ...

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一気圧のプレッシャー

普通に地球上で生活していると、いつも”一気圧のプレッシャー”がかかっているわけです。でも、これは「大気圧」だけのことでもないように思われるわけなのです。世の中にはもう一つ、社会がかけている”一気圧のプレッシャー”もあるのかなと。みんな、生まれてこの方ずっと”一気圧のプレッシャー”を受けていますから(高地民族とかいう話は置いといて)、それをあえて意識する人はほとんど居ないわけです。情報として、「大気圧」と...

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「持論」を持つこと

「持論」を持っている人の話には、ついつい引き込まれてしまうわけなのです。世の中に、これだけいろいろな情報が溢れていても、その人にしか語れないような、独特な言葉と言うのがあると思うのです。そういった、いわゆる「持論」と言うのは、「ある種の自己満足」だったり、「勝手な思い込み」だったりすることもよくあるわけです。それに、なんと言っても、”何の役にも立たない”場合が非常に多いわけです。それなのになぜか、「...

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いま、何かから「逃げること」の意味

「逃げること」と言うと、あまりいいことだと考えられてはいないと思います。でも、現在は「相対化の時代」でもあると思うわけです。「相対的」に物事を見た場合、「逃げること」を「攻めること」と捉えることもできるわけです。つまり、相手から遠ざかることは、相手を遠ざけていることでもあるわけです。ある一つの基準点を想定して、そこを中心にして全てのもの事を測れば、中心から遠ざかっていくことは、「逃げること」でしか...

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「老化」は「劣化」ではないと思うのです

前に、他の記事でも触れたことなのですけれど、現在日本では、「年をとること」を「劣化」と見る傾向があると思うのです。確かに、物はすべて経年とともに「劣化」するわけですけれど、それは、あくまで物質的なことに限ってであって、それを精神世界にまで当てはめてしまうことには、問題があると思うわけです。つまり、本の表紙が擦り切れたり、印刷のインクが薄れてしまったことを、その本に書かれている「内容の劣化」と看做し...

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相対化した時代の「芸術の中心」

現在は、一面として「相対化の時代」であると思うのです。その「相対化の時代」においては、中心と言う概念が失われてしまう傾向があると思うのです。そんな現在において、「芸術の中心」に果たして意味はあるのでしょうか?本当のことを言えば、そこに意味はないのかもしれません。こんなことを言ってしまうと、このブログの中心テーマである「宣言文」で、『いま、芸術の中心を規定しなければならない』と言っていることと矛盾し...

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「仕事ができる」という罠

現代社会において、『仕事ができる』と言う言葉が、とても厄介な「罠」になってしまっているわけです。現在の職場環境においては、『仕事ができる』は、誰も逆らうことのできない、”絶対的な要素”とみなされているようです。実際に、いろいろ問題がある人であっても、『でも、あの人仕事はできるから』と言われてしまうと、誰も、それ以上の”ツッコミ”ができなくなってしまうわけです。逆に、とても人間的に信頼できる人だったり、...

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「空気を読む」ということ

現代社会においては、「空気を読むこと」が必要以上に重要視されているように思えるのです。でも、それは単なる”日和見”にしか思えない場合がとても多いわけなのです。『空気を読む』と言っていますけれど、読んでいるのは、強い立場にある者の「空気」である場合が非常に多いわけで、弱い立場にある者の「空気」を読んでも、それは「空気を読んだこと」にはならないわけです。つまり、それは日和見的な人間が、自分の日和見的な行...

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「色の形」と「形の色」:「絵画」とは何なのか?

「絵画」とは、いったい何なのだろうか?と考えてしまうことがあるわけです。『そんなこと、考えたって仕方ないだろう!絵は絵だろう!!』と言われてしまえばそれまでなんですが、絵を描いていて、一所懸命に描きますから、疲れるわけです。そこで、『何のためにこれを描いているのか?』というところから、『そもそも、これはいったい何なのだろうか?』となってしまうわけなのです。人それぞれに、違う意見があるのでしょうが、...

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「独創性」について

芸術に「独創性」は不可欠なものということに成っているわけですが、私はそうでもないのかな?と思っているわけです。もともと、芸術において「独創性」が重視されるのは、現在の芸術が「自己表現」だからだと思うわけです。確かに、確立された「自己表現」が、「独創性」を伴うことは多いと思うのです。しかし、「独創的」なものが「自己表現」であるとは限らないとも思うのです。つまり、「自己表現」を追い求めれば、結果的に「...

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「精神」は受け継がれることで生き続ける

他の記事で「精神世界」は「劣化しないんじゃないか?」ということを書いたんですが、正確には、「精神」は受け継がれなくなったときに「劣化」するのだと思います。「精神世界」は物質ではないので、時間とともに「劣化」することは無いと思っているわけです。ただし、それは、その「精神世界」の所有者本人の存在を前提にしてのことであって、本人亡き後に、その「精神」が受け継がれなくなれば、それは希薄になって最終的には消...

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「色の形」と「形の色」(つづき)

このまえ書いた記事で、私にとって「絵画」とは「色の形」と「形の色」だと言ったのですが、これについて、もう少し付け加えておこうと思います。先ず、「色の形」とは色の面が持っている形のことを、私がそういっているわけです。つまり、赤い色を四角く塗れば、その「四角形」が、その赤い色にとっての「色の形」に成るわけです。でも、「絵画」はベタッと塗られた面だけで構成されるとは限らないので、色の変化があるわけです。...

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「その人にしか出来ない仕事」

前に書いた記事の中で、『仕事は誰にでもできるものだ』と書いたのですが、それは『だから、それでいいのだ』と言うこととも違うわけなのです。それは、あくまでも、現在、一般的に言われている「仕事」について言ったわけで、本当は「その人にしかできない仕事」と言うのがいいと思ってもいるわけです。ただ、そういう「職人仕事」と言うのは、組織の中での「仕事」とは相容れないものなので、現在の、組織化した社会においては、...

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人間は最終的に孤独なのか?

『人間なんて、最終的には孤独なものだ』と言う話はよく聞くわけです。そして、その通りだとも思うわけなのです。当然、死んでゆくときは一人ですし、その人がどのような人生を歩んできたのかも、あまり関係なくなってしまうという感じもするわけです。だから、当然、最後には孤独であることに間違いないと思うのです。でも、このところ『そうでもないのかな?』とも思っているわけです。今言ったように、孤独であるということは、...

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