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Archive2014年11月 1/1

ほとんどのことが「大きさ」で決まっている?

時々、思うことなのですけれど、世の中のほとんどのことが、実は「大きさ」で決まっているんじゃないのかなと。例えば、スポーツなんかでも体が大きい方が有利だったりするわけです。相撲などの体重制が無い格闘技では圧倒的に有利ですし、バレーボールやバスケットでも確実に有利でしょう。もちろん体の大きさと関係ないスポーツもありますが、それですら、まったく同じ条件で比べた場合、「大きさ」が決定力を持ってくるというこ...

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学校で教えてもらいたいこと:初等教育編

人間は、ほとんど教えられたことしかしないのだと思うわけです。だから、必要性の高いことは学校でしっかりと教えてもらいたいなと思うわけです。(本当を言えば、教えられたことを元に自分で考えるというのがいいわけですけどね)現在、学校教育に著しく欠けている部分と言うのがあると思うわけです。と言っても、「もっと教育プログラムを増やしていろいろなことを教えよう!」という話ではなくて、むしろ、教えなくてもいいこと...

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学校で教えてもらいたいこと:高等教育編

前の記事の続きになります。現在日本の教育においては、義務教育を終えた後の高等教育においても、著しく欠如した部分があると思っています。主に大学や専門学校の話です。教育の最終段階にあって、学問の最高機関でもあるはずの大学(大学院)においても、あまりにも”穴”が多すぎると思うわけです。そして、そのことが一般社会に悪影響を及ぼすようにも成って来ていると思われるわけなのです。例えば、医学部のプログラムがどんな...

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「オシャレな芸術」と「オシャレじゃない芸術」

「オシャレな芸術」と「オシャレじゃない芸術」というのがあると思っているわけです。「オシャレな芸術」とは、その場に馴染む芸術、即ち、「インテリアになるような芸術」です。これは、「インテリア」を「ファッション」に置き換えても同じことが言えると思います。「オシャレじゃない芸術」とは、その場の空気を支配する芸術、即ち、「インテリアにならないような芸術」です。と言っても、私がそんな風に呼んでいるだけで、「オ...

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現在のマスコミは”情報を歪める”機関になっている?

現在、マスコミを通した情報と言うのは、ことごとく歪んでしまうわけなのです。これは、なにも悪意があることに限った話でもないようです。もしかすると、マスコミと言うものが「情報を歪める機関」に成ってしまっているのかも知れません。もともと、コミュニケーションと言うのは”情報の伝達”や”意思の疎通”のことなわけでしょうが、それが「マス」+「コミ」に成ると”情報伝達(意思の疎通)を歪める”ものになってしまうというこ...

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現世の中の「輪廻転生」

「輪廻転生」と言う考え方があるわけです。詳しいことは知りませんけれど、要するに「生まれ変わり」ということなのだと思っています。そういうことが、有るのか無いのかということは、チョットわかりませんけれど、私といたしましては、人間は生きているうちに、けっこう「輪廻」を繰り返しているんじゃないのかなと思っているわけなのです。まず、一番単純なことで言うと、「寝ている時」かなり「死んでる」と思います。「朝起き...

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「有料文化」と「無料文化」

文化には、「有料文化」と「無料文化」があると思うわけです。要するに、お金を払って享受する文化と、”タダ”で受けられる文化ということです。(と言っても、いま私が勝手に言っているだけのものですけど)「有料文化」は、美術館や映画館、コンサートなどの、「文化」自体を商品とした「文化」です。もちろん、本や音楽CDを買うのも「有料文化」になります。それに対して、「無料文化」の典型がテレビなわけです。最近ではYOU TU...

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「適正価格」について

前の記事で、「文化」にも「適正価格」があるのではないかと書いたわけですが、これは、他の物にも言えることだと思うわけなのです。このところ、景気が良くないせいか、商品の価格が低めに設定されている店が多いと思うのです。私のような貧乏人にとっては、ありがたいことなわけですけれど、反面、『こんな価格で売るためには、どんなコスト削減をしているのだろうか?』と考えると、到底いい原料を使っているとも、手間のかかる...

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「参加型の芸術」

「参加型の芸術」というのが、増えて来ているように思うのです。そして、『そこに「芸術の未来」があるのではないか?』と言われることがあるわけです。でも、私は表現者と鑑賞者の境界を曖昧にしてしまうことに、「芸術の未来」はないと思うのです。いや、むしろ、「創作者」・「鑑賞者」・「批評者」の三者は、真っ向から対峙してこそ「芸術の未来」と成り得るのだと思うわけなのです。 ※私は「創作者」・「鑑賞者」・「批評者...

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「DNAが運んでいる情報」は「人間の情報」ではないと思うのです

「DNAが運んでいる情報」について、その情報こそが、人間と言うものの実体であって、個々の人間は、それを世代から世代へつないでいくための”器のようなもの”に過ぎないと言う考え方があると思うわけです。それは、それで一つの事実なのかなとも思うのですけれど、私は、「DNAが運んでいる情報」は「人間の情報」ではないと思っているわけです。つまり、「DNAが運んでいる情報」とは、「物質としての人間」や、せいぜい「生物とし...

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「ポジティブ」と言う呪文

「ポジティブ」と「ネガティブ」については、このブログでも何度か書いてきたわけですけれど、現在の日本では、もう本当に「ポジティブ」が呪文のように繰り返し唱えられているわけです。わたしには、これがどうしても不自然に見えてしまうわけですけれど、とにかく「ポジティブ」と言えば、ほとんどのことが通ってしまいますし、どんな無理な状況でも「前向き」に捉えることが”良し”とされてしまっているわけです。反面、「ネガテ...

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宗教のソフト化

宗教がソフト化してきていると思うわけです。最も端的な例で言えば、他の宗教を排斥しようとしなくなったということです。その分だけでも、争い事が減ったのであればいいことだとは思うのですが(本当に減ったのかどうかはわかりませんが)、宗教の本質を考えると疑問が出てきてしまうわけなのです。もともと、宗教は、自分たちの信じる「神」や「教義」を、”絶対”とすることを基盤として成り立っているものだと思うのです。それな...

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「助け合うこと」は、もう「人間の習性」だと思うのです

「助け合い」とか「思いやり」とかという話になると、そういうことを、かなり強い口調で否定する人が居たりするわけです。そういう人たちの主張で、多いのは、『そういうのは偽善だ』とか、『そんなことをしても相手のためにもならない』とか、『弱肉強食や自然淘汰と言った摂理に反している』といったものだと思うわけです。要するに、「助け合い」や「思いやり」は”不自然な”行動で、それらをしない方が、よほど”自然な”ことだと...

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「人間は特別な存在」ということにしてしまった方がいいのでは?

エコロジーなどの『地球環境を守ろう!』と言う話においては、『人間はもっと謙虚になって、自然を大切にしなければいけない!』と言われることが多いと思うわけです。確かに、そのとうりだと思います。人間と言うのは、いつも、あまり”後先考えず”に、自然を、いとも簡単に破壊したり、そうかと思うと、唐突に過剰な保護をしてみたりと、何かにつけて、やり放題なわけなのです。だから、『もっと謙虚になって』と言うのは、当然な...

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「時代」に身を任せると、とんでもない所に連れて行かれるよ!

「時代」についての話で、『いまの時代はおかしい』と言うと、必ずと言っていいほど、『いつの時代もそんなもんだったんじゃないの?』と言う人が居るわけです。でも、これは『歴史から学んでいない』と思うのです。人間の過去の歴史を見れば、一目瞭然だと思うのですけれど、人間は過去に、かなりたくさんの「尋常ならざる時代」を築きあげてきているわけです。ナチス統治下のドイツや、世界を股にかけた「奴隷貿易」と言う、”人...

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『芸術とは?』と言う問い

『芸術とは?』と言う問いに対して、ズバリと答えを出すのは、なかなか難しいことだと思うのです。まして、現在の「芸術」は無際限に多様化した、途方もなく自由な世界と言うようなものになっていて、そのことは、裏を返せば、現在の「芸術」には、何の規定もないということですから、『芸術とは?』の問いに答えようにも、なにひとつ拠りどころにするべきものが無いわけです。そんな中で、なんとか『芸術とは?』の問いに答えを出...

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「芸術とは?」と言う問い(続き)

前の記事の続きになります。「芸術」が果てしなく広い領域に拡大してしまったということと、それなのに、そこに「中心」が設定されていない状態が続いてきたという所から続けます。それなら、『その中心はどこなのか?』ということに成るわけです。私は個人的に、「芸術の中心」を「真実の追究」と設定していますが、もう少し客観的に、一回り大きな枠で考えれば、その本質は、「純粋性」に尽きるのではないかと思うわけです。私に...

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「エンターテイメント」の「嘘」はどこまで許されるのか?

「エンターテイメント」は時と場合によって、「嘘」を許されている文化だと思うわけです。 ところで、その「嘘」はどこまでが許容範囲なのでしょうか?例えば、時代劇で「剣豪」を演じる役者に、”本物”の剣の達人であることを求める人は少ないでしょう。まして、殺陣のシーンで”本物”の日本刀を使わなければダメだと思っている人はほとんどいないでしょう。でも、時代劇でもボクシングの映画なんかでも、あまりにも主人公が弱そう...

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「信仰」とは何なのか?ということ

これは「信仰」についての、私の勝手な言い分なので、「信仰」をお持ちの方には納得できないことかと思いますが、その辺のところはお許しください。「信仰」とは、「不確かなことを確信すること」なのだと思っております。つまり、はじめから「確かなこと」であれば、「信仰」する必要もないわけですし、それは”信じざるを得ない”わけです。だから、そういうことをいくら信じていても「信仰」とは言わないのでしょう。不確かである...

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