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Archive2014年12月 1/1

「あやまる」という文化

「あやまること」は一つの文化だと思うわけです。よく、『日本人は自分が悪くもないのに誤ってしまう』とか、『西洋人はなかなか謝らない』などと言われたりもしますが、こういう「あやまること」に対する考え方と言うのは、その国の文化を象徴しているのだと思うのです。そして最近、日本人でも「あやまれない人」が増えてきているように思うわけです。要するに、これは考え方が「西洋化」してきているのだと思うのです。このこと...

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「20世紀美術」と言う実験

「20世紀美術」においては、たくさんの主義主張が現れては消えて行き、その結果として、様々な「~イズム」と名付けられるようなものが生み出され、また、それらに基づいた作品も数多く残されたわけです。そして、それらを主導した人たちは巨匠と呼ばれるように成り、彼らによって残された作品は名作と呼ばれるように成っていったわけです。しかし、それは本当に「完成形」だったのでしょうか?もともと、芸術に完成など無いとも言...

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「創作者型」と「鑑賞者型」を分けて考えてもいいのでは?

「創作者型」の人と「鑑賞者型」の人というのがいるように思うのです。そして、この二つのタイプを、もう少し分けて考えてもいいような気がするわけです。そうは言っても、両面を併せ持った人もいるでしょうし、本人もどちらかわからない場合などもあるでしょうから、『もう少し分けて考えてもいいのかな?』と言う程度のものですが、少なくとも、一人の人間がこの二つの性質を同時に併せ持っているとは限らないという認識ぐらいは...

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「~ではないですよ」ということを装ってしまう

『やりたくてやってるわけじゃないですよ』とか、『意味があってやってることではないですよ』とか、いろいろな形で『~ではないですよ』というのを言ってしまうことがあるわけです。でも、これが本心と違う場合も多いような気がするのです。これは、相手に予想された通りの自分であることが、なんとなく悔しいんですね。それで、ついつい『そんなことないですよ』と言いたくなってしまうわけなのです。そして、これは「芸術」に関...

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「ブログ」の中の「ブログ性」

この「ブログ」を始めてから、そこそこの日数がたったので、私にも『自分にとってブログとは何なのか?』という位置づけが、少しづつ出来てきたような気がするわけなのです。もともと、私は「ブログ」を読むという習慣が無かったのですけれど、「ブログ」を始めてみて、実際には、いろんな「ブログ」があるものだなと思いました。そんな中で、自分にとっての「ブログ」の位置づけは、『やっぱり、日記に近いものなのかも知れない』...

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「ブログ」の中の「ブログ性」(続き)

前の記事の続きです。「個人の独白」的な性質こそ、「ブログ」の中の「ブログ性」と言うべきものなのではないかという話でした。そこで「個人の独白」についてですが、一般的な言葉と「独白」の違いは、”偽る必要があまりない”ということでしょう。「独白」は、他人との間の利害関係を前提にしていないわけですから、”偽る必要はない筈”なわけです。そうは言っても、「ブログ」の場合、「現実の知り合い」が見ることもあるでしょう...

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「芸術による感動」の限界

「芸術による感動」について、それが”とてつもなく大きいもの”だという話になってしまうことがあるわけですけれど、実は、そこには案外低い位置に「限界」があるように思うのです。確かに、「芸術」が生み出す「感動」は、何物にも代えがたいものなわけです。でも、『背に腹は代えられない』と言う言葉があるように、それはあくまで、最低限の「安全」や「健康」や「物質的な充足」が満たされていての話だと思うのです。もちろん、...

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「無規定」は「自由」ではない

現在、「芸術」と言うジャンルは、「規定」されていない状態になってしまっていると思うわけです。これは、表現における「自由」を求めたことに端を発しているのだと思うわけですけれど、「無規定」な状態を数十年間もズルズルと続けていることは、まったくもって「自由」なことではないと思うのです。もともと、既成の概念に固着して身動きができなくなってしまった状態から抜け出すために、一度「規定」を解いて「無規定」な状態...

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「ポピュラー性」について

「ポピュラー性」と言うのは、人に支持される性質なわけですが、その「ポピュラー性」とは、いったいどこから来るのか?と思ったわけです。たぶん、それは「ワカリヤスサ」だと思うのです。そのジャンルに特別な興味がある人にも、無い人にも”ワカリヤスイ”ことこそ、”人気の素”つまり「ポピュラー性」だと思うのです。例えば「音楽」で言うと、ちょっと、ヒネリの利いた、それでいて”ワカリヤスイ”「歌詞」の曲は、ヒットする可能...

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「感動の仕組み」

芸術の意義の一つに、「感動」を挙げる人は多いと言えるでしょう。その「感動」とは、どのような心の流れで生まれてくるものなのでしょうか?まず、「感動」をどう定義するかですけれど、ただ単に「心を動かされる」ことを「感動」と言うわけでもないのだろうと思うのです。「びっくりした」とか「面白いよね」とか「気に成る」とか言うものは、心を動かされてはいても、「感動」までは届いていないでしょう。じゃあ、「凄く、びっ...

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「感動」から抜け出すこと

前の記事からの続きです。「感動」とは、心の動きが、何らかの「相乗効果」によって、最高潮に達した状態ではないだろうか?と言う話でした。そこで、もう一つ進めて、「感動から抜け出すこと」を考えていきたいと思うわけです。せっかく「感動」したのに何で抜け出すのか?これは、私自身のことに限っての話ですが、「感動」すると、どうしても、その作品のことが頭に残ってしまうわけです。一言で言うと、「気になってしまう」わ...

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「人間らしさ」とは?

現在、最も重要視するべきものと言えば、「人間らしさ」だと思うのです。そして、現在、最も軽視される傾向にあるのも、また「人間らしさ」ではないかと思うわけなのです。ところで、この「人間らしさ」とは、いったい何なのでしょうか?「人間らしさ」即ち、「人間が最も人間である部分」とは、人間の中のどの部分なのか?ということです。私はこれを、「論理的な思考」または「ヘリクツ」だと思っております。そして、これらが高...

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「アスファルタム」という色

いま、「アスファルタム」という色の絵具が気に入っています。自分の記憶では、この色を使ったことは無かったと思うのですけれど、使ってみて、一発で気に入ってしまいました。もともと、画材屋さんなどでは、見ていたのかも知れませんが、ローアンバー(ロウアンバー?)に似ているので、『どうせローアンバーと同じようなもんだろう』と思って、使ってみようと思わなかったのだと思います。ローアンバーは好きな色なので、ローア...

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「情報」は与えられるものだと思うのです

最近、「情報弱者(情弱)」と言う言葉をよく耳にするわけです。でも、この言葉には”言葉の仕掛け”を感じてしまうことがあるのです。「情報」とは、本来は”与えられるもの”だと思うのです。ここのところが、この言葉によって、いつの間にか歪められてしまっていると思うのです。この「情報弱者」という言葉には、「取り残されてしまった者」と言う意味と同時に、そこにある「情報」を積極的に取り込まない”情報ナマケモノ”的なイメ...

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「芸術」に新しさは必要なのか?

『「芸術」をやるなら新しいことをやらないと意味がない』とか、『「芸術」で、人がやったのと同じことをやっていてもダメだ』などと言われることがとても多いわけです。そこで、その「新しさ」とはいったい何なのでしょうか?また、その「新しさ」は本当に必要不可欠なものなのでしょうか?まず、「新しさ」は本当に必要なのか?ということですけれど、これは、とても簡単なことだと思うわけです。「芸術の目的」については、人に...

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「芸術」に新しさは必要なのか?(続き)

前の記事の続きです。さて、「芸術」における「新しさ」とはいったい何なのか?ということですが、これは、人それぞれの考え方だとは思いますけれど、私といたしましては、「芸術」における「新しさ」とは、「表現形態」の「新しさ」だと思っております。「芸術」の本質は「自己表現」であると思うわけです。ですから、表現するもの自体と言うのは、全ての人が皆違うものを表現しようとしているはずなわけです。これは、まったく同...

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「いい爺さん」と「わるい爺さん」

最近、よく街なかで「いい爺さん」と「わるい爺さん」というパターンを目にするのです。いわゆる、昔話に出て来るパターンですね。これは、実際には、「お爺さん」に限定した話ではないんですが、あまりにも昔話のパターンに似ているので、そんな風に言いたくなってしまうわけなのです。例えば、道で人とすれ違いざまに、意味もなく「ケッ!!」と言っている人を見かけたりするわけです。そうかと思うと、歩道の幅が狭くなていると...

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「向いていること」に「向いてないひと」

人には、「向き・不向き」と言うのがあると思うわけですけれど、実は、その「向いていること」に「向いてない人」と言うのも結構いたりするのかなと思うのです。つまり、「向いていること」と「やりたいこと」が一致しないケースですね。この二つが一致している人は幸せだと思うのです。でも、そういうケースは意外と少ないのかも知れないなと思ったりもするわけです。人間と言う生き物は、人から褒められたり、人より自分の方が上...

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「娯楽」は多い程いいのか?

「娯楽」は、人間にとって必要なものだと思うわけです。やはり、「娯楽」が一切なくなってしまうと、殺伐として”心がスサンデ”きてしまうのだと思います。でも、それは”多い程いい”のでしょうか?「昔は娯楽が少なかったから」などと言うとき、『娯楽は多い方がいい』と言う前提で言ってしまったりするわけですけれど、『本当に娯楽って多いほどいいのか?』と考えることが少ないわけです。でも、最近になって多種多様な「娯楽」が...

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