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Archive2015年01月 1/1

「抽象」は「具象」の反対なのか?

「抽象」と「具象」は、一応は反対のものということに成っているわけですけれど、この二つは、「二極」を成すものではあっても、正反対ではないのだと思っているわけです。つまり、割と近い範囲での「二極」ということだと思うのです。「抽象」と言うと、どうしても「具象」と正反対のことを思い浮かべててしまいがちなわけですけれど、でも、実は、「抽象」と「具象」は「表現」と言う狭い領域の中で両極にあるというだけで、世の...

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「アタマがイイ」と言われる「頭の良さ」

『あの人は頭がいいよね』と言うときの「頭の良さ」が、言う人によって随分違うなと感じることがあるわけです。まず、学歴偏重系の人ですが、もうそろそろ、そういう人もそんなには居なくなったのだろうと思うと、まだまだ、けっこう居るみたいですね。さすがに、高学歴=”エライ”という人は少なくなりましたけれど、「アタマがイイ」となると、俄然と学歴偏重色が強く出てきます。要するに、その人たちは「勉強ができる」というこ...

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いろいろなことを巻き戻したいわけなのです

唐突ですが、いろいろなことを巻き戻したいわけなのです。つまり、今の「時代」が受け入れられないわけです。『いい年をして、なにを”コドモじみた”ことを言っているのか!』と言われるんだろうなとは思うのです。それでも、この「時代」は受け入れがたいわけです。「芸術」なんかに限ったことでもないのです。自分だけのことでもなくて、誰のことでもなくて、すべての人のこととして、いろいろなことを、少し巻き戻してもいいんじ...

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いろいろなことを巻き戻したいわけなのです(続き)

前の記事の続きです。私は自分なりに、少し「時代」を”巻き戻す”ことにしたわけですけれど、『なぜ、そこまでして「いま」を拒否しようとするのか?』という疑問があると思うわけです。私の場合は「芸術」をきっかけにして、これを始めることに成ったわけですが、「いま」と言う時代の中で、「芸術」を真面目にやってみようと思った時に、この時代の中に居たままでは、自分は、「芸術の中心」には入っていけないだろうと思ってしま...

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いろいろなことを巻き戻したいわけなのです(続きの続き)

しつこいですが、更に続きです。さて、『なぜ、過去に巻き戻すのか?』ということです。『未来へ向かえばいいじゃないか』その通りなのだと思います。本当なら、一足飛びに「未来」へ向かって行けばいいわけですが、でも、『向かって行く”場”がない』と思ってしまうのです。「未来」と言うのは、”まだ無いもの”ですから、そこへ行くべき”場”として設定しにくいのです。それができる人もいるのかも知れませんけれど、やはり、イメー...

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「なぜか心に残ってしまうもの」

『感動した』とか『とても印象深かった』とかいうことではなく、何の気なしに見たものや聞いたものが、その後、長い年月の間、”ミョーに”ずっと頭の中に残っているということがあると思うのです。たぶん、誰にでもそういうことがあるんだろうなと思っているんですが、どうなんでしょうか?それはともかく、いくら考えても「それが残っている理由」が思いつかないわけです。例えば、とくに好きなわけでもなかったテレビ番組の中の一...

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「現代美術的な視点」から見た「古典」とは何なのか

「美術」において「古典」と言うときに、だいたいの人がイメージする「時代」があると思うわけです。でも、そういう「美術史的な観点」からではなく、「現代美術的な視点」から見たときの「古典」とは、どういうものを意味するのでしょうか?「現代美術」の捉え方は、人それぞれで、いろいろだと思いますけれど、「現代美術」には、「古典」からの”脱出”と言う側面があったことは、多くの人が認めるところだと思うわけです。そうだ...

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「民衆」という「独裁者」

私なんかもそうなんですけど、世の中にうまくいっていないことがあると、だいたいのことは『政治や社会が悪いからだ』ということしてしまう習性があるわけです。でも、本来は、「民主主義」ですから、「民衆」に責任がある”ハズ”なわけです。私は、現在の「民主主義」というものが建前通りの機能を果たしてはいないと思うので(多数決が機能していない)、「民主主義」だからと言って、すべての責任が「民衆」にあるとは思いません...

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現在の「多数決」は「伝言ゲーム」のように成っていると思うのです

前の記事で、「現在の多数決は機能していない」と書いたのですけれど、どう機能していないと思うのかについて書いてみたいと思います。まず、「代議員制度」です。これが、現在の国家規模での「多数決」のほとんどの部分を占めていると言ってもいいと思います。しかし、この「代議員制度」には、かなり無理があると言わざるを得ません。「民衆(国民)」は、自らの意思を反映させるために、選挙に投票します。つまり、その「民衆の...

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「曖昧さ」という機能

随分前からですけれど、「ファジー」と言う言葉があるわけです。「曖昧な」ということなのでしょうか?言葉の意味はよく知りませんけれど、なんとなく、本来は「曖昧」ではない”ハズ”のことにおいての「曖昧さ」を指して「ファジー」と言っているように思うわけです。要するに、コンピューターのような、「曖昧さが無いこと」が”ウリ”でもあり、その反面「融通が利かない」という感じがあったものに、敢えて「曖昧さ」を取り入れて...

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「迷い」について

前の記事の「迷い」の部分の続きです。「迷い」は「芸術」においても”キーワード”になると思っています。「迷うこと」は、これまで「芸術」の創作においては、マイナスと捉えられる傾向があったわけです。と言っても、これは「芸術」に限ったことではなく、ほとんどのことにおいて、「迷うこと」がプラスと捉えられることはないと言えるでしょう。確かに、「迷い」は非常に非効率的でもあり、「前進」とか「進歩」ということを約束...

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「現実」と「真実」の関係

私は「真実」と言う言葉を、わりとよく使うのですけれど、「真実」と言う言葉は、人によって随分違う意味で使われていることもあるように思うわけです。「本当のこと」を「真実」とする考え方もあるでしょうし、「現に起きていること」を「真実」とする考え方もあるのでしょう。それから、「哲学的な真理」を「真実」だと考える人もいるのだと思います。さて、私が考える「真実」は、「本当のこと」や「現に起きていること」とはだ...

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「芸術の再生」

「芸術」と言うジャンルは、現在、行き詰っていると思うわけです。そして、それは「再生」されるべき時が来ていると思っているわけです。こういうテーマについて、私のような権威のない人間が、何か言っても意味がないと考える人も居るかもしれませんが、私としては、言わないよりは言った方がマシだろうと思っているわけです。「芸術の行き詰まり」については、人によって意見が分かれるところかと思われます。ただ「現在の芸術」...

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「企業」の「公益性」

「企業」と言う言葉はあまり好きではありません。どうしても、「儲け主義」と言う印象があるわけですね。「企業」は「金儲け」のための機関なわけですから仕方ないとは思うのですけれど、「ガメツイこと」や「気前がよくないこと」、時には「ずる賢いこと」でさえ、「企業」の名の下に行われると「OK」になってしまうというのが納得できないわけなのです。資本主義経済とはそういうものなのだと言われても、やはり、”腑に落ちない”...

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「芸術が愛されること」と「芸術が理解されること」

『世の中の人が、皆「芸術」を愛するようになれば、きっと平和な世界になるだろう』という話を聞くことがあるわけです。でも、私は「芸術」にしても、「哲学」なんかにしても、”愛された”だけでは、そういう風にはならないような気がするのです。実際、悪人だって「芸術」を”愛する”人もいれば、そうでない人もいますし、逆に、いい人だからって「芸術」を、こよなく”愛している”とは限らないわけです。これは単なる「好み」の問題...

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「理性」と「本能」はもう対語ではないと思うのです

「理性」と「本能」といえば、対語ということになっているわけですけれど、現在の人間においては、事実上、この二つが反対の意味ではなく成ってきているように思われるのです。もちろん、今でも先天的、遺伝的に受け継がれたものを「本能」といい、その「本能」を抑制するものを「理性」と言っていることに変わりはないわけですから、対語である要素も十分に残ってはいるわけです。しかし、その反面、「理性」とされてきた部分が「...

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