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Archive2015年02月 1/1

「逆差別」≠「差別」

このブログでも何度か書いていますけれど、私は「差別」と言うものがとても嫌いなので、これについてはよく考えるわけです。「差別」に対抗して「差別し返すこと」、つまり、「逆差別」は「差別」と同じだと言う考え方があると思います。その考え方には確かに一理あると思うわけです。「逆差別」をしてしまえば、そこからまた「逆・逆差別」が生まれるという連鎖になってしまうので、それは、避けられるならば避けた方がいいのでし...

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『私のように黒い夜』

前の記事との関連で、昔読んだ本のことを思いだしたので書きます。この『私のように黒い夜』と言う本は、ジョン・ハワード・グリフィンと言う人が書いた本です。かなり前に読んだので、忘れてしまっている部分もあって、細かいところで間違ったことを書いてしまうことがあるかもしれません。(図書館で借りて読んだため、手元にないのでお許しください)著者はジャーナリスト出身の人だったと思います。人種差別に反対する運動など...

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そこに「意味」を創り出すこと

私は「芸術」において成すべきことは、「意味」を創り出すことだと思っているわけです。つまり、もともと「意味」のないところに、「意味」が創り出せたら『イイんじゃない』のかなと思っているわけです。これは必ずしも「芸術」に限ったことではなくて、ほかの色々なことにも当てはまることなのだと思っております。たとえば、経済活動には、「需要と供給の関係」と言う原則があるわけです。つまり、初めから「需要」という「意味...

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「本当の自分」

人間というのは、つくづく「本当の自分」を見ようとしないものだなと思うわけです。そして、これは人間の最大の特徴である「言葉で考える」ということに依るところが大きいのだと思っているわけです。「言葉」には「世界を二分する」という性質があるわけですね。「A」といえば「A」と「Aでないもの」に「世界が二分され」ます。その「二分割」を重ねていけば、そのたびに「世界が細分化」されていくわけです。コンピューターのよ...

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「ストレス社会」

「ストレス」は現代最悪の「病」だと思っています。ほとんどすべての病気が「ストレス」と無関係ではないと思います。そう言っても、ただ単なる「負荷」という意味で、この言葉を使っている場合もありますから、その場合は、これに当てはまらないこともあると思います。でも、それとは違って、逃れられないような「ストレス」や、そこから逃れると、また違う「ストレス」が発生するような「ストレス」と言うのは、正に「万病の素」...

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「あやまる」の種類

「あやまる」と言うのは、一つの文化だと思っています。そして、その「あやまる」にも種類があるように思うわけです。前にも、ここで書いたことがあるのですが、「あやまる」と言うことには、その国や地域の文化的な特徴がよく出ていると思うのです。でも、その文化的な違いとは、また違って、「あやまる」には種類があると思っているわけです。これは、よくある「謝罪会見」と言うのを見た時に感じたことなんですけど、「謝罪会見...

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いまも「信仰」は必要なのか?

「信仰」と言うものは、現代と言う時代の中で、どのような役割を担っているのでしょうか?以下は、「信仰」を持たないような人間の考えることですので、「信仰」をお持ちの方は、お気になさらないでください。と言っても、「宗教」がキライだというこが言いたいわけではありません。また、「信仰」と言うものを悪いものだと捉える気持ちもありません。私が言いたいことは、「絶対的なもの」と言うのは、つまり「神」ですね、今もま...

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人間は”三つが限度”なのかな?

何かにつけて、人間には限界と言うものがあるわけですが、その限界と言うのは意外なほどすぐそこにあって、要するに、たいしたことは出来ないというのが実態なわけなのです。そこで、思うことなんですけど、『人間は”三つが限度”なのかな?』と言うことを感じるわけなのです。例えば「大・中・小」とか「松・竹・梅」とか、三つで区切ると、人間がそれを把握しやすくなるような気がするわけです。これは、風景画を描くときに使われ...

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「時代の芸術」

「古典」から何かを受け継ぐことや、それをさらに「継承」していくことは、とても重要なことだと思っているわけです。現在においても、「古典芸術」やそのスタイルを「踏襲」している人や、それを愛好している人は沢山居るわけですが、この「踏襲」と「継承」の違いが大きいように思うのです。私は、「芸術」においては、そこに「意味」を創り出すことが不可欠の要素だと思っているわけです。「何の意味もないもの」を創作して、そ...

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「ことば」に実体を与えること

「ことば」と言うのは「論理」や「思考」をあらわす手段なわけです。その「論理」や「思考」には「意味」があります。しかし、それは実体を持っているとは限らないと思うのです。「論理」や「思考」には、「意味」がありますから、それが実体を持つような気がしてしまうわけですけれど、その「論理」や「思考」が実体を持つには、それを物質化することが必要であると思うのです。要するに、家に住むには、家の設計図と言う「ことば...

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「マイペースな時間」

世の中に、「マイペースな時間」と言うものが無くなってしまったような気がしてならないわけです。社会の中で働いている時の人もそうですけど、家事労働などにおいても、あるいは時として、ただ単に道を歩いているだけでも、「マイペースな時間」で行動している人が少ないように思うわけですね。例えばの話、家電製品の普及などによって、家事労働にかかる時間は飛躍的に短縮されたはずなのに、どう見ても、昔の人よりも今の人の方...

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「人間の底」

人間には、それぞれに「人間の底」があると思っているわけなのです。まぁ、一言で言えば「能力の限界」とでも言うんでしょうか。そして、その「人間の底」が見えないタイプの人には、どこかミステリアスな魅力があったりするわけです。また、そういう”底が見えない”タイプの人を「カリスマ」と呼んだりしているのだと思うわけです。(宗教的な意味での「カリスマ」に限らずですね)でも、この「カリスマ性」を、本当のその人の能力...

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「人間の醜さ」を見続けること

人間は過去において、さまざまな「醜いこと」を行ってきたわけです。そして、それらは今だに続いているようにも思えるわけです。それでも、なんとなくですけど、人間がそれらの「醜いこと」から、これから先、徐々に抜け出していけるんじゃないかと言う”兆し”が見えてきていると思っているわけです。 ※それは、「昔ながらの醜さ」から「新しい醜さ」への移行にすぎないのでしょうが、  その「変化」には、意味があると思うわけ...

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「名前」について

「名前」には「姓」と「名」があるわけです。その二つはなぜ別個に存在するのでしょうか?「姓」は家柄を示していて、「名」の方は個人を示しているわけですけれど、なぜ、「名」だけではいけないのでしょうか?いったい何のために「姓」は必要なのでしょうか?確かに氏素性を現すものとして、「姓」があることで、その人のいろいろなことがわかるようになっているわけですけれど、そういうことは、どこかで身分とか格差を生み出す...

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「ブレ」

何かに焦点を絞っているつもりでも、いつの間にか、そこのところが「ブレ」てしまうということが非常に多いわけです。例えば、絵を描いている時に、『ついこの前まで、チャント見えてたんだけどなぁ・・・』と言う感じですね。そんな時は、『ブレないでハッキリ見え続けていたら、もっと楽に描けるんだけどなぁ』と思ったりもするわけです。でも、そこで何とか持ちこたえようとするわけです。『いや、これは違うぞ!この前まで見え...

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「無駄」の価値

「無駄」っていうことは、要するに価値が無いことなわけです。でも、その『価値が無い』は、常に『まったく価値が無い』だとは限らないと思うのです。つまり、時には「無駄」が価値を持つということです。例えば、「ゆとり」だって「遊び」だって見方によっては「無駄」なわけですけど、そういう「無駄」も必要なわけです。そして、もう少し、その「無駄の価値」の範囲を広げていった方がいいんじゃないかと思うのです。世の中の工...

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「宛名も差出人名もない書簡集」

「ブログ」っていうのは「宛名のない手紙」みたいなものだと思うのです。さらに、有名人の「ブログ」でない場合は、「宛名も差出人名もない書簡集」ということに成るわけです。つまり、『誰が書いているのかわからない』そして『誰が受け取るのかわからない』そういう「誰か」から「誰か」へと、日々手紙が投函されていって、その手紙が集められて溜まっていく、そういう、ウェブ上に保管された「書簡集」が「ブログ」なんだと思う...

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「哲学を持った芸術」と「芸術を持った哲学」

「哲学」と「芸術」という二つは、人間の精神活動の中で、最も重要な二本の柱だと思うわけです。そして、この二つの要素がないと、他のどんな分野においても、「人間の精神」にとっての価値が高いものは、生み出されないのだと思っているわけなのです。つまり、「哲学のない〇〇」や「芸術のない〇〇」というのは、「人間の精神」に十分な満足を与えてくれるようなものにはならないと思うのです。もちろん、「哲学」や「芸術」がな...

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