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Archive2015年03月 1/2

「命の重さ」と「精神の重さ」

「命の重さ」が、重いということは言うまでもないことなのでしょうが、それは「精神の重さ」と比べた場合どちらが重いんでしょうか?例えば、人間としての「誇り」とか「尊厳」みたいなものと比べた場合に、「命の重さ」は、それらよりも重いのでしょうか?それは、何も「誇り」や「尊厳」ほど大げさなことでなくても、その人の「好み」や「やりたいこと」のような、ごく日常的なことについても、同じことが言えるのだと思うわけで...

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もう「天才」は「芸術」の領域ではないと思うのです

「天才」と言うと、「芸術」には付き物のように成っているわけですけど、実は、この「天才」というのは、もう「芸術」の領域ではなくなってしまっているんじゃないかと思うのです。本当のことを言えば、「芸術」に限った話でもなくて、他のどんな分野においても、もう「天才」の領域は小さくなくなっているのだと思うわけです。例えば「政治」の場において、いま「天才」は居るでしょうか?『居ないと思います』それは、これから先...

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「美しさ」の追究

かなり昔まで(100年ぐらい前?)、「芸術」は「美しさ」を追究するものであったのだと思います。しかし、その「常識」が崩されて、それと引き換えに「限りない自由」が与えられたわけです。それは、それでよかったのだと思うのですが、なにも、ムキになってまで「美しさ」を捨てる必要はなかったんじゃないかと思うわけです。確かに「既成の概念」を捨てることで「自由」に成ったのだと思うのですが、それは、目的ではなかったの...

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「平等」と「均等」の違い

「平等」とは、【大きさや形や色】が違うさまざまなものを、同じ高さに並べることで、「均等」とは、全ての物の【大きさや形や色】を統一することだと思うわけです。人間には「平等」が必要で「均等」は不必要だと思うのです。「均等」であっても、並べられた位置の高さが違ってしまえば「不平等」ですから、その「均等」は、ただ単にキュウクツなだけで、何の意味もないと思います。だから、「不均等」で「平等」なのが、一番いい...

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「狙った所に行かない」

どんなことでも、「狙った通り」に成ると言うのは気持ちいいもんですけど、それが、なかなかできないということに成っているわけです。そこで、「狙った通り」に決められるような能力を持った人のことを「天才」と言っているんでしょう。でも、もう見飽きてきているんだと思うわけです。そういう「天才」の「狙い通り」がですね。いくら「天才」でも、「狙い通り」では、やはり「想定内」の域を出ないわけです。つまり、「意外性」...

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「拡散する方向性」と「引き留める力」

「自由」とは、言い換えるならば「拡散すること」だと思うわけです。つまり、果てしなく広がって行くことこそ「自由」を象徴することなんじゃないのかなと。そして、それを引き留めようとする力が、「拘束」に成るわけですけれど、その「拘束」のない所で、広がって行くことは「自由」なことではあっても、最も「自由」なことではないと思うのです。本当の「自由」とは「拘束」からの「解放」であり「脱出」であり、「解脱」である...

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「芸術」は「立場」によって作られる

「芸術」っていうのは、「絵が上手い」とか「手先が器用」とかということじゃないと思うわけです。「じゃあ、どういうことなのか?」ということなんですけど、一つには、「立場」なんだと思うわけです。『作者の立場が芸術を作る』という要素があると思っているわけなのです。世界の中で、その人が立っている位置っていうのがあると思うんですよね。例えば、会社や職場だと、役職や担当部署で「立ち位置」が分かれてくるので、わか...

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「ホームレス」と言う民族?

「ホームレス」と言うと、「社会のヒズミ」の象徴のように言われることが多いわけですけど、そういう側面とは別に、「ホームレス」には「民族」としての側面があるのではないかと思うことがあるわけです。(そういう側面がもともとあったというよりも、新たにそういう性質が出てきたということかもしれませんが)例えば、「遊牧民族」と言う人たちが居るわけですが、彼らが遊牧生活を営んでいる場所に、コンクリートのビルやアスフ...

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「遺伝された能力」と「個人の能力」

「人間の能力」には、「遺伝された能力」と「個人の能力」があると思っているわけです。「遺伝された能力」とは、親や先祖から受け継いだものです。ただし、肉体や脳などの「ハード・ウェア」的な部分だけでなく、文化や民族特性のような「ソフト・ウェア」的なものも含まれるのだと思うわけです。また、両親や先祖から直に受け継いだものだけでなく、社会から受け継いだものも、広い意味での「遺伝」だと思っています。要するに、...

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「教科書の中」でしか達成されていないこと

「教科書の中」では成立したことに成っていることでも、実は、まだ本当には実現していないことというのがあるんじゃないかと思っているわけです。例えば、「教科書の中」では、いろいろな国で、それぞれいろいろな革命運動が起きて、「自由・平等・平和」が実現されたということになっているわけです。でも、実際には、本当に「自由」で、本当に「平等」で、本当に「平和」な国なんて、まだ、どこにもないんじゃないかと思うわけで...

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「小さな自分」を確信すること

『宇宙の中で、人間の存在などと言うものは、小さい点のようなものなのだ』とはよく言われることですが、そう言っている時も、実は、なかなかどうして、そういう「小さな自分」は、確信されてはいないのではないかなと思うわけです。つまり、それは「宇宙」や「自然」との対比でもって、「自分の小ささ」を認めざるを得ないというだけで、実態としては、相変わらず人間にとっての「自己」はとても肥大化しているように思うわけなの...

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「絵画」と「塗装」

「絵画」と「塗装」の違いは、どこなんでしょうか?いや、そもそもこの二つは違うものなんでしょうか?色を塗ることで何らかの効果を生み出して、見た人の心を楽しませると言う点において、この二つに違うところは見当たらないわけです。そうだとすると、「絵画」と言うのは、ただ単に『これは芸術家が描いた絵なんだぞ』といって、”エラソー”にしてるだけなんじゃないのか?と言う疑問が出て来るわけです。実際、そういう捉え方を...

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「芸術」は一人では達成できない?

「芸術」と言うのは、一人では、なかなか達成できないものだと思うわけです。それで、昔から「パトロン」と言われる人が居て、「資金」や「制作のための環境」を提供してきたわけですが、そういう「パトロン」のほとんどが、貴族階級などの裕福な人だったわけです。ただし、ここでひとつ大事なポイントがあると思うのです。それは、昔の「芸術のパトロン」に成るような人たちは、単に「お金持ち」なだけではなくて、働かなくてもい...

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「鑑賞者」が「芸術」に加えるもの

「芸術」における「鑑賞者」の位置については、それを”受け身”であると考える人もいるでしょうし、「鑑賞者」が、今よりもっと「芸術」に”参加”できるようにした方がいいと考える人もいるのだと思うわけです。ただ、そこで、参加してしまったら、その人は、単なる「鑑賞者」ではなくなってしまうはずですから、それを、「鑑賞者」と呼ぶことは出来なくなってしまうと言う問題が出て来るわけです。それは、「体験者」または「共同制...

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「本能」に近く、「欲望」から遠い

私は、「芸術」に対する自分自身の一つの指針として、『「本能」に近く、「欲望」から遠い』ということを考えているわけです。『「本能」に近い』というのは、人間の根源的な部分に近いということです。「心の一番深い所で感じるもの」ということですね。これによって「普遍性」が生まれると思っています。「欲望」と言うのは、人間が持っている欲求の中で「美しくないもの」だと思うのです。たとえ、それが「本能」に近い所から発...

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「見ること」・「知ること」・「言うこと」

「表現」と言うのは、「見ること」にはじまって、「知ること」を経て、「言うこと」に至るのだと思っているわけです。その最後の「言うこと」だけを取り上げて「表現」と言ってしまいがちなわけですけれど、その前に「見ること」や「知ること」が無ければ、その「表現」は意味のあるものにはならないのだと思うわけです。「見ること」において、大事なのは「見たくないものを見ること」でしょう。「見たいもの」だけ見ていても「見...

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「芸術」の位置を引き下げること

『芸術の高みに向かって登っていく』みたいな言い方を聞くことがあるわけですが、これは、ちょっと考え方として違うんじゃないかなと思ってしまうわけなのです。かなり昔(100~200年ぐらい前?)までなら、一つの目標に向かっていましたから、それでよかったんじゃないかと思うのですが、もう、今は一つの頂点に向かっていくということがなくなっているわけですから、その「上昇志向」には意味がなくなっているハズなわけで...

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「基本」は「初心者向き」ではないと思うのです

何においても、初心者は先ず「基本」からということになっているわけですけれど、これは本当に、いいやり方なんだろうかと思うことがあるわけです。本当は、「基本」っていうのは一番難しいものなんじゃないかと思うわけです。確かに、「基本」とされていることは、初心者にも手が出しやすいような、一見すると簡単に見えることが多いわけですけれど、実は、その道を極めた人が最後に辿り付くものも、また「基本」に違いないのです...

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「センス」と言われているもの

「センス」と言われているものがあるわけですけれど、この「センス」っていったい何なんでしょうか?『センスがイイ』とか『センスないよね』とかと言っている時の「センス」って、実体としては何なんでしょうねっていうのを、いつも考えてしまうわけなのです。本来は、「センス」は「感覚」とか「感性」に当たるものだと思うわけですけど、いま、一般的に言われるところの「センス」は、それとは微妙に”ズレ”ているようにも感じら...

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「ポジティブなネガティブ」と「ネガティブなポジティブ」

このブログで、何度か言っていることなんですけど、現在の日本では(世界的にもその傾向はあると思いますが)、全ての考え方が、「ポジティブ」に偏りすぎていると思うわけです。これは、とにかく行き過ぎていて『どう考えてもオカシイでしょ』と思っているわけです。そんな中で、とくに『オカシイ』と思うことの一つが、一見すると「ポジティブ」な人が、実情はとても「ネガティブ」でも、「ポジティブ」の看板さえ出していれば「...

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