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Archive2015年10月 1/1

「文明は人の思考を停止する」・「文化はそれを再起動させる」

「文明」と「文化」の違いは、「物質的」と「精神的」と言う違いだといっていいんだと思うんですね。そして、「文明」を生み出すためには、「文化」が必要だし、「文化」を達成したり維持したりするのには、「文明」が不可欠だと言えるんじゃないでしょうか?そうやって、関連し合って、進んでいるのが「文明」と「文化」なんだと思うわけですけど、この二つには、「人の思考」のスイッチの「ON/OFF」を切り替える機能もあるんじゃ...

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「自我」

人間は、ごく幼い時期に「自分」と言う存在を意識するように成るみたいですね。いわゆる「自我」ですね。「我が強い」とか、「我を張る」なんて言い方もあったりしますけど、そういうのなんかも、たぶん「自我」に含まれるんでしょうね。この「自我」の使い方なんですけど、「自我」には、使い方によって「プラスの作用」と「マイナスの作用」が大きく分かれてしまう性質があるんだと思うんですよね。さしづめ、「我が強い」や「我...

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スポーツは本当に体にいいのか?

一般的に、「スポーツ」は体にいいということに成っているわけですけど、必ずしも、「スポーツマン」が長生きだったり、病気をしなかったりということでもないようですし、また、「スポーツ」をやっている人の方が短命だという説なんかも聞いたことがあるくらいですから、『本当に、スポーツって体にいいの?』と思ってしまうわけなのです。本当は、「体にいい」のは「運動」であって、「スポーツ」じゃないんじゃないかと思うんで...

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「風景画」・「静物画」・「人物画」

「具象絵画」の代表的なものと言えば、「風景画」・「静物画」・「人物画」ということに成るでしょう。私の勝手な持論ですけど、「抽象絵画」と言うのは、「風景画」でもあり、「静物画」でもあり、「人物画」でもあるというのがイイんじゃないかと思っているわけです。つまり、これら三つの「いいところ」をあわせもっているのが「理想」ということですね。当然、「現実的な話」ではないです。 ※これら三つのどれでもないものが...

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「動く層」

油絵具の特徴は、なんといっても、絵具を重ねていったときに出て来る複雑な色合いだと思っているわけです。それで、その過程で、いろいろな「色の効果」が現れて来る瞬間が、タマラナク好きなので、油絵具から離れられないと言うわけです。そんな中で、絵具を溶く油(画用液)に工夫をしたり、絵具を乗せる厚みを変えたりと言う工程が、発生してくるわけですね。そういう工程のことを細かく言うのは、無意識でやっていることも多い...

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「理由」と「意味」

「抽象画」を描いていたりすると、人から『この絵は何を現しているのか?』と聞かれることがあるわけですね。でも、なかなか、それを言葉で言い表すことが出来ないんですよね。そして、そういうときに感じるのは、そういうことを聞く人が求めているのは、たぶん、「その絵の理由」なんじゃないか?ということなんですね。「具象画」だったら、『〇〇の美しさに感動したから、その美しさを現したくて〇〇の絵を描きました』と言うこ...

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「人間のスペック」

パソコンの性能を表すときに、「スペック」と言う言葉を使うことが多いみたいですね。「容量」みたいな意味なんでしょうか?その辺はよくわかりませんけど、要するに「性能」を数字に置き換えてわかりやすくしているということでしょう。現代社会に置いては、この「スペック」に当たるものが、「人間」に対しても当てはめられるケースが多くなっているように思うわけです。つまり、「人間」が「性能」で判断されているということで...

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「芸術度」

現在、「芸術」と言うものを、規定したり定義したりすることは、なかなか出来ないわけですが、そういった「規定」や「定義」が全く無いというのもどうかと思っているわけです。それで、私は「芸術」を「度合い」で判断するのがいいんじゃないかと思っているわけです。つまり、どのぐらい「芸術」であるのか?と言う「芸術度」ですね。『芸術なんて言う名前にこだわらなくてもいいじゃないか?』と言う方もおられるんでしょうね。そ...

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「描くという姿勢」と「描かないという姿勢」

「抽象絵画」を描こうとすると、「描かない」と言う姿勢が必要になると思うわけです。でも、私は「描くという姿勢」も捨てないほうがいいんじゃないかと思っているので、この二つのバランスを意識するようにしています。「描くこと」に執着すると、どうしても上手く描こうとしますから、往々にして、ツマラナイものしか出来てきませんね。これは、現実のモノと言う「拠り所」を持たない「抽象表現」に置いては、より一層はっきりと...

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「考えること」≠「頭を使うこと」

「考えること」と「頭を使うこと」と言うのが微妙に違うと思っているわけなんです。よく、『シゴトで動いているから運動なんかしなくても運動不足にならないんだ』と言っている人が居ますけど、たぶん、間違っていますよね。(「たぶん」です。科学的裏付けなどはありませんので、アシカラズ)仕事でかなり動いていても、ほとんど「運動」の代わりにはならないと思います。仕事は「労働」ではあっても「運動」ではないんでしょうね...

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「批判」と「否定」

「批判」と「否定」は重なるところが多いので、混同してしまいがちなものだと思うんですが、実際には、かなりの違いがあるんだと思います。「批判」も「否定」も「ネガティブ」ということで、同じように扱われることが多いわけですけど、「批判」はそこから何かを得ようとするもので、「否定」はそこには得るものがないと判断することなのでしょう。つまり、「批判」は「否定的」ではあっても、「全面的な否定」ではないということ...

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芸術作品の「在り方」と「見せ方」

私は「絵」に合わせて「額」も作っていこうと考えているわけですが(まだ、できてませんけど)、「芸術作品」には、「見せ方」ということが必要になってくるんじゃないかと思っているわけです。「芸術作品」と言うのは、それ自体がすべてであり、単独で完結している必要があると言うべきなのかも知れませんが、それでも、なおさらに、何か加えることは出来ないものだろうか?と言う気持ちがあってもいいんじゃないかと、そんな風に...

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