FC2ブログ

Archive2015年11月 1/3

「習作」を描くこと

このところ、「習作」を描くことが『とても役に立つなぁ』と思っているわけです。以前は、『習作なんて何のために描くのか?』と思っていました。有名な画家の作品の中に「習作」とされているものが混じっていることがありますけど、「本作」とそれほど出来栄えの変わらないようなものもあったりして、どこで「習作」と「本作」を分けているのかわからないことも多く、また、そもそも何のために「習作」にそこまで力を入れて描くの...

  • 0
  • 0

「芸術」や「エンターテイメント」を「一般人」の手に取り戻そう!

今や、「芸術」と言えば「芸術家」のもの、「エンターテイメント」と言えば、「芸能人」などの一部の「エンターテナー」のもの、ということに成ってしまっているわけですが、これらを「一般人」の手に取り戻さなければならないと思うわけです。もともと、「芸術」だって、「エンターテイメント」だって、昔は、きっと「一般人」のものだったんじゃないかと思うのです。マスコミもなく、情報伝達手段も限られていた時代には、「芸術...

  • 0
  • 0

「現代美術」が「額」を拒否するに至った理由

「現在形の絵画」に置いては、「額」は拒否されていると言っても過言ではないように思うわけです。でも、そもそも、なんで「額」は拒否されてしまったんでしょうか?まず、私自身のことで言うと、「額」が「権威の象徴」のように感じられたということがあるんですね。「額」と言うのは、けっこう高価なものですし、歴史的に見ても、ヨーロッパの王宮などを絢爛豪華に飾ることで、発展してきたものですから、「絵」をゴージャスな調...

  • 0
  • 0

「死ぬ日」

『「死ぬ日」が幸せだったら、まぁ、けっこう「イイ」んじゃないかなぁ』と思ってしまうわけです。少なくとも、そこまでの人生がそれなりに幸福でも、「死ぬ日」が不幸だったら、だいぶ「イヤ」なんじゃないかと思ってしまうんですよね。それは、必ずしも最後にいいことがあるとか、すごく満たされて充実した気持ちで「死を迎える」といったことではなくて、どちらかと言うと、「スンナリト死んで行ける」と言う感じですか?まぁ、...

  • 0
  • 0

「自分がナニモノなのか」を見出す

私の場合、「自分がナニモノなのか」を見つけるのに、随分と時間がかかってしまいました。と言っても、今でも「自分がナニモノなのか」がハッキリとわかったということではないですけどね。まぁ、どちらかと言えば、今までがいかに見当違いだったかに気が付いたって感じですか?とにかく、5年ほど前に50歳くらいになった頃、ようやく『自分はこんな人間なんじゃないの?』と言う感じでした。でも、こういうの、私だけでもないんじ...

  • 0
  • 0