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Archive2018年06月 1/1

「戻ること」は人間に与えられた特権

このブログは「芸術の20世紀喪失」ということをメインテーマにしているんですが、それは時代を「戻ること」であり、また、「やり直すこと」でもあるわけです。まぁ、それはともかくとしてです。「戻ること」と言うと、「後戻り」とか「後退」というマイナスのイメージが強くなってしまうと思いますけど、実を言うと、この「戻ること」と言うのは、地球上の生き物の中で「人間だけに与えられた特権」であり、また「人間の切り札」...

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「戻ること」は人間に与えられた特権(つづき)

前の記事の続きです。さて、「戻ること」は「人間だけに与えられた特権」であり、「人間の切り札」でもあるんじゃないのか?そして、「戻ること」によって「進化の加速」を止めることが出来れば、「人間」は「過剰な進化による絶滅」を免れることが出来るのかも知れないという話です。『そんなに大袈裟な話なのか?!』いや、成り行きで、話が大きくなっってしまって・・・・・まぁ、ただ単に『歴史に学びましょう』と言うだけのこ...

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「芸術」は「特別な人に与えられた権利」じゃない

「芸術」を「特別な人がやるモノ」だと考えている人が、けっこうたくさん居るみたいなんですけど、でも、それ、相当矛盾していると思うんですねぇ。要するに、「特別な才能」とか「特別な感性」とか「特別な技巧」とか、そういう「卓越したモノ」を、もともと生まれながらにして持っている人がいて、そう言う人が「芸術をやる人」だということなんでしょうね。でも、そういう「特別な人」が創作したモノを、誰が見るんでしょうか?...

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「美人画」は今でもアリなのか?

昔から今に至るまで、「美しい人」を描くというスタイルは、ずっと続いてきたわけですが、そういう「美人画」に代表されるようなスタイルと言うのは、今でもアリなんでしょうか?まぁ、「芸術として」ということなんですけど、このことにチョクチョク疑問を感じてしまうわけです。これは、必ずしも「美しい人」に限ったことでも無くて、「美しいもの」全般に言えることなんですが、まず、「美しいもの」をそのまま描くことに、今で...

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「神」はすでに自分の中にいた。「天才」とはみんなのことだった。居ないのは「普通の人」だった。

私は「天才の時代」は百年も前に終わっていて、「神の時代」はもっと前に終わっていると思っているんですが、『それじゃあ、今は何の時代なんだ?』と言われるならば、「普通の人の時代」なんじゃないかと思うわけです。確かに、今でも「神」を信仰している人は沢山いますし、まして、「天才」については、出現し続けていると考える人が大多数なわけですが(というより『天才なんてもういないんだ』と言ってる人なんて居ません。不...

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「年寄りが尊敬されない社会」

現在の社会って「年寄りを尊敬しない社会」ですよね。でも、これ、「すべての人にとっての命取り」だと思うんですねぇ。だって、「すべての人」が年を取るわけですから、最終的にすべての人が自分を尊敬できなく成っていくということですよね。残された道は「年を取る前に早く死ぬこと」ですか?そんな社会ってどうなんでしょうねぇ。やっぱり、そういうのって「命取り」なんじゃないでしょうか?皆さん、自分だけは「尊敬される年...

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「老人の傍若無人化」は「社会」が生み出している現象

前の記事の続きです。前の記事に書いたのは、『「年寄り」は尊敬しましょう』ということなんですが、そんなノンキなことでも無いんじゃないか?というお話です。「年寄りを尊敬しない社会」を作ってしまうと、すべての人が自分のことを尊敬できなく成って死んでいかなくてはならなくなります。そういう社会は誰にとってもソンだと思うんですよね。でも、そこまでだったら、なんとなく「気の持ちよう」で何とか成りそうな感じもある...

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「旧・現代美術」・「現・現代美術」・「次・現代美術」

「現代美術」と言われているジャンルが現れてきてから、もう100年くらいたっているわけですが、この「現代美術」という言葉をいつまで使い続けていくのか?という問題があるわけですねぇ。つまり、現在の「せわしないタイム感」と『100年間ずっと現代』ということの間に、かなりのギャップを感じてしまうわけです。要するに、美術史的な意味において、過去を振り返って時代を区分する時の「〇〇時代」と言うのと、「現在進行...

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「原因としての表現」と「結果としての表現」

どんなことでも、物事には「原因」があって「結果」があるわけですけど、表現にも「原因としての表現」と「結果としての表現」があると思うわけです。誰かが表現したことが、めぐりめぐって別の誰かに影響を与えるというのが「原因としての表現」ですね。それに対して、別のことに原因があってその結果として何かを表現するように成るというのが「結果としての表現」というわけです。「芸術表現」の場合は、主に「原因としての表現...

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「社会的メッセージ」は「アート」と言えるのか?

前の記事と似たような話です。まぁ、「芸術」が「目的」を持ってしまうと「純粋な芸術」ではなくなってしまうんじゃないのか?というような話ですね。かなり昔の話になりますが、「メキシコ・オリンピック」が開かれたときに、当時のアフリカ系アメリカ人の人権確立運動である「公民権運動」の影響もあり、アメリカでの黒人差別に抗議したアメリカの黒人選手が表彰台の上で「抗議のパフォーマンス」を行ったという事件がありました...

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