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「長い題」=詩のような題(その13)



「長い題」=詩のような題(その13)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、「長い題」が二つ三つ出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)

はじめの二つは、ほとんど同じようなものなんですが、どっちがいいのかわからないので、両方書いておきます。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『げんだいの じょじしを かたること』
それは この プラスチックの せかいを すてること

げんだいの じょじしを かたること
それは この みせかけの じかんを とめること

げんだいの じょじしを かたること 
それは この そとがわの からだけに なった じだいを ぬぎすて
にんげんの にくたいと せいしんを とりもどすこと


もういちど ときめくじかんを つくりだそう
あの みわくされる しゅんかんを おもいだそう

みも こころも ささげてしまいたく なるような
にんげんの せいを よびもどし
この ぬけがらの じだいに いきを ふきこもう


もし かりに いまに まんぞくしていると いうものが いるのなら
そんな ひとは おいていけばいい
この じだいの ぬけがらと ともに

その プラスチックの ぬけがらに へばりついて いたいなら
それを とめる ひつようは ない
かれらに とっては それが ゆいいつの しあわせ なのだから


もはや われわれに そんな ためらいは ない

この じだいに ちを そそぎこみ
にくたいを よみがえらせ 
そこから ふきだす かんきが この せかいを みたしたとき

そこには 
にんげんの いのちが 
えいえんに おどりつづけることが できる くうかんが 
うかびあがる ことだろう

その やくどうする せかいを まのあたりに してしまったからには
もう われわれが ここに とどまる りゆうは なくなった


そう われわれは たった いま 

げんだいの じょじしを かたりはじめると けついしたのだから

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『げんだいの じょじしを かたること』

それは この プラスチックの せかいを やめること 
それは この みせかけの じだいを すてること

それは この いつわりの じかんを とめ
こころおどる じかんの ながれを とりもどすこと


いま この ページを やぶりすて
あらたな ページを くわえよう

プラスチックの じだいに
れきしという なまえは にあわない

それは せんねんごには きえてしまう ページ

そんな ページを かさねても 
げんだいの じょじしは かたれない
この プラスチックの せかいに 
じんじつの こえが ひびくことは ない


このままでは ひとの からだも プラスチックに なるだろう
このままでは ひとの こころも プラスチックに なるだろう

そう この みせかけだけの ページを かさねていけば
そう この しんじつのない おんがくを かなでつづけていけば

きっと プラスチックの にんげんたちが
ただただ せいかくに ときを きざみつづける
そんな よのなかに なるだろう


だから いま 
しんじつの ことばを かたりはじめよう
たとえ それが まやかしだと いわれても

それは せんねんごに じょじしと なって
かたりつがれる ものがたりに なるのだから

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『どうぶつのように いきれば』

きっと なにかが うしなわれ 
きっと なにかが えられるに ちがいない

どうぶつのように いきれば

きっと なにかが わすれられ
きっと なにかが おもいだされるに ちがいない

どうぶつのように いきれば

きっと なにかが みえなくなり
きっと なにかが 
めのまえに くっきりと うかびあがるに ちがいない


それは まだ ひとが にんげんでは なかったころの きおく
それは まだ ひとが どうぶつで あったころの おもいで

そう それは げんしの よろこび

それは かぜ
それは いろ
それは ひかり
それは ねつ
それは いのち

そう それは ひとが ひとであることの よろこび


ひとも また どうぶつで あると いうけれど
ひとも また しぜんで あると いうけれど

にんげんが げんしの よろこびを わすれてからは

それを どうぶつとは よべなく なって
それを しぜんとは よべなく なって
それを ひととは よべなく なって
それは もう にんげんとしか よべなく なって

そこに きかいじかけの にんげん という 
よくできた いきものが あらわれる


きかいじかけの にんげんが はんしょくし
どうぶつである ひとを はいじょする

よくできているから こわれない
きかいじかけの にんげんは こわれない

どうぶつである ひとは よく こわれる
ひとは いつでも こわれてばかり
けっして よくは できていないから


だが しかし 
その きかいじかけの にんげんが しはいする 
この よくできた よのなかで

いったい だれが その きかいを うごかすのだろうか

いったい なんのために 
それを うごかし つづけると いうのだろうか

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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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