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「逆転」と「反転」



「芸術の20世紀」におけるもっとも重要なテーマは「既成」に対する「逆転」であったのだと思うわけです。


だから、一度「既成の概念」をすべて破壊する必要があったんだと思います。

しかし、「破壊」自体は真の目的ではなく、ひとつの考えから抜け出せなくなってしまった状況をひっくり返しして、新しい展開を生み出すことができさえすれば、それでよかったんじゃないかと思うわけです。

ところが、その「逆転」を「正統」に祭り上げてしまったことで、その「逆転」が固定化されてしまって、結果的には、「既成概念」を「新・既成概念」に改訂したことに留まってしまったわけです。


そして、その「少し新しい既成概念」がずっと貼り付けられっぱなしに成っている。
それこそが、「現代美術」の現状だと思います。


しかも、その「少し新しい既成概念」がもう百年くらい続いてしまっていますから、「少し新しい」でもなくなってしまっています。
そうなれば、もう単なる「既成概念」でしかないわけで、元に戻ってしまったと言うほかないわけです。


これは、人間という生き物が「逆転」ということに成れていなかったということだと思うわけです。


人類の過去の歴史において、「発想」や「概念」を根本から「逆転」したことが、一度も無かったんじゃないでしょうか?
だから、慣れていなかったんだと思います。


それで、やみくもに破壊するしかなかったんでしょうね。
これは、一度はやる必要があったことだと思います。

しかし、その後、一通り破壊した後に成って気が付いてみたら、いつの間にか、また「既成概念」が出来上がっていたということだと思います。


要するに、『反転し続けなければ意味がない』ということだと思うわけです。

ひとつの「既成」に対して、「正反対」に向かってもそれを固定化してしまえば、それは本当の意味で「逆転」とは言えないと思うわけです。


「あるモノ」に対して、その「逆」に向かえば、その「あるモノ」に対する「逆転」ではありますが、その「あるモノ」を外して考えれば、「逆転」とは言えなく成ってしまいます。

どんなことも、初めの段階では「あるモノ」に対する「逆転」であるわけでしょうが、その「逆転」を継続しなければ、それは「真の逆転」とは言えないと思うわけです。

つまり、いま「逆転」している自己に対しても、常に「反転」し続けることこそが、「真の逆転」と言えるんだと思うのです。


そして、そういう「真の逆転」こそが、「芸術の20世紀」において必要な「逆転」であったのではないのかなと思うわけです。


一見すると「芸術の20世紀」においては、「逆転」や「反転」が連続しているかのように見えるかもしれませんが、それらは、「あるモノ」に対する「逆転」であり「反転」であったのだと思います。

そして、その「あるモノ」とは、「20世紀以前」であると思うわけです。

つまり、「芸術の20世紀」における「逆転」や「反転」というのは、すべて、さまざまに形を変えた「20世紀以前に対する破壊」、つまり、「アカデミズムの破壊」であったのだと思うのです。

  ※もう一つの考えとして、「20世紀」においては「ある創作者個人の中での逆転」と
   「芸術の場全体としての逆転」が混同されているということもあると思いますが、そ 
   ちらは話が脱線しそうなので、ここでは触れないことにします。


そして、その後「アカデミズムの破壊」は時代に受け入れられ、常識化して、「新たなる既成概念」となって、また、固定され、行き詰まって行ってしまったわけです。

しかも、その「アカデミズムの破壊の継続」が一定の「パターン」となって固着してしまったために、その「破壊の継続」自体も、また、「既成概念化」してしまったということです。
つまり、すでに「既成概念」となってしまっている「20世紀」を、延々と繰り返すことが、「逆転」であるという錯覚が、完全に時代に肯定されてしまったわけですね。

もしも、それが錯覚でないならば、現在のような「行き詰まり感」はないはずです。
(『行き詰ってませんよ』と言う人は、それでいいのかも知れませんね)


現状が行き詰っているとすれば、それは、固定化した「20世紀」が貼り付けられたままに成っているからで、「20世紀」を「逆転」できずにいるからに違いないのです。


そして、その「逆転」と言う「固定」から抜け出して、本当の「反転し続ける時代」を築くことができれば、現在の「芸術の行き詰まり感」は解放されるという風に思うわけです。


そうなれば、「王道」や「正統」と言った感覚自体が無意味になるでしょうし、「上・下」や「巧・拙」といったことを基準にするという考え方も消滅してしまうでしょうから、ずいぶんと自由になることでしょう。


そうなった後の世の中に、一体どんな「芸術」が生まれるんでしょうねぇ?
わたくしは、心の底から、そう言うモノを見てみたいなぁと。

そんな風に思うわけなのです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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