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「権力」と「カネ」の逆転



昔ならば、「権力」のあるところに「カネ」が寄って来たんだと思うわけですが、今はそこのところが逆転してきていて、「カネ」のあるところに「権力」が出来上がってしまうということが多くなってきていると思うわけです。


要するに、封建的な世の中だったころには「身分の格差」がハッキリしていたので、身分が高い人の所に無条件で初めから「権力」があったわけですね。
(まぁ、その身分のモトに成っていたのは「武力」でしょうが)

そして、その「権力」のある所に「カネ」が集まっていくように成っていたわけです。


ところが、今は世界全体が一応「平等」の流れに成って来ていますから、建前上は「身分の差」が無いということに成っているわけです。

そうすると、「カネ」もどこに行っていいのかが、わからなく成ってくるわけで、結果的には、もともと「カネ」を持っている人とか、チョット上手く「カネ」を稼いだ人の所に「雪だるま式」に「行き場を失ったカネ」が集まるように成るわけです。
(いやらしい言い方に成ってしまいますが、これこそ、「資本主義の原理」だと思います)


そして、そうなってくると、今度はその「雪だるま式」に膨れ上がった「カネ」の所に、「権力」が出来上がってくるというような仕組みになっているわけですね。
(さらに、いやらしくなりますが、これこそが、「現在の民主主義」の本当の姿なのかもしれません)


昔の圧倒的な「身分の差」があった時代の「王様」や「貴族」の「権力レベル」は、「民間人」との対比ということで言えば、ちょっとやそっとの「お金持ち」くらいではどうにも逆らえないくらいの「権力レベル」だったわけで、結果的に、「カネ」もそこに寄り集まっていくしかなかったんでしょう。

でも、それと同じように、「今のカネ」も絶対的な存在になってしまっているので、やはり、「権力」も含めたすべてがそこに寄り集まっていくしかなくなってしまっているわけです。


つまり、ただ単に順番が違うだけで、どっちにしてもほとんど同じことに成っているわけで、『カネが先か権力が先か?』という『ニワトリが先か卵が先か?』みたいな話になっているわけですね。


これだと、何のために「平等」や「自由」を手に入れたのかわかりませんよね。
せっかくいろいろな犠牲を払って「自由」や「平等」を手に入れたわけだし、それを生かしていかないと『モッタイナイかな?』と思うわけです。


つまり、前の時代の人たちが、けっこうな命がけで作り出してくれた「自由」や「平等」を、実際に有効なモノにするのは、いまの時代の人間の責任なんじゃなしかと思うわけですね。


ハッキリ言えば、現在ある「自由」や「平等」なんて「形だけ」もいいとこだし、時には、『身分の差がはっきりしてた方が、かえって分かりやすくていいんじゃないか?』と思うことすらありますけど、それでも、その「形だけの自由と平等」を創り出すために体を張った人が居たわけで、その先人たちに対して、そんな失礼なことを言えるのか?と言えば、私は言えません。

そういうことを言うのと同じように、そういう「形だけの自由と平等」を、そのまま「形だけ」にしておくことは、やっぱり、その先人たちに対して失礼なことなんじゃないのかなと。

それが出来るか、出来ないか、なんていうことじゃなくて、「自由」や「平等」を有効にしなければモッタイナイと思いますし、それ以上に、「カネ」が「カネ」に寄っていくのを肯定したって誰の得にもならないと思いますし(意外と「お金持ち側」の人の得にもなっていない?「幸せ」に成れるとは限らないですからね)、「カネ」が「権力」を生み出すのを「意味のないこと」だと言いたいわけですね。


スマートに「カネ」を稼いだり、その「カネ」によって作り出された「権力」をサラッとサリゲナク使いこなしたりすることを、「美しいこと」のように言う傾向がありますが、実は、そういうのは決して「美しいこと」ではないと思うわけです。
(というか、どちらかと言えば「醜いこと」じゃないかと思いますね)


私は「IT長者」や「財界のヒーロー」なんかよりも、「挑戦者」や「革命児」の方が好きですね。

前者はなんだかんだ言っても、つまるところ「自己保身的な人」だと思いますが、後者は「ソントク」に関わらず「自分のやりたいこと」に向かって行った人だと思うわけです。

そういう人が、いまの時代に現れないのは悲しいことだと思います。


きっと、今もそういう人は居るんでしょうが、おそらくは、いまの世の中では、そのままでは生きられないんでしょうね。


そんな風に思います。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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