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「種類わけ」と「身分わけ」



「範疇分け」という作業を嫌う人も結構いると思いますが、私は「種類」を分けることはとても重要なことだと思っているわけです。
なぜなら、「種類」を分けないことから「差別」が生まれることがとても多いからです。


「人種」にしても「民族」にしても「宗教」にしても、他のどんなことにしても、「種類」を分けないで「違うモノ」を「同じモノ」として考えようとすると、必ずどこかに無理が出てきて、相手を「差別」するように成るわけです。


もちろん、理想を言えば、「種類」なんか全然気にしないで、全てのモノゴトを均等に考えて、それでも「差別」しないで居られたら一番いいのだと思います。


でも、実際には、「種類」を分けずに「差別」を無くすことは難しいと思いますね。


たとえば、「民族」によって「風習」も違えば「価値観」や「道徳観」も違うわけですから、それを、同じモノサシで計ったのでは、「異民族」の「異文化」が、どうしたって「違和感」に成ってしまうわけですから、当然、多くの人が受け入れられなくなってしまうわけです。

モノサシ自体が違うわけですから理解できるはずがありません。


それを無理にわかろうとするから、「差別」が生まれるんだと思います。


『これは「チガウ種類の民族のチガウ種類の文化」なんだ』と思うことで、人間はようやく、『「区別」はするけど「差別」はしない』という位置に立てるんだと思うわけです。
つまり、その辺が、「現在の人間」の立って居る位置なんじゃないかと思います。

『「区別」も「差別」もしないよ』というのは、まだ「現在の人間」には無理だと思います。
(少なくとも、私は出来ないです。世の中で「差別」が一番嫌いなのに!)


それに、この「区別」には、言われているような弊害はないと思います。

実を言うと、いま嫌われているのは、同じ「範疇分け」と言っても、「種類わけ」ではなく「身分わけ」のように、モノゴトを「上・下」で分けるタイプの「範疇分け」であって、これこそが、まさに「差別」でもあるわけです。


逆に言うと、「区別」とは「種類分け」のことであって、そちらにはほとんど害はないということです。

害が発生しないのは「上・下の差」が無いからですね。
横並びの「種類」は多くても何の害もありません。


むしろ、「種類」が増えることは、一種の「豊かさ」であるとも言えるわけで、プラス要素もあるくらいですから、嫌う必要はないように思うわけですね。


そういったことから、「範疇分け」は「種類分け」と「身分わけ」があって、「種類分け」をすることで「身分わけ」をしないようにできたらいいのかなと。

そうすれば「差別アレルギー体質」の人には、少し生きやすい世の中になるのかなと。
(そんな人、あんまり居ないの?)

そんな風に思っているわけです。



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