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「克明に描くこと」と「ナマナマしく描くこと」



「克明に描くこと」と「ナマナマしく描くこと」は似ているようで、少しチガウことだと思うわけです。


「克明に描くこと」と言うのは「客観的に描くこと」であって、より「正しく描くこと」なんだと思います。


それに対して、「ナマナマしく描くこと」の方は「主観的に描くこと」であって、「正しさをハミダシテ描くこと」なんじゃないかと思うわけです。


そして、「克明に描くこと」のためには、モノを見ながら描くのが適しているわけですが、「ナマナマしく描くこと」のためには、モノを見ないで描く方が適しているわけです。


モノを見て描くと、どうしても「そのモノ」に縛られて、ハミダセナクなってしまうことがあるわけですね。
だから、はじめから見ないで描いた方がハミダシやすいということです。


現在の「美術教育」は、初歩の段階では、やたらとデッサン重視な気がしますが(自分がそういう教育を受けていないので本当のところは知りません)、それでいて、本業と言うことに成ると、『デッサンが上手くてもプロに成れるわけじゃないよ!』と言われるという完全なダブル・スタンダードが出来上がってしまっていると思います。


克明に描いていくと、ある程度ナマナマしく成って来ますし、ナマナマしく描くには、クッキリと描き切る必要があるでしょうから、それも一種の「克明さ」ではあるということに成ります。


要するに、この二つが区別しにくいんですね。

「客観的」と「主観的」と言うチガイはありますが、「主観的」な「ナマナマしさ」も、完全に「客観性」を失ってあまりに逸脱すると、「克明さ」だけでなく「ナマナマしさ」も失われてしまうわけで、そこで区別しにくくなっているわけです。


つまり、「デッサン重視」に成るのは「克明に描くこと」を重視しているということで、それが、いきなり『デッサンが上手くても~』となってしまうのは、「主観的であること」や「ナマナマしく描くこと」を重視しているということなんだと思いますが、それらがいつの間にかすり替えられてしまうことで、ダブル・スタンダードになってしまっているわけです。


そして、デッサンまでは執拗に教えるのに、「ハミダスこと」については、『そんなこと教えられることじゃないわ!このスットコドッコイがっ!!』と言われてしまうわけです。


でも、実際は、デッサンも教えられると思いますし、「ハミダスこと」だってある程度までは教えることができるんだと思うわけです。
教えられないのは「ハミダスこと」ではなくて、「主観そのもの」ですね。

「その人らしさ」は教える必要もないし教えられませんからね。


「ハミダスこと」を教えていくことで、「芸術の中心」に近づける人が増えたらそれでいいと思うんですが、そういうことでもないんでしょうか?


まぁ、取り敢えず、「克明に描くこと」は「客観的に描くこと」であって、「ナマナマしく描くこと」は「主観的に描くこと」である。

教えられないのは、「主観」つまり「その人らしさ」だけであって、他のことはだいたい教えられるんじゃないのかなと。


そうやって、最低線の所をクリアできていれば、あとは、その人が「その人らしさ」を出していけばいいわけですから、みなが同じスタートラインに立てるような気がします。

要するに、芸術の場合、今は、スタートラインまでの距離が、極端に離れている人と、初めから、スタートライン上に立っている人が居る状態だと思います。
美大に合格したりして、『やっと、スタートラインに立てたのかな?』と思っていると、いきなり、それまでやってきたことを完全否定されるわけです。
しかも、それが何度も繰り返されているうちに、初めから順調にスタートしてしまった人との距離がどんどん離れてしまって、絶望してしまう人があまりにも多いような気がします。

「芸術」って、「絶望」を生み出すためにあるの?
そんな気すらしてきますね。


せめて、スタートラインくらい同じ条件で立たせてあげられれば、「芸術と言うモノ」が、今ほど「無理しなくていいモノ」に成るんじゃないのかなと。

そんな風に思いますね。






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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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