「社会」は「人間を阻害するモノ」だということ
「社会」はもともと「人間」が作ったわけですが、その「社会」が、チョクチョク「人間」を阻害することがあるわけです。
どうしてなんでしょうね?という話です。
そもそも、「社会」ってどうやって出来てきたのか?と考えると、「サル社会」なんかを見れば一目瞭然ですけど、「群れ」を統率したり、効率化するために「社会」が必要に成ったんでしょうね。たぶん。
どこまでが「群れ」で、どこからが「社会」なのかはわかりませんけど、とにかく「群れ」と「社会」は微妙に違うモノのような気がします。
要するに、「役割」があるのが「社会」で、無いのが「群れ」なんだと思うわけです。
とは言え、「役割」という概念が全く存在しない「群れ」もないでしょうから、そこに一線を引いて分けるのは難しいように思いますが、少なくとも、「役割」がはっきりしているほど「社会性」もはっきりしてくるし、「役割」が細かく設定されている「社会」は、より「高度な社会」と言うことに成るんじゃないかと思います。
つまり、「社会」の中では、「個人」はあくまで「統率される側」であり、「役割を演じさせられる側」なんですね。
「動物」の段階までは「個」という感覚が薄かったために、「動物」にとっては、それらの「~させられる」が、それほどの苦痛でもなかったんでしょう。
ところが「人間」は「個」という感覚を強く意識する動物に成ったために、その「~させられる」が、多くの場合苦痛なんですねぇ。
それで「社会」が「人間を阻害するモノ」になってしまっているわけです。
そう考えると、いくら頑張ってもなかなか「イイ政治」が実現しないことや、まして、「理想の社会」が遥か彼方にしか思えないことなんかも当然のことで、「社会」の持っている根本的な性質に「人間を阻害するモノ」と言う性質が含まれているとすれば、むしろ、「イイ政治」や「イイ国」を期待する方が、土台から間違っているわけです。
「社会」が「人間」を束縛して、使役を強いるモノだとすれば、まったくもって当たり前のことですね。
つまり、絶対に「イイ世の中」なんて実現しないということです。
(他国との比較で『イイんじゃない?ウチらなんか』って言う、そういうことではなくですね)
ただ、このことを意識していることで、少しはイイのかも知れません。
「人間」が「動物的な人間」として「社会」から割り当てられた「役割」に従い続けない限り、「社会」という仕組みは有効に働かないし、「社会」が有効に成れば成るほど、また、「人間」を阻害するという影響も強く成るわけです。
「人間」が「人間」であろうとすればするほど「社会」と対立するということ、これを踏まえた上で、「社会」を作っていかないと、「社会のための社会」や「政治のための政治」や「制度のための制度」しか出来てこないでしょうね。
「人間のための社会」を目指しても、絶対に実現しませんから、そういう「理想像」は捨てて、最低限のこととして、「一方的に社会に奉仕させられる人間」を作らないような「制度」を作っていかないと、けっきょく、「人間」が「社会」にこき使われるだけで、チットモ「人間」には「ワケマエ」が入ってこない世の中にしか成らないと思います。
そこで「ワケマエ」をさらっていくのは「動物的な人間」です。
要するに、「社会にあてがわれた役割」を演じ続けても苦痛を感じない人間ですね。
そういう人は「動物的」ですから「人間的」な行動をとるのが苦手なわけです。
それで、そういう人たちによって「人間性」が踏みにじられて、結果的には、より多くの「人間的な人間」が阻害されてしまうわけなのです。
(多くもないのか?)
また、それ以前に、「動物的な人間」たちも「社会」にこき使われているだけなので、「ワケマエ」を得ていると言っても、本当の意味で「人間の幸福」を手にしているとは言えないわけで(得ているのは「動物の幸福」だけですね)、そう考えると、けっきょく誰もトクしてないじゃないか?と言うことに成っているわけです。
でも、そんな考え方をする人は、今のシステムの中で、絶対に「政治家」や「指導者」に成ることはありませんから(そういう職業に就くのはたいてい「動物的な人間」です。まぁ、「猿山の大将」ですね)、そういう「社会づくり」は一向に実現するメドが立たないというわけです。
でも、まぁ、取り敢えず「社会」が「人間を阻害するモノ」だということは間違いないんじゃないのかなと。
そして、『「人間に貢献する社会」を作ろうとすることほど無駄なことは無い!』ということも、まぁ、間違いないのかなと。
(歴史の中で証明されていますよね)
そんな風に思っているわけです。
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