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「芸術」は「社会」に対して影響を与えているのか?



私は、「芸術」と言う分野は最も社会に対する影響が大きい分野だと思っているんですが、そう思わない人も居るようですね。
(おそらく、そういう人の方が圧倒的に多いんでしょうね)

 ※ここで言う「芸術」は必ずしも「美術」ということではなく「芸術的な分野全般」を指し
  ています。
  例えば「エンターテイメント」や「スポーツ」などの娯楽要素が強い分野でも芸術的な
  側面を持っているもの全般を含めた意味で言っています。
  (そういう分野の中の芸術性の「部分」ということですね)
  さらに広げて「文化」と言い換えてもいいと思います。
  そういった「文化・芸術系の情報」が「社会」、特に「現代社会」に与えている影響が
  トンデモナク大きいんじゃないか?という話です。


「芸術の影響」を大きいと見るか、小さいと見るかは、「影響を与えたモノ」を「一番初めの原因」と考えるか、「結果の一つ前の出来事」と考えるかによって違ってくるんだと思います。


私は「影響」と言うのは「一番初めにモト」となったものによる所が大きいと思うわけです。
つまり、波紋の中心に投げ込まれた石ですね。

『その「石」の影響で結果として波紋が出来た』と言うことなんだと思うわけです。
つまり、「波紋」は「原因」や「影響」ではなく、「結果」の方に含まれていると思うんですね。


しかし、どうも、「石」よりも「波紋」が影響を与えたと考える人の方が多いようです。

つまり、「原因」である「石」よりも、「結果」である「波紋」の影響を重く見る人が多いということですね。
とくに、「石」が投げ込まれたところを見手数料居ない場合は、そう思う人が多く成るわけです。


まぁ、確かに、「波紋」が出来ることで池全体が大きく波打っていくわけですから、『「波紋」の影響で池が波打ったのだ』と言っても間違いではないのだと思います。

ただ単に、私は「石」の方に影響力を感じるということです。
たとえ、「石」が投げ込まれるところを見ていなくてもですね。


そして、「芸術」が「社会」に与えている影響は、ほとんどが「潜在的な影響」なんですね。
だから、見えにくいわけです。

そして、見えにくいから、多くの場合「影響力がない」と思われているわけです。
  
 ※「芸術の社会に対する影響」と言われるときに、「メキシコの壁画運動」のように
  直接的に「芸術作品」によって社会に対して働きかけることだけだと考える人が
  多いのかも知れませんが、そういうのはむしろ「結果的に起きてきたこと」であっ
  て、「初めの原因」は「別の所で起きていた別のこと」だと、私は思うわけですね。


具体的に言うなら、有力な政治家が社会の方向性を変えてしまうような政策を実行した時、ほとんどの場合、「社会」に「影響」を与えたのは「その政治家」であると言われるわけです。

しかし、私は「その政治家」ではなく「その政治家がそういう政治思想を持つに至った原因」こそが、「影響」を与えたものだと思うわけです。

 ※なぜそう思うかと言えば、世の中に「その政治家がそういう政治思想を持つに
  至った原因」があれば、「その政治家」がやらなくても「他の政治家」が同じことを
  するに違いないからです。
  その反対に、世の中に「その政治家がそういう政治思想を持つに至った原因」が
  無かった場合は、「その政治家」であろうと「他の政治家」であろうと、誰も、それと
  同じことはしないだろうということですね。

つまり、「その政治家」は「結果」であって「原因」ではないと思うわけですね。
「その政治家」は「池の水面に出来た波紋」ではあっても「池に投げ込まれた石」ではないということです。


でも、「その政治家」はよく見えますが、「その政治家がそういう政治思想を持つに至った原因」と言うのは、多くの場合「潜在的」ですから、見えにくく成るわけです。


そして、そういう「社会」に対する「潜在的な影響」という意味で、「芸術の社会に対する影響」はトンデモナク大きいと思っているわけです。

というか、私の場合は、「社会(特に現代社会)」で起きていることのほとんどすべてのことが、「芸術」の影響を最も強く受けていると思っているわけなんですねぇ。


要するに、「イメージ的な刷り込み」と言うことです。


「芸術」を中心とする「文化全般」に言えることですが、一言で言って、『イメージがイイ!!』ということなんです。
(本当は逆で『芸術のイメージがイイ』ではなくて、『イメージのいいモノが芸術に成る』ハズなんですけどね)

そして、本質的な意味とはあまり関係なく、「そのイイ・イメージ」が人の心に刷り込まれてしまうことに成るわけです。


こんな風に言うと、誇張しているように聞こえてしまうんでしょうが、決して誇張ではないと思います。


たとえば、経済的なことで言うと、「今売れているもの」ってどんなものでしょうか?

当然、「需要の高いモノ」と言うことですが、その「需要」と言うモノ自体が、「イイ・イメージ」によって産み出されている確率が非常に高いでしょうし(たとえば、「有名人のおススメ」とか、「地球にやさしい商品」っていうようなことですね)、それとは別に、「コマーシャルで刷り込まれた商品」と言うことがあるわけです。
(こちらは、「需要」がそれほど高くない所にも「偽の需要」を創り出すことが出来てしまうわけです)

それらは、すべて「イイ・イメージによって作り出された需要」と言ってもいいでしょう。


そういったことの全般に「文化・芸術系の情報」が大きくかかわっているのは間違いのないことですし、それらの情報の「モト」に成っているのが、けっこう「先端的な芸術」であるということも多いわけです。


また、政治で言えば、「政治家」や「政党」の支持率は、本当に「政策」で決まっているでしょうか?

一昔前ならともかく「現代社会」においては、「政策」と「イメージ」のどちらで支持率が決まっているのかは微妙な所でしょうし、政治家や政党自体が『どれほど「政策」を重視しているのか?』と言うような状態ですから(明らかに、相いれない主張の政党同士が手を組んでいたり)、どちらかと言えば、「政治家や政党のイメージをよくするような政策」が選ばれていると言った方が当たっているんじゃないかと思うわけです。

 ※これは「タレント議員(ニュース・キャスターなども含めて)」や「二世議員」が多いことで、
  証明されているでしょう。それどころか、最近では「タレント議員」と言うよりも「議員タレン
  ト」というべき人も増えてきていると思います。
  これは「イイ・イメージ」を演出できた人が議員に選ばれるというだけではなく、「イイ・イメ
  ージ」を作り出すこと自体が「イイ・議員」の条件に成りつつあるということだと思います。
  それだけ「政治のイメージ化」が進んでいることの現れではないでしょうか?


つまり、どちらにしても、モトの所で影響を与えているのは「イメージ」であって、「政策」でも無いし、ましてや「政治家」や「政党」なんかでは有り得ないと思うんですが、どうなんでしょうね?


そして、そんなこんなのすべての「イメージ」が作られるときに、必ずかかわっているのが「芸術・文化系の情報」だろうと言うわけです。


まぁ、そんなこと言ったって、誰一人『そうだ、そうだ!』とは言わないでしょうが、『じゃあ、明日あなたが買ったモノを見てごらんなさいよ』と言いたいですね。


明日の買い物の話から、いきなり話がデカくなりますが、「ミサイルを持っている国」じゃなくて、「芸術・哲学・教育を立て直した国」が世界をリードしていくように成ると思いますね。
(主導権を握るというよりは、思想的に先導するようになるということだと思います)

なぜかと言えば、そういう国が圧倒的に強く成るからです。


ミサイルでは「ジャブ」しか打てませんから、絶対にノック・アウトすることは出来ないですね。

現時点での「KOパンチ」に成り得るのは「経済力」ですが、その「経済」が世界的に連動するように成ってしまったわけですから、すなわち、一国の利益を追求することが難しくなってきているわけで、そちらも決め手とはならなくなってきています。

結果的に、もはや、今ある手札の中に「切り札」は無くなっているということです。

 ※これは現在の日本を含めたアジア情勢を見れば明らかですね。
  『なぜ、茶番劇を繰り返しているのか?』←『切り札がないから』

つまり、「世界=地球」全体が政治的にも経済的にも連動するように成った現在の世の中では、「競争」が「足の引っ張り合い」に成ってしまいますから、これまでの「競争」という概念が成り立たなくなってきているということなんだと思うわけです。


あらゆる意味で「世界」が連動するようになってきているわけで、「情報」は瞬く間に共有されてしまいますし、「文化」や「人」も地域をまたいで流通しています。

そんな中で、相手の足を引っ張れば、自分自身も一緒に引きずりおろされることに成ってしまいます。
要するに、「勝つこと」が「負けること」でもあるという状況になっているわけですね。


そう成ると、「新たな切り札」となるものは「人間の力」しかないわけです。
「人間的な力」だけが、世界全体が一体として強くなっていけるモノだと思いますね。

 ※これはシビアに言うと、「人間にとっての世界」に限定した場合に成り立つ話で、
  ある意味では「人間の自己中心的な考え方」だとも言えるわけです。
  つまり、「人間」が「人間」のためだけに一丸となって「地球」を利用しつくす、とい
  うようなことなんですが、実は、その為には「環境」や「自然」を守っていかなけれ
  ばならないわけで、「人間のため」に徹することで、むしろ、そういうことがクリアに
  見渡せるようになるのかも知れませんから、少なくとも、「人間同士」が足を引っ張
  り合っている状態が自然界にとってもマイナスを生み出すように成っていることを
  考えれば、取り敢えず「人間」だけでも良く成れば、『後のことは後から考えればい
  いんじゃないか?』と思うしかないというようなことですね。


そして、その「人間の力」を強化するには、「芸術・哲学・教育」の三つを立て直す以外にないということです。


『立て直す』と言いましたが、それは、『良い状態を取り戻す』と言うことではありません。

「芸術・哲学・教育」の三つは、それぞれ古くからあるモノではありますが、それらの「昔からの概念」では「現在の世の中」に合わなくなってきています。


つまり、根本的に新たに構想された「芸術・哲学・教育」の概念が必要に成るということです。
と言っても、これまでと全く違うことをするという意味ではなく、「方向性」が違うということです。


たとえば「芸術」で言えば、過去においては「美」を追求してきたわけですが、現在は「自己表現」を追求するように成っていますし、今後は、さらに「優・劣」や「巧・拙」を問題としないような形態に成っていくでしょう。

本来「自己表現」とは、そういうものであったハズなのに、今はそれとは逆のことをやっていると思いますね。
つまり、「芸術の世界」が、一番「優・劣」や「巧・拙」の差をつけてしまっているわけですね。

いま、「芸術」がやっているのは「自己表現」ではなくて、「自己主張」です。


「哲学」で言えば、ずいぶん昔からずっと「真理」を追究してきたわけですが、これからは、「絶対的な真理」ではなく、「真理」もまた変遷し続けていくものであるということ、つまり、「普遍性」とは「変わらないこと」ではなく「変わり続けること」であるということを踏まえた上で(『万物は流転する』ではなくて『「万物は流転するという考え方」もまた流転する』と言うことですね)、「現時点での人間にとっての真実」や「人間にとっての有効な道」と言うようなものを模索していくように成ると思います。

つまり、「真実を突き止めること」ではなく「真実を探し続けること」こそが目的に成っていくのかもしれませんし、逆に、もっと実用的な「哲学」が中心になっていくのかもしれません。
まぁ、おそらくは、その両方向に伸びていくんでしょうね。

「哲学」のような分野では、「恒久的な目標を設定すること」自体の意味が希薄になっていくと思います。

また、「芸術」との境界線が極めて曖昧になって、その二つが一体化していくのかも知れませんね。
(そういうの、見たいですね!)


そして、「教育」では、常に「学問」を教えるのが「教育」であると考えられてきたわけですが、これからは、「人間を教えること」が「教育」の中心的な概念に成っていくと思うわけです。

もう少し具体的に言うと、「人間に成るための方法を教えること」ですね。
その為に、必要な「学問」もあるでしょうが、それを学ぶ「方向性」が違うということです。


まぁ、ちょっと、話が大きくなりすぎてしまいましたが(適当に割り引いて読んでください)、何はともあれ、「芸術」の「社会」に対する影響は大きいのかなと。

そういう風に思っているわけです。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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