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「不思議」は「ナイこと」に意味がある?



「不思議なこと」全般に言えることですけど、そういう「不思議なこと」が『あるのか?ないのか?』という切り口で語られることが非常に多いわけです。

しかし、「不思議」の存在を問うこと、つまり、『アルのか?ナイのか?』ということよりも、「不思議なことの存在が確認できないこと」、つまり、それが『ナイ!』ということの方にこそ、意味があるような気がするわけです。

 ※これは、必ずしも物質的な意味でだけの話でもなくて、「不思議なことの概念」につ
  いてもいえることだと思います。
  ただし、そちらの話はまた少し違う話になるので、ここでは単純に、物質と言うことは
  出来ないまでも、あくまで「実体のある存在」と言う意味での「アル・ナイ」についての
  ことです。


たとえば「神様」ですね。

『「神様」が居るのか?』という問いに「意味」があるんでしょうか?


そこで『ええ、あそこに居るのが「神様」ですよ』と言う具合に「本物の神様」が現れたとして、そこに「神格性」が、まだあるでしょうか?


まぁ、無いでしょうね。


たとえば、「その神様」が「奇跡」を起こせたとしてもですよ。
それでも、「神格性」という意味では、かなり薄まってしまうような気がしますね。

「アル」と言うこと自体が「なんらかの限定」を意味しますから、どうしても「絶対的な神格性」には成らないんだと思うわけです。


つまり、「その神様」が「そこに居る」と言うことに成った途端に、それは「神様」ではなく、「新種の生物」と言うことに成ってしまうわけなのです。

その「新種の生物」が『たまたま、「奇跡らしきもの」を起こせる』という話になってしまうわけで、それは「一種の不思議」ではあっても、「絶対的な神格性」には及ばないように思うわけですね。

『いや、「奇跡」を起こせば、そこから神格性が生まれるだろう!』ということはありますが、結局、その「奇跡らしきもの」も「アル」と言うことが証明される過程で、「不思議」から「科学の一つ」になってしまうわけです。


そう考えると、そういった「不思議」全般に関して言えることだと思いますけど、『「ナイこと」にこそ意味がある』とも言えるんじゃないかと思うわけです。
(「アルことが証明されていない状態」と言うことですね)


つまり、「神様」に限らず、たとえば「魂の永遠性」とか「輪廻転生」とかと言ったすべての「不思議」について、『アルのか?ナイのか?』ということを考えるよりも、それが「ナイこと」について考えることの方が興味深いことなんじゃないかと思うわけです。


要するに、『アルのか?ナイのか?』と言うことが証明できないようなことを「不思議」と呼んでいるわけで、これは「神秘」と言う場合も「霊的」と言う場合も「神格性」と言う場合も全部同じで、それらのことに置いては、「存在が特定できないこと」にこそ意味があるわけです。


だから、宗教を信じている人が『神様は居るんだ!』と力説することには意味がありませんし、無神論者の人が『神なんて居るわけないんだ!』と言って、いろいろな話を引き合いに出して論説するということにも全く意味はないわけです。


だって、「イル」と言うことに成ってしまうと「神格性」が無くなってしまうわけですから、それは、信仰している人にとって一番”マズイ”ことなわけだし、「イナイ」と言うことに成ると、ますます「神格化」していくことに成るわけですから、無神論者としては、自分の考えと逆行してしまうわけです。


実際、何千年も前から、そういった議論は繰り返されているわけですが、『なるほど、そういうことね!そういうことで神様は居るわけなのね、よくわかりました!!』と言うことになったことは、おそらく一度もないわけで、今後さらに何千年続けても、そこのところは、まぁ、変わらないわけです。


それじゃあ、「宗教」とか「神」と言うモノには何の意味もないのか?

ということになってしまいますが、そういうわけじゃなくて、それらを「存在」とか「実証」とかいう切り口で考えることには意味がないということですね。


少なくとも、人間がここまで急速に発展してきたということは、「宗教」を持っていたことと無縁ではないような気がします。


おそらく、人間が過去の時代において「宗教」を持っていなかったら、「文明らしきもの」を手に入れたとたんに、それを廃墟のように成るまで使い倒して、スカスカに成った頃に成ってから、また新たな「文明らしきもの」を創り出す、というようなことを、今でも繰り返しているんじゃないかと思います。


つまり、永続的な発展は出来なかっただろうと思うわけですね。

それが出来たのは「宗教」によって、「道徳心」や「勤勉さ」や「正直」と言うことが、一般人にも広まっていたからじゃないかと思うわけです。


現在のように学校があるわけでもなく、ごく一部の人間以外にとって「文字」すらも意識していない生活の中で、「道徳心」や「勤勉さ」を身につけろと言う方が無理と言うものです。


いや、もし仮に「教育」と言うものがあったとしても、それでもまだ足りないような気さえします。
つまり、「信仰心」と言う「強さ」があったからこそ、人間がここまで急速に進歩できたんだと思うわけです。


そして、さらに言うならば、その「強さ」とはどこから来るのか?と言えば、「盲目的であること」から来るんだと思うわけです。

つまり、最も極端な言い方をすれば、「宗教の本質」は「盲信」であって、「盲目的な信仰心」ほど人間を強くするものはないということです。

そういう「盲信的な強さ」があったからこそ、人間が現在のように文明を発展させることが出来たんだと思うわけですね。


だから、そういう「時代」は「宗教の時代」であり「神の時代」であったのだと思うわけです。

 ※もちろん、これは、広い意味で「スピリチュアル」なども含めた「信仰」をお持ちの方
  から言わせれば、『そういうことじゃないんだよ!』ということなんでしょうが、少なくと
  も「信じる」=「理屈を超えた」という部分はあるでしょうし、「理屈を超えた」と言うこ
  とは、ある意味で「盲目的である」と言うことにつながるわけですから、そこの所は「信
  仰」とは別の解釈ということで、ご理解いただければ幸いでございます。


しかし、現在に至って、「進歩」と言うこと自体の意味が薄くなってきているわけです。

だんだん、「文明を進歩させること」よりも「文化を繁栄させていくこと」の意味が大きくなってきたわけですね。
それも一種の進歩ではあるんでしょうが、「物質的な進歩」が人間の目標の中心から外れてきているということなんだと思うわけです。


つまり、ようやく「文明から得たゆとり」を使う時代に成って来ているんだと思います。


はたして「現在の人間」も、また、その「ゆとり」を廃墟のように成るまで使い倒してしまうのか、それとも、「ゆるやかではあっても永続的な発展」を維持していくだけの知恵を身に着けているのかはわかりませんが、少なくとも、前よりは「マシ」に成っているような気もしますし、一応、試してみるぐらいの価値は出てきているんじゃなのかなと。

まぁ、そんな風にも思うわけです。


こんなことから、「宗教の時代」」や「神の時代」はすでに終わっていると、そして、「人間の時代」に成って行くんだろうなと思うわけなのです。


「不思議」であっても「神」であっても、また、いかなる「絶対的なモノ」であっても、それらは、もはや「信仰されるもの」ではなくなっていて、人間の智恵によって「思考されるもの」に成ったんだと思うわけです。

もう、「信仰の強さ」よりも、「考えることの豊かさ」の方が必要性が高くなってきていると思うわけですね。


「信仰の強さ」は人間を疲れ知らずの馬車馬のように働かせますが、反面、「争い」も起こさせますし、「盲信」が人生を浪費させてしまうこともあります。

人間が「神」について「智」を持って考えられるように成れば、人間は「神」から卒業して、「人間の時代」がやって来るんだと思います。


そんなことから、『「不思議」は「ナイこと」にこそ意味がある!』と。

そんな風に思ったりもするわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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