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「空」と「素」



宗教やスピリチュアルなどにおいては、「空」という心の状態が、「人間の精神の究極の状態」であるといわれることが多いようですが、これは、なかなか現実には達成できないみたいですね。


まぁ、人間はいろいろな意味で「不完全」なわけですから、「万能」や「無限」にも成れないし、それと対極にある「無」や「空」にも成れないんでしょう。


でも、「空」は無理でも、「素」だったらいけるかも?というお話です。

 ※これは「宗教」や「スピリチュアル」の分野での専門的な話ということではありません。
  そういったモノを勉強したことはありませんので、見当違いのことを言ってる部分も出
  て来るでしょうが、まぁ、『一般人が考えることと言うのはこんなことなんだ』というよう
  な感じでお考えください。

宗教などで言うところの「空」という概念は、「自我」を消し去って解脱した状態のことなんじゃないかと思っているわけです。
「悟り」との違いはよくわかりませんが、どちらも、「無心」みたいなことなんだと解釈しています。

おそらく、常に「空」を保てるように成ることを「悟り」と言うんでしょうね。


ここで、「自我」を捨てることによって「空」が得られると言われることが多いように思うわけですが、「自我」って捨てられないんじゃないか?という疑問があるわけです。

もしかしたら、それが出来る人も居るのかも知れませんが、少なくとも、自分のような一般人には無理だなと思うわけですね。


こんな言い方をすると、怒る人も居るのかも知れませんけど、ハッキリ言って、一般人ができないことを「理想」とする「思想」は無意味だと思います。

誰にでもできることの範囲の中に「理想」を置いてこそ、そこに「意味」が発生するんだと思うわけです。

「悟り」を開くような特別な人は、人から「教え」られなくても、それをやりますから、必要ないですよね。
だとしたら、やっぱり一般人が出来る範囲で話をしないと意味がないということに成るわけです。


ということで、『一般人にもできる範囲での「空」ということを考えると、それは「素」なんじゃないのかなと。


たとえば、すごくお腹がすいたときに「一心不乱で食べている人」は、だいたい「素」の状態だと思います。
「大好きなことに没頭している時の人」も大抵は「素」に成っていると思うわけです。

必ずしもイイことばかりでもなくて、「大失恋に打ちひしがれている人」なんかも「素」に成るんでしょうし、「大切な人の死に直面した人」なんかも「素」に成らざるを得ないんだと思うわけです。


そう考えると、「素」はある意味で「空」と正反対のところがあるわけです。
つまり、とっても「感情的」なんですね。

言い換えると「自我丸出し」ともいえる状態が「素」なんだと思います。


「空」は、どちらかと言うと「無感情」な状態だと思いますし、常に「平常心」というイメージがあって、「喜怒哀楽」とは対極的な感じがするわけですが、「素」は『必ずしも、そうでもない』と言う気がします。

ただ、これは、あくまで一般人が最も「素」に成りやすい時のことであって、実際には、何でもない時の「素」は「平常心」に近い状態なんだと思います。

でも、何でもない時は余裕がありますから、一般人の場合「邪心」が入りやすいわけですね。
それで「平常心」を失うわけです。

そういう時には「素」の状態も崩れてしまうんだと思います。
こういうところは「空」と似ていなくもないですね。


まぁ、一般人にとってのできる範囲と言うのは、こんな程度の「素」ぐらいまでなんじゃないのかなと思うわけですね。
そして、それで十分なんじゃないのかなとも思うわけです。


一般人と言いましたが、実際はこれを「人間」と言ってもいいような気がします。

「悟り」を開くような人と言うのは、数的にスゴク少ないわけで、ほとんど居ないといってもいいような数しかいないわけですから(私は居ないと思います)、「悟り」ができない人を「人間」と言っても、とくにさしつかえはないと思います。


「空」と「素」を置き換えると、いきなり「空」が楽になります。
(と言っても、実際は「素」なんですけど)

「修行」も「悟り」も必要ありません。

ところが、なぜか、その「素」がカナカできません。


どうしても、「欲望」とかいうような「邪心」がありますから、「素」に成れない時が出てくるわけです。
なにせ一般人ですから、当然そうなるわけです。


そういうわけで、けっきょく先ほど言ったような「大好きなことに没頭する」とか「空腹を満たす」とか「死ぬほどツライ」とか「死ぬほどカナシイ」とかと言うような「無心」に成れる時に限って「素」の状態で居られるだけでもいいのかなと。

ちょっとイイだけですけどね。


そんな風に思うわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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