FC2ブログ

このまま「普通の絵」と「アート」はかけ離れていってしまうのか?



現在、「最先端のアート」と言うと、どんなイメージでしょうか?

それは「普通の絵」と一致した方向性を持っているんでしょうか?


まぁ、いろいろ意見は分かれるところでしょうが、少なくとも「最先端アート」=「普通の絵」ではないように思うわけです。

 ※これは、必ずしも「絵」に限定した話ではないんですが、「平面作品」と言う意味
  での「絵」の話だと「最先端アート」との対比がわかりやすいだろうと思って、「絵」
  と「最先端アート」を比較しています。

  つまり、もっとも昔からある「芸術のメディア」としての「絵」と、「最新の芸術」を比
  較しているわけです。
  「芸術」の中」で「メディアの新しさという部分」が占める割合が増えると、「芸術の
  部分」が占める割合が減ってしまうんじゃないだろうか?と言う話です。


このまま「アートと言われるモノ」が、「普通の絵と言われるようなモノ」と、ドンドンかけ離れていってしまってもいいもんなんでしょうか?


『なにがワルイって言うんだい?いいじゃないかオモシロイ方が』と言われれば、そうなのかも知れませんが、それでは、今まで「芸術」が埋めていた領域はナニが埋めてくれるんでしょうか?
と言うより、そもそも「芸術」に代わるモノってあるんでしょうか?

私は「芸術に代わるモノ」はないと思っているので、『それじゃ、マズイでしょ!』と思ってしまうわけなのです。

ちなみに、「オモシロイモノに代わるモノ」はあると思います。


と言うようなことから、私といたしましては「最先端のアート」と「普通の絵」をもう少し近づけていった方がいいんじゃないの?と思っております次第でございますです。ハイ。


さて、「普通の絵」と「最先端のアート」が、本当にそんなにかけ離れているのか?


現在、考えられる中で「最も先端的な平面作品」を想定したとして、その作品は、何らかの最新のテクノロジーを駆使したような、いわゆる「アート」作品と比べた場合、「最先端のアート」だなと感じるのはどちらでしょうか?
(その作品の内容ではなく、単純にどちらが先端的であるか?ということですね)


まぁ、ほとんどの人が「アート」な作品の方を選ぶんじゃないでしょうか?
つまり、「平面であること」自体が既に「最先端」から外れてしまっているということですね。


逆に言うと、「平面」で表現したい場合は、ナニカ他のメディアとくっつけたり、『単純に平面ではないナニカを提示して見せる必要がある』ということです。
しかも、「新しいナニカ」を見つけて来なければならないということですね。

少なくとも、「最先端の芸術」と言う位置で創作したければそういうことに成るわけです。


それでなければ、「最先端の位置」からは後退して、「やや古いスタイル」と言う位置取りで創作しなければならなくなってしまうわけです。


作家ご本人が『自分はそれでいいんだ』と思ってやることですから、それはそれでいいとも言えなくはないでしょうが、「芸術全般」として考えた場合に、それじゃマズイんじゃないのか?ということです。


このまま「普通の絵」と「最先端のアート」が離れていくと、おそらく、過去に「芸術が埋めていた領域」が、、つまり「人の心を感動させるモノ」と言う領域ですが、その領域が消えて無くなってしまうんじゃないか?と言う疑問があるわけです。


いわゆる「最先端のアート」は、「エンターテイメント」や「ファッション」と同じ領域にあるような、そういう「オモシロサ」や「興味」を創り出すことは出来るでしょうが、「人の心を感動させること」は出来ないような気がします。


『いや、出来る!』と言われてしまえばそれまでですけど、少なくとも、「普通の絵」と「最先端のアート」では、目指しているモノがかなり違うと思いますし、「鑑賞者」側が求めているモノもかなり違うんじゃないでしょうか?

それなのに「そう言うアート」でも「感動させること」が『出来る!』ということであれば、「昔の芸術」はナニを目指していたんでしょうか?


「昔の芸術」が「人の心を感動させること」を目指していたのであれば、やはり、「現在のアート」は「それとは違うナニカ」を目指しているんじゃないかと思うわけです。

だとすれば、「現在のアート」は「それとは違うナニカ」は『出来る!』でしょうが、「人の心を感動させること」については、難しいんじゃないでしょうか?

それとも、目指してもいないのに『出来る!』ってことなんでしょうか?


私には「昔の創作者」が苦悩しながらやっていたことを「現在の創作者」が『へらっ』としてできるとは到底思えませんから、『出来ない!・・・・・でしょ?』と思うわけなのです。

  ※「現在の創作者」がまじめに作品作りをしていないという意味ではありません。
   昔も今も「真面目な人」も居れば「不真面目な人」もいるでしょう。ただ、本来、
   目標としていないことが目標としてもいないのに出来てしまうとしたら、という
   そういう意味で「へらっとして出来る」と言っているわけですね。


そうなると、やっぱり「その領域」が無くなる可能性が出てくるわけです。

しかもです、「感動すること」自体も昔ほど求められていないんじゃないかと言う気がするんですねぇ。


たとえば、現在の人間を見ていると感情的に希薄な印象があって、あまり、「喜怒哀楽」を表に出さない人が増えているように感じることがあります。

必ずしも感情的なことがイイことだとは思いませんが、少なくとも、「感情」が希薄であれば、当然「感動」を求める気持ちも小さくなると思うわけです。


そう考えると、現代人と言うのは昔の人に比べると、やや「感動の需要」が少ないんじゃないでしょうか?


そうなると、益々「普通の絵」=「人の心を感動させる芸術」の需要も少なく成って、『アートでイイじゃん!?』ということに成っていくわけです。

そして、実際にもそんな風に成って来ているわけです。


そういうことで、結果的に「普通の絵」が「最先端のアート」とかけ離れてしまっているんだと思います。


もしかしたら、「いま」に限って言えば、その方がイイのかも知れません。
つまり、「需要」のない所に「供給」する必要はないということですね。
少数の「感動したい人」だけが我慢すればいいのかも知れません。


ただし、これは「いま」に限った話で、『将来は?』となると、必ず「人の心を感動させる芸術」は必要に成ると思います。


でも、あんまりかけ離れてしまうと、慌てて引き返そうとしたときには、どうしていいかわからなくなっているような気もしますから、やっぱり「普通の絵」と「最先端のアート」がこれ以上離れていかないように、繋ぎ止めておいた方がイイのかなと。


そんな風に思うわけなのです。





関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR