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「長い題」=詩のような題(その5)



「長い題」(その5)です。
どうやら、「題」の方が早いペースで出来るみたいですねぇ。
困ったもんです。

たぶん、あまりこだわりが無いんだと思います。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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うつくしいものなんて どこにもない

そんなものが あるのなら
ただ それを かってくればいい


みにくいものなんて どこにもない

そんなものが あるのなら
ただ それを すててしまえばいい


さて それなのに 

『よのなかの すべてのものは あまりにも うつくしく
よのなかの すべてのものが あまりにも みにくい』

きっと こういうふしぎなことは
ずっと わからないまま なんだろう

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いま このえの まえに たっている あなたへ


このえを みてくれて ありがとう
こんなえを みてくれて ありがとう
このえを みても ひどく がっかりしないで いてくれて ありがとう
このえを みても くずのような えだと いわないで いてくれて ありがとう


もしも ちがっていたら とりけしますけど

でも 『とりあえず いまのところは ありがとう』

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えいえんという しゅんかんに とじこめられた くうかん
そんなせかいに いきている


そういうことは

だれの めにも あきらかで
だれの あたまにも あきらかで
だれの こころにも あきらかな
じじつと いっても いいことで 

えいえんという ときが いま この しゅんかんに すっぽりと 
ありとあらゆる すべての ものが ひとつの てんに すっきりと

おさまってしまうという あたりまえのこと


それこそが このよのなかの なりたちの
それこそが あらゆることの なりゆきの
それこそが すべてのいのちの ありかたの

『だいたいのことの もと になっている』

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なにかが できたことなんて いちどもない
なにも できなかったことなんて たくさんある

そんな ぼくが いまも なにかを しようとしている


だから そのぶんだけ ぼくは えらい


だから なにかを しようとしている ひとは 
みんな すこし えらい

きみが もし なんにも できない ひとならば
きみも すこし えらい


いま このえの まえに たっている きみは

『きっと なにかを しようとして そこに たって いるんだから』

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『ねじれて ねじれて ひっくりかえる』
ひっくりかえって まっさかさま 


うえと したが まっさかさま
まえと うしろも まっさかさま
どこも かしこも まっさかさまで なにが なんだか わからない

わからないから かんがえる 
わからないけど かんがえる 
かんがえないと とまってしまう


とまってしまうと いきられない

つまりは そういうことなんですね

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『ひかりの ちから』 ひの ちから
ひかりの ちからは ひの ちから

ありあまるほど ふりそそぐ

みんなのうえに おなじだけ

ありあまるほど ふりそそぐ


そんな ひかりのちからが すべてをつくる

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『かえりたい かえりたい』 
どこかに むかって かえりたい

でも ぼくは いったい どこから やってきたのだろうか

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『きげんに かえろう』 きげんに

きげんに くらし 
きげんに いきて
きげんに しんでいく

そうすれば きっと なにかが わかるだろう

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『いろのかたちと かたちのいろ』


どんないろが うつくしい 
すべてのいろが うつくしい

どんなかたちが うつくしい
すべてのかたちが うつくしい


いろとかたちで 
すべてのものが うつくしく 
すべてのものが すばらしく

ひかりかがやいて いるようだ

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ひかりのなかに やみがあり
やみのなかを ひかりがはしる

まぶしい ひかりが またたいて
その むこうでは どすぐろい やみが うずをまいている


『はたして そんななかで
ぼくは なにを えらびとることが できるだろうか』

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きみの すがたを みせてほしい
      
いや ちがうよ それじゃない

きみが じまんに おもっている その りっぱな すがたじゃなくて
きみの なかの かたすみで ちいさくなっている
そっちの すがたが みたいんだ
       
きみは それを みせるのが いやだから 
くすんだいろで ぬりつぶして いるけれど

ぼくは そっちが みたいんだ 
 

その いろは はじのいろ

そんなものじゃあ かくせない
どうやったって かくせやしない
 
かくして おくには うつくし すぎる
かくして おくには すばらし すぎる


だから その 
きみの ほんとの すがたを みせてほしい

みんな うつくしいものが すきだから

       
『きみが だれでも それは かまわない』




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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