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「芸術」における「ホンモノ」とは?



「芸術作品」を見たときに、「ホンモノ」だなと感じるモノと、『いいんだけど、そこまでじゃないな』と感じるモノがあるわけですが、その判断の規準ってどこなんでしょうね?


そういうことの規準は、あくまで「人それぞれ」と言うことなんでしょうが、そう言ってしまうと話が終わってしまうので、自分が規準としていることを考えてみるわけです。
(こういうの、意外と自分でもわかってないんですよねぇ。ブログを書くようになって気が付きました)


私の場合は「思想」や「思考」が「ホンモノ」の規準ですね。

つまり、「思想」や「思考」が希薄なモノは、私にとって「ホンモノ」ではないということですね。
もちろん「作品」がスバラシイにこしたことはありませんが、その前に「思想」や「思考」の面で分厚いしっかりしたものが感じられない場合は、その時点で「ホンモノ」からは除外です。

どんなに「スバラシイ作品」でもです。


と言うか、そう言うモノを「スバラシイ作品」だと思えないんですね。

私は「現在の芸術」においては、「意味を創り出すこと」が「芸術の本質」であると考えていますから、「スバラシイ作品」でも、「その作品の中で創り出された意味」が感じられない場合は、「ホンモノ」とは思わないですね。


絵が上手なら、「スバラシイ絵」を描くことは出来ますが、その絵の中に「意味」を創り出すためには「思想」や「思考」が必要だと思います。

それでなければ、単なる「上手な絵」にすぎません。
それを「ホンモノ」と呼ぶ気はしませんね。


その「作者」が自分なりの「意味」を創り出したときに、その「作品」が「ホンモノ」に成るんだと思っています。


「思想」や「思考」がしっかりしていれば、必ず「スバラシイ作品」が出来るとは思いませんが、「思想」や「思考」がしっかりしていれば、「それなりの作品」は出来るハズだとは思います。

まぁ、何十回に一回くらい「スバラシイ作品」もできるかもしれないですね。
でも、そういうことは問題じゃないと思います。


力強い「思想」や「思考」と言うのは、「技術」や「センス」で現すものなんかじゃないと思いますね。
それは自然と現れるものだと思いますよ。

ただ、それがとてもよく表現出来て、見た人にうまく伝わる時と、そうでもない時があるというだけですね。


「技術」を使わないということではなく、それは「道具」に過ぎないということです。


だから、「技術」や「センス」自体を「見せ場」にしている作品には、どうしても「強い思考」を感じることが出来なく成るわけです。


「鑑賞者」としては、どうしても「技術」や「センス」を見せつけられると、抵抗できないところがあると思うわけですが、そこのところをチョットこらえて、「その作品のウマサ」と対峙して、その後ろにある「思想」や「思考」を見通して鑑賞するという見方があってもいいような気がします。


ハッキリ言ってしまえば、「思想」や「思考」がないモノは、いつか消えてしまうと思いますね。

一年後に消えるのも、百年後に消えるのも、「芸術」として見た場合は、たいして変わらないことのような気がします。


だから、何年後まで残っていたら「ホンモノ」っていう話でもなくて、やっぱり、力強い「思想」や「思考」があるモノが「ホンモノ」なんじゃないのかなと。

世間的・美術史的に『残る』というよりも、そう言うモノは、見た人の中に、『「死ぬ時」まで残る』と。


そんな風に思っているわけですね。





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