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「絵の中」における「モノの役割」



私は「抽象画」でも「モノ」を描いていこうと思っているわけですが、それは、「絵の中」における「モノの役割」があると思っているからなんですねぇ。


「絵の中」における「モノの役割」を一言で言うとすれば、それは「チカラ」だと思いますね。
「物質的なチカラ」と言ってもいいでしょう。


「抽象画」は、もともと「精神性」を求めて生み出されたものだと思いますから、それで「物質的な性質」が、ずっと排除されてきたわけです。

それ自体は必ずしも間違いではないと思いますが、どうしても「チカラ」が無くなってしまうんですねぇ。

「チカラ」と言うもの自体が「物理的な概念」ですから、「物質性」を排除してしまうと、当然「チカラ」も無くなってしまうわけです。 

つまり、「物質であること」そのものが「チカラ」であると言ってもイイわけで、「モノ」はそこに在るだけで「チカラ」を持っているわけですし、「非物質的なモノ」はそういった「物理的なチカラ」=「実質的なチカラ」は持つことが出来ないわけです。


つまり、「モノ」を描けば、必ず何らかの「チカラ」が発生しますし、「モノ」を描かなければ、絶対に「実質的なチカラ」は現せません。
「モノ」を描かなくても、「精神的なチカラ」を現すことは出来るでしょうが、「肉体を持たない精神」で現せる「チカラ」は、「実質的」とは言えないわけですから、実体に欠けるわけですね。


さて、そこで、「チカラ」を犠牲にしても「精神的な純粋性」を取るのか?
それとも、「精神性」を犠牲にして「物質的なチカラ」を使っていくのか?
と言う二者択一を迫られることに成るわけですが、実を言えば、「精神」も「肉体」もどちらか一方では存在できないわけで、「肉体を持たない精神」と言うのは「「亡霊」のようなものだと思うわけです。
(「亡霊」が存在しているのか?っていう心霊現象の話じゃなくて)


それを「魂」とか「精霊」などと呼べば、「いいモノ」のように聞こえますが、「実質的な表現力」が希薄な点では「亡霊」とあまり変わりがありません。


やはり、「表現」と言うのは「チカラ」を必要とするものだと思いますし、そういう「力強い表現」のことを「芸術」と言うんじゃないかと思いますので、「絵の中」における「モノの役割」をもう一度見直していく必要があるのは間違いのないことなんではないのかなと。


そんな風に思っているわけです。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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