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「絵の中」における「モノの役割」



私は「抽象画」でも「モノ」を描いていこうと思っているわけですが、それは、「絵の中」における「モノの役割」があると思っているからなんですねぇ。


「絵の中」における「モノの役割」を一言で言うとすれば、それは「チカラ」だと思いますね。
「物質的なチカラ」と言ってもいいでしょう。


「抽象画」は、もともと「精神性」を求めて生み出されたものだと思いますから、それで「物質的な性質」が、ずっと排除されてきたわけです。

それ自体は必ずしも間違いではないと思いますが、どうしても「チカラ」が無くなってしまうんですねぇ。

「チカラ」と言うもの自体が「物理的な概念」ですから、「物質性」を排除してしまうと、当然「チカラ」も無くなってしまうわけです。 

つまり、「物質であること」そのものが「チカラ」であると言ってもイイわけで、「モノ」はそこに在るだけで「チカラ」を持っているわけですし、「非物質的なモノ」はそういった「物理的なチカラ」=「実質的なチカラ」は持つことが出来ないわけです。


つまり、「モノ」を描けば、必ず何らかの「チカラ」が発生しますし、「モノ」を描かなければ、絶対に「実質的なチカラ」は現せません。
「モノ」を描かなくても、「精神的なチカラ」を現すことは出来るでしょうが、「肉体を持たない精神」で現せる「チカラ」は、「実質的」とは言えないわけですから、実体に欠けるわけですね。


さて、そこで、「チカラ」を犠牲にしても「精神的な純粋性」を取るのか?
それとも、「精神性」を犠牲にして「物質的なチカラ」を使っていくのか?
と言う二者択一を迫られることに成るわけですが、実を言えば、「精神」も「肉体」もどちらか一方では存在できないわけで、「肉体を持たない精神」と言うのは「「亡霊」のようなものだと思うわけです。
(「亡霊」が存在しているのか?っていう心霊現象の話じゃなくて)


それを「魂」とか「精霊」などと呼べば、「いいモノ」のように聞こえますが、「実質的な表現力」が希薄な点では「亡霊」とあまり変わりがありません。


やはり、「表現」と言うのは「チカラ」を必要とするものだと思いますし、そういう「力強い表現」のことを「芸術」と言うんじゃないかと思いますので、「絵の中」における「モノの役割」をもう一度見直していく必要があるのは間違いのないことなんではないのかなと。


そんな風に思っているわけです。



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