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「審美眼」とは?



先日このブログで書いた記事で、今後、「コレクターの審美眼」自体が、「コレクションの対象」に成っていくといいんじゃないかと書いたんですけど、その「審美眼」っていったいナニなんだ?という話です。


「審美眼」を文字通りに解釈すれば、それは「美しいものを見抜く眼力」ということなんでしょうが、その「美しいもの」の規準が曖昧になってしまった現在の時点では、その定義が成り立たたないわけです。


そこで、改めて「審美眼」とはナニなのか?と考えてみるわけです。


おそらく、現在において「審美眼」と言えるものは、「美しいもの」よりも「さらにもう一段根源的なものを見抜く眼力」のことなんだと思うわけです。


つまり、「そのモノの本質を見抜く眼力」が「審美眼」なんじゃないかと思うわけですね。


どんなものでも「そのものの本質に近いもの」は美しいと思いますし、「そのもの本質から離れたもの」は醜いと思います。
だから、そういう「本質」を見抜くことが出来れば、当然、「美しいもの」も見抜くことが出来るということになるわけです。

言い換えるならば、「外見的な美しさ」ではなく、「内面的(本質的)な美しさ」を見抜く眼力ですね。

昔の時代までは、「外見的に美しいモノ」でも、人の心を楽しませる事さえできれば、それを「芸術」と呼ぶ価値があったんだと思いますが、現代は、世の中が、そういう「外見的に(だけ)美しいモノ」で溢れている時代ですから、それを「芸術」と呼ぶ意味が薄くなってしまったんだと思います。
(というか、そういうモノがちっとも美しくないということですけど)

そういうことから、「創作者」は、常に「内面的」で「本質的」な「美しさ」を探しながら創作していく必要に迫られているわけですから、鑑賞する側の人は、その部分を見抜かない限り、「ホンモノの芸術」を見つけ出すことは出来ないと思うわけです。


今後、そういう「審美眼」を持った「鑑賞者」が増えていくことで、「芸術」は再生すると思いますし、活性化すると思いますねぇ。
(どちらかと言うと、「鑑賞者側」から再生するのが望ましいと思います)


そうなった後から見れば、今の「芸術の在り方」がいかに「本質」から外れているかが、よくわかるんじゃないのかなと。
でも、そうなると「芸術」が醜いということに成っちゃいますよね!
本質から外れているということですから。

そんな風に思ったりもします。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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