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「ポップ・アート」っていったいナニなんだろうか?



「ポップ・アート」っていったいナニ?って思うことがあるんですねぇ。

なんとなく、『こんなのが「ポップ・アート」だな』っていうのはわかるんですが、自分の中で「ポップ・アート」を定義する機会があまり無いんですよね。


要するに、「ポップ・アート」っていう名前がすごくハマッテるんだと思います。

だから、『ポップ・アートってナニ?』と思っても、『そりゃ、ポップなアートでしょ!』と言うことで、あとは『あぁ、なるほどぉ』と、そこで、話が終わってまうわけです。

でも、ちょっと調べたりすれば、急に難しい説明が立て板に水のように成るので、やっぱり、『あぁ、なるほどぉ』と言うしかないわけですねぇ。


でも、それじゃあ、どっちみち、私のような素人にはわからずじまいということになってしまうので、ここで考えた見たわけです。

 ※私自身は「芸術の20世紀」を喪失するという考え方で「芸術活動」をして
  行こうと思っていますので、「芸術の20世紀」については、あまり重要視し
  ていないんですが、「見て見ないふりをする」というのもよくないだろうと思
  いますので、こういうことも考えていこうと思うようになりました。


「ポップ・アート」は現在の芸術に最も影響している「芸術の20世紀の遺物」だと思うわけです。
そういう意味では「コンセプチュアル・アート」と双璧だと思いますね。

と言うか、厳密に言うと「ポップ・アート」は、その「コンセプチュアル・アート」の変形なんじゃないかと思うわけです。


要するに、「ポップ・アート」にも「コンセプチュアル・アート」にも「作品」の「物質性」を排除してしまうような性質があるということです。


「コンセプチュアル・アート」においては、「作品」自体に重要性は無くて、その作品に対して、「作者によって与えられた意味」こそが、「芸術の本質」であるというように考えられたわけです。


一方、「ポップ・アート」においては、その「意味」すらも作者が一から創り出す必要がなくなって、既に「世の中に流通している意味」を記号的に使うことで、そこに、ちょっとした「ヒネリ」を加えさえすれば、それだけでも「アート」であるということに成ってしまいます。


つまり、スープの缶詰の広告デザインを反復するだけでも、そこに「ヒネリ」が加えられさえすれば、「アート」に成るわけです。


どちらも、「作品」自体の重要性が薄いわけですね。
そして、「作品」に付加された「コンセプト」や「ヒネリ」の部分が重要だということに成っているわけです。

 ※一見すると、「トイレの便器」(マルセル・デュシャ)よりも、「マリリン・モンローや
  キャンベル・スープ」(アンディ・ウォーホル)の方が、まだ、「作品的」であるかの
  ように見えるかもしれませんが、それは、あくまで、「インテリア」として見た場合に、
  「便器」よりも「モンローや缶詰」の方がオシャレだというだけのことであって、どち
  らも、世間にすでに流通している「既成のモノ」を「美術の世界」に「美術品」として
  提示して見せたと言う点では、まったく同じと言ってもいいくらいだと思います。
  つまり、コンセプチュアル・アートが「既成のモノ=レディ・メイド」を提示したのに対し
  て、ポップ・アートは「既成の概念=シンボル」を提示して見せたということです。


そして、これら二つのスタイルが現在の芸術に対して最も影響力を持っているスタイルだと言っていいと思います。


実際に『現在形の芸術だな』と思うようなものは、ほとんどが、この二つのスタイルのどちらかに、則っていると言ってもいいと思いますね。
(全てと言ってもいいくらいだと思います)


そして、この「作品軽視」ということが、「芸術の堕落」や「芸術の腐敗」を生み出していると思うわけです。
(だから「遺物」だと言っているわけですが)


「精神性」を追求したことは、間違いだと思いませんが、だからと言って、「物質性」を切り捨てる必要性も必然性もありませんし、実を言えば、「精神性」を高めるためには、より一層の「物質性」を要求されるのは当然のことです。


つまり、「ポップ・アート」や「コンセプチュアル・アート」と言うのは、実体のない「精神」を「純粋化」した「芸術」であるということです。

ある時期、こういうスタイルが必要だったことはわかります。
でも、問題はいまだに、そういうスタイルが作り出した流れに乗り続けて居ることです。

「ポップ・アート」や「コンセプチュアル・アート」を焼き直してよりモダンな体裁を創ることを、「コンテンポラリー・アート」と言っているようなところがあるのは間違いないことでしょう。


「物質性」と「精神性」のどちらを優先するか?ということで言えば、「精神性」を優先するべきだと思います。

しかし、それは「物質性」と「精神性」の両方を高めて行った最後のところでの選択において成り立つ話です。


どちらかを、初めの段階で切り捨てていいということは無いでしょうし、純粋であれば内容は問われないということでも無いでしょう。


それら全てのことを「フリーパス」にしてしまうのが、「ポップ・アート」と言うキーワードなわけですねぇ。


まぁ、かなり否定的な話になってしまいましたが、実を言うと「ポップ・アート」を否定しているわけではありません。
そういうジャンルがあってもいいと思います。


ただ、私はそれを「芸術の中心」から少し遠い位置にピン止めするということですね。
「芸術の中心」に近いことが「イイこと」と言うわけでもありませんし、遠いことが「悪いこと「」ということもないと思います。

ただ、『チガウものはチガウ』ということかなと。


そういう風に思っているだけですね。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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