「芸術」は「教養」ではない
「芸術」を一種の「教養」と捉えている人って、結構いらっしゃるんじゃないかなと思うわけです。
でも、私は『「芸術」は「教養」ではない!!』と言いたいわけなのです。
確かに、「美術史」や「芸術」のいろいろなジャンルについての知識は一種の「教養」だと思いますが、それらは「芸術自体」ではないわけです。
それは「スポーツ自体」が「教養」でなくても、「スポーツに関する知識」が一種の「教養」であるのと同じことだと思います。
「芸術」でも「スポーツ」でもほかのどんなことでも、それを「知っていること」は「教養」でしょうが、それを「実践すること」は「教養」とは少し違うことに成るんじゃないかと思いますね。
どうして、そんなにまで『教養」ではない!!』と言いたいかと言うと、このところ、「芸術」を「教養」と捉える傾向が強くなっていると思うからなんですねぇ。
そして、これが「実践軽視」につながっていくんじゃないかと思うからなんですね。
一つ前の記事に書いた「ポップ・アート」における「作品軽視」と同じような傾向だと思います。
どちらも、「精神性」を重視するのはイイことだと思うんですが、「物質性」を軽視することはイイことだと思えないわけです。
どちらも、重要ですから。
最後のところで、「精神」を取るということと、一方を軽視するということは全く違うことだと思いますね。
だから、「芸術」とは「知識」や「教養」ではなく、「実践される芸術」のことであると言いたいわけなのです。
それでないと「現在の芸術」は肉体を失った「亡霊」であり続けるしかないのかなと。
そんな風に思ってしまうわけなのです。
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