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「普通の人間」は「人間の平均」じゃなくて「人間の頂点」



私は『人間は、まだ本当の意味で人間に成っていない』と思っているんですが、それは要するに、人間自身が設定した「人間」という規準が、『かなり高かったんじゃないのか?』ということが言いたいわけなのです。


実際に、政治家や芸能人やスポーツ関係者などの有名人たちが、「人間以下?」なことをすると、相当な勢いで批判されますし、ワイド・ショーのキャスターから一般人までほとんどの人たちがコゾッテ、『ありえないでしょ!人間として』などと言っていたりしますけど、その人たちのうちどれだけの人が、同じ環境を与えられても、その「人間としてありえないこと」をしないでいられるんでしょうねぇ?


正直言えば、私はあまり自信が無いですね。


たとえば、『権力を与えられたら』とか到底使い切れないほどの『おカネを与えられたら』とか濡れ手で粟のように『名声を与えられたら』とかと言うような、今の自分には、まったく程遠いような条件がもし与えられたら、自分は本当に「人間としてありえないようなこと」をやらないでいられるのか?と自問すれば、『たぶん、やってしまうだろう』と言うのが本当に正直なところですね。

でも、『自分は、絶対にそういうことはしない!!』と言う人がいちばんアブナイと言う気もしますし、『この人は、決してそういうことはしないだろう』と言う感じの人が、実際に「権力」などを与えられると『絵にかいたように乱用』ということも非常に多いわけで、『じゃあ、どんな人なら絶対にやらないんだ?』と成ると、そういう「権力」や「名声」などに近づかない(近づけない)人しかいないわけです。

つまり、「人間としてありえないこと」のはずなのに、それをやらないでいられる人間が、実際にはほとんど居ないということです。


多くの人がこのことを認めたくないので見ないようにしていますが(当然、自分にも適用されてしまいますから、そりゃ、いやですよね)、本当のことを言えば、すべての人が何かしらの「人間としてありえないこと」をやっていると思います。

たとえ、その時点でやっていなくても、環境さえそろえば、必ずやってしまうというのが本当の所だと思いますが、どうでしょうか?


私は、そういうことで、例外なんて居ないと思っています。
だから、『人間は、まだ本当の意味で人間に成っていない、つまり「人間未満」である』と思うわけですね。


つまり、現時点での「人間」とは「人間として当然のこと」は必ずしもできないし、「人間としてありえないこと」はチョクチョクやってしまうというような「人間」なわけで、『どう考えても、まだ、人間にとどいていない』と言うしかないわけです。


「一般人」から見て「有名人」の「アリエナイ振る舞い」が腹立たしいのは、自分たちが「有名人」ほどの「権力」や「名声」を得たことが無いからだと思いますよ。

だから、自分たちよりも「いい立場」に居る人たちが「悪いこと」をすると、『恵まれた立場にいるのに、悪いことをした』という感じに見えるんだと思います。

でも、実際は「権力」に近づけば近づくほど「アリエナイ行動」にも近づいているわけですから、むしろ、「有名人」が、そういうことをするのは当たり前と言えなくもないわけです。
(だから、それでいいということじゃないですけど)


少なくとも、「人間」がまだ「人間」に到達していないという前提で考えると、そういうことに成るわけですね。


逆に考えると、「人間」が「人間」に到達しているのであれば、「いい立場」を与えられた人が「アリエナイこと」をするなんてことは無いはずです。
少なくとも、『ほとんど無い』と言えるはずですよね。

でも、実際は『ほとんどある』みたいな状態ですから、そう考えるしかないと思うんですが、どうなんでしょう?


で、最終的に、何が言いたいかと言うと、「普通の人間」なんですね。

『人間が、まだ本当の意味で人間に到達していない』と言う前提で考えると、「普通の人間」と言うのは「標準的な人間」というよりも、むしろ「理想的な人間」のことなんじゃないかと思うわけです。

と言うか、もう少し飛躍した言い方をすれば、その「普通の人間」=「理想的な人間」こそが、「神」と言われてきたものの本質なんじゃないかと思います。


「自然崇拝」のような「原始宗教」が、現在言われているような「宗教」の形をとるようになったのは、偶像としての「神」を設定したことによるところが大きいと思うわけですが、その「神」と言うのは「絶対者」とか「創造主」ということに成ってはいますが、実は、元をたどれば、その「絶対」や「創造」と言うのは、当初の段階では、自然界すべてに対する「絶対」や「創造」ではなく、「人間」の中での「理想形」や「完成形」を意味していたんじゃないかと思います。


それが、徐々に神性を高めていって、最終的に現在言われているような「神」の像が創り上げられたと言う気がするわけです。


つまり、「人間」自身が設定した「理想の人間」が「神」や「仏」で、まだ「人間」に届いていない「実際のダメな人間」が「悪魔」や「鬼」なのかも知れませんね。

まぁ、それは、また別の話になってしまうので、置いとくとして、取り敢えず、「普通の人間」に成るのがかなり大変だということはあるんじゃないでしょうか?


つまり、「普通の人間」なんて言っても、実は、その辺が「人間の頂点」でもあるのかなと。

『だって、それ以上は無理でしょ!?』

だから、いつも「普通の人間」に成ろうとして生きていないと、「人間」どころか「魑魅魍魎(ちみもうりょう←こんな字読めるか!)」に成り果てるのかも?

『実際、そういう人たちいっぱい居るしね!』

だから、とどかなくても「人間」に成ろうとし続ける人に成りたいなと。

『ポクなんかそれくらいてチュウプンたから』
(翻訳すると『ボクなんかそれぐらいで十分だから』てす)


そんな風に思っているわけです。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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