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「幻想の日常化計画」



「幻想」と言うと、どうしても「非日常」というイメージが強くなってしまうわけですが、わたくしといたしましては、「幻想」を、「日常化」できたら少しイイんじゃないかな?と思っているわけです。


要するに、「芸術」を生活空間の中に取り込むことが出来れば、「幻想」を「日常化」することが出来るんじゃないか?ということなんですね。

  ※「絵」を壁に掛けるということは、「日常生活」の中に「幻想スポット」を
   出現させることなんだと思います。

たとえば、旅行に行ったり、テーマ・パークみたいなところへ出かけたり、もう少しお手軽なことで言えば、映画館に映画を見に行ったりすることで、「非日常」が「生活」=「日常」の中に取り込まれるということがあるわけですが、そういうの、ちょっと手間ですよね。

まぁ、大した手間でもないので、それでいいということなんでしょうが、手間だけの問題でもなくて、どちらかというと、「人」が「日常」から「非日常」の側へ移動するんじゃなくて、「幻想」=「非日常」を「日常」の側へ移動させられたら少しイイのかな?っていうことなんですね。


「人」が移動するタイプの「非日常」を「リゾート」というんだと思います。
それに対して、「非日常自体を移動させること」は「リクリエーション」に近いような気がしますが、ここでは、さらにもう少し、それを進めて「白日夢」のような「日常の中に浮かび上がる幻想」と言うイメージのことを言っています。

そういうイメージで、「非日常」を「日常」の側へ移動させようというわけです。


一見、「日常の側」に移動してしまったら、「非日常」ではなく成ってしまうようにも見えますが、それは、「リゾート・タイプの非日常」つまり、「人が移動するタイプの非日常」に関して言えることで(確かに「リゾート地」で働いている人にとって、そこは「非日常」ではないんでしょう)、「非日常自体を移動させるタイプの非日常」においては、「その非日常」が「日常側」に有るか「非日常側」にあるかは問題ではなく、「その人」が「その非日常」を感じ取ることが出来るかどうかが問題になってくるんだと思います。

つまり、「幻想」の中に浸ることが出来るか?ということですね。


ただ、人間はその場の雰囲気に左右されされますから、「非日常空間」の中で「非日常らしく演出された時」の方が「幻想」に浸りやすいということはあるでしょう。

でも、「日常空間」の中でも、きっかけに成るモノさえあれば、割と簡単に「幻想」に浸ることが出来ると思うわけです。


そして、「芸術作品」がそういう「きっかけに成るモノ」として適していると思うわけですね。


たとえば、「本を読む」なんて言うのも、このタイプの「幻想の日常化」だと思うんですね。
「文学」も「芸術」ですからね。

「リゾート・タイプ」との違いは、「最小限の物質的要素」で「最大限の精神的距離」を移動できるということです。
(本を開いたとたんに物語の中の時代や場所へ移動できるわけですから)


「リゾート・タイプ」はやっぱり「物質的な要素」を必要としますよね。
それを「贅沢」と呼んでいるところがあると思います。
(「精神的な贅沢」もありますけどね)


でも、「美術作品」も「本」に負けないくらいに「幻想の日常化」に適していると思うんですが、いまは、「美術作品」の方は、まったくと言っていいほど、そういう機能を果たしていませんよね。

一言で言えば、「美術作品」が高すぎるんだと思います。


高額すぎるので、「日常化」できないわけです。

高額であるために、そうヤスヤスと買えないから「日常」に成らないし、高額であるために、無理して買うと「非日常」=「特別なモノ」になってしまうわけですね。


それで、仕方なく「美術館や美術イベントに行く」ということに成るわけですが、それでは、結果的に「人」が移動してしまっていますから、「リゾート・タイプ」になってしまうわけです。


そうなると、「芸術」が「旅行」や「テーマ・パーク」と同列に並べられることになるわけですが、「芸術」は、そちらの「リゾート・タイプ」には、必ずしも、適していないわけです。

要するに、『パァ-っ』と発散するような娯楽性についていえば、エンターテイメント性の高いほかのジャンルの方が適していると思うわけですね。

「芸術」は、本質的には内向的なジャンルだと思うんですが、どうでしょうか?
今は、そういうところを誤魔化して、ミョーに明るい振りをしているところがあるんじゃないかと思います。
『芸術って、こんなに楽しいんですよ!』みたいな演出ですね。

そういうのは、長くは続かないと思いますね。


もちろん、そういうところに行って、そういう場所で見ても(例えば美術館のような)、「その人」が幻想に浸ることが出来ればそれでいいんでしょうが、せっかく、「幻想の日常化」に適しているのに、それを無にしてしまうのもオシイような気がします。


それに、「本」が図書館でしか読めないとしたら、と考えると、それがいかに不自然な状態かがわかるんじゃないかと思いますよ。


要するに、「売り手の都合」や「市場の原理」によって、「鑑賞者」の「幻想を日常化する機会」が踏みにじられているということなんじゃないのかなと。


そんな風に思ってしまうわけですね。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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