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「抽象・具象」と「自象・他象」



「芸術」の「表現形態」で、「具象」と「抽象」を両極に置いた考え方をすることが多いわけですが、実際には、作者が「自分の中にあるナニカ」を表現しようとするのか、それとも、「自分の外にあるナニカ」を表現しようとするのか?ということも、「具象・抽象」と同じぐらいに重要なチガイなんじゃないかと思うわけです。


まぁ、「自象」と「他象」ということに成りますね。
(勝手に作った言葉です。アシカラズ)

これが、「具象・抽象」と同じようでいて違うんですねぇ。


「芸術の20世紀」において、「抽象表現」という考え方が広まっていく過程で、この「自象・他象」という考え方が「抽象・具象」と言う考え方と、ゴチャマゼにされたまま来てしまったことが、「抽象表現」を曖昧で漠然としたものにしてしまっている原因の一つに成っているんじゃないでしょうか?


本来の「抽象表現」とは、『モノの外見にとらわれず、ナニカの本質を抽出して現そうとすること』なんだと思います。

それに対して「具象表現」は、『モノの外形を使うことによって、ナニカを現そうとすること』と言うようなことだと思います。


でも、現在は、「抽象」とは「形を使わない表現」という考え方がほとんどだと思います。


この「形を使わない」と「外見にとらわれない」が似て非なるモノで、「形」=「外見」ではありませんし、「使わない」=「とらわれない」でもありませんから、場合によっては、だいぶ違った意味になってくるわけです。


たとえば、「まる」や「さんかく」は「形」ですが「ナニカの外見」ではありません。
だから、「まる」や「さんかく」を使っても「抽象画」に見えたりするわけです。


でも、「まる」や「さんかく」は見慣れていて、それほどオモシロイ形でもありませんから、そればかり使っていると「ツマラナイ絵」になってしまうわけです。

それで、「形」は使わずになんとか「オモシロイ絵」に成らないかということで、『試行錯誤しながら現在に至る』というのが「抽象表現」の現状だと思います。
(つまり、早い段階で「形」をあきらめてしまったわけですね)

その試行錯誤の過程で一番肝心な「本質を抽出すること」が抜けてしまったんだと思います。
それで漠然としてしまったんじゃないでしょうか? 


そこで、「抽象・具象」という考え方に、「自象・他象」という考え方を加えると、少し見えやすく成るんじゃないかと思うわけです。

 ※以下、『見えやすく成る』と言っても、それほど分かりやすい文章ではありません
  ので、その辺はご容赦ください。 
  まぁ、この話はそれくらい面倒な話だということですね。
  だからこそ、「巨匠たち」も「結論」を出さずに死んでいってしまったんだと思います。
  そして、「巨匠たち」がこの問題を放置したまま亡くなってしまったことで、その「実験
  段階」が「結論」ということに成ってしまったんだと思います。


たとえば、「自分の中にある感情」のような形のないモノを描けば、それは、「自象」で「抽象的」ということに成ります。

同じ「感情」でも「自分以外の人(=他者)の感情」を描けば、「他象」で「抽象的」です。


そして、その「感情」を「表情」などの「外見」を使って現した場合は、「他象」で「具象的」ということに成ります。
(要するに、これが「一般的な人物画」ということですね)


つまり、「花」や「風景」など、どんなモノであっても「自分以外のモノ」を「そのモノの外見的な形」を使って表現すれば、「他象」で「具象的」ということに成るわけです。


しかし、ここでどうしても分かりにくくなるのは、「自象」と「他象」や「抽象」と「具象」が、一見対極にあるようでいて、必ずしも、対立しているとは限らないという所です。つまり、この四つの考え方が相互に絡み合っているのが「芸術表現」であるというわけです。


たとえば、「自画像」は「自象」でもあり「具象」でもあります。
ここまでは問題が無いと思います。

問題は、「自画像」が「他象」や「抽象」でないとは言い切れないということです。


たとえば、その作者が自分の顔を見ながら描いたのは確かだけれど、その自分の顔を「人間全般の顔の一つ」として、つまり「普遍的な人の顔」=「他者」として描いた場合、それが「自象」なのか「他象」なのかが解りにくくなりますし、その作者が「顔の形」を描くことを重要と考えたのか?それとも「顔の形」を使ってはいるが、その本質的な性質を現そうとしたのか?という疑問が出て来ると、「具象」か「抽象」かもよくわからなくなります。
(「形」を使ってはいるが「形にとらわれてはいないということですね)


つまり、「具象」でもあり「抽象」でもあるということもあるし、「自象」でもあり「他象」でもあるということもあるということです。
そして、それらがすべて柔軟に絡み合って全体を構成しているのが「芸術表現」であるということです。


まぁ、ぜんぜんわかりやすく成ってませんが、それでも、解りにくいということだけはわかりやすく成ったような気がします。


取り敢えず、「芸術表現」には、「具象・抽象」だけでなく、いろいろな捉え方があって、それらは必ずしも対立するものではなく、むしろ両立させることで力を発揮するということですね。


だから、どちらか一方の「表現形態」を一方的に排除するのではなく、出来るだけ多くの「表現形態」を組み合わせていくことで、「表現力」が増していくんだと思うわけです。

そして、そういう練り合わされた「表現」を「芸術」と言うんじゃないのかなと。


そんな風に思っているわけです。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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