FC2ブログ

「長い題」=詩のような題(その6)



「長い題」(その6)です。

今回のは、ぜんぶ「絵」に合わせて「題」をつけたものです。
ということは、前に出来ていた「絵」が決まっていない分の「題」の方はそのまま残ってしまうということですね。

「題」がたまっていって「絵」が追い付かないというのはどうなのよ?

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

おちてゆく

いま まっさかさまに おちてゆく
ここにいると かなしくなるから


ならくのそこは どんなとこ

きっと かがやくせかいが まっている


だから ぼくは 
なんだか とっても たのしくなって
なんだか とっても おかしくなって

『いま おどりながら そこに おちていくとこ』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いま きみに なまえを あたえよう ロミルラン

そう いまから きみの なまえは ミル・ロミルランだ
きみは これから ミル または ミルナルと よばれることに なる

『ときと ばあいによって ひとの なまえは へんかする』
だから ミルナルと よばれることも あるだろう


いずれにしろ いま きみには なまえが あたえられた
だから きみは もう まよう ひつようは ない

あたえられた なまえに したがって まよわず いきて いけばいい


いま きみに あたえられた ミル・ロミルランと ミルナル・ロミルランという なまえは 
じゅうぶんに うつくしい なまえだ

だから その あたえられた なまえに したがって いきて いくだけで
きみは じゅうぶんに うつくしく なることが できる

それでも きみが まよいたければ まよえば いい


そのとき きみは あたえられた まなえを こえて 
きわめて うつくしく かがやくことが できる


この ふたつのうち どちらの いきかたを えらぶかは

『かんぜんに きみの じゆうだ』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『カーニバルは やってくる』
どこにでも やってくる

それは おまつりだから
それは みんなの よろこびだから

だから カーニバルは どんなところにだって やってくる

たとえば この オパールのような じめんと
きいろいかべのような そらが 
あかとしろの わくのなかに とじこめらた
こんな ところにだって それは やってくる

だれにも しられずに くらくかがやいている
こんな ばしょにも カーニバルは かならず やってくる

それは いつも なんのまえぶれもなく とつぜん あらわれて 
なにごともなかったように あとかたもなく きえてしまう

だから ふだんは みんな わすれてしまっているけど
いつのひか また カーニバルは かならず やってくる


だって それは おまつりだから
だって それは みんなの よろこびだから


だから カーニバルは どんなところにだって

きっときっと やってくるんだ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

しずかに ほのおが もえている 
この おとのないせかいで

かぜのおとすらしない その しずかさのなかで
つめたいほのおに てらされて 

ひやされるほどに あたたかく
こおりつくほどに やわらかく

その まるくて なめらかなはだは そだってゆく


『それが ほんとうに いつわりのない ひとのすがたと いうものです』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『さびしくて うつくしい』

あおじろい ひかりに つつまれて
じっと やすんでいる

ひとりでいることを ひそかに たのしんでいるように
かなしみに みたされることを すこしだけ よろこんでいるように


こんな さびしさのなかに 
こんな しっとりした やさしさが あるなんて

こんなに うつくしい くうきのなかで 
じっと やすんでいられるなんて

あぁ つめたくて やわらかい そんなやすらぎが ここにある

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『また ひとつ このせかいに 
あたらしい いみが あらわれる』


ほのぐらい せかいの かたすみに
ほのあかるい いろを なげいれて

それは とうとつに しゅつげんする


なんのいみかも わからない
なんのかたちかも わからない
なんのかがやきなのかも まったく わからない


それらのものは これから このせかいのなかで あたえられていくことになるだろう


そんな あたらしいいみが またひとつ 
このよのなかに しゅつげんすることが

いま けっていされたようだ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

二番目のなんか、相当恥ずかしいんですが、読んでる人がすごく少ないから書けるという感じです。

『閑古鳥ブログ万歳!』




関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR