FC2ブログ

「本当に正しいこと」ってあるんだろうか?



はたして「本当に正しいこと」と言えるようなことってあるんでしょうか?

これは、まじめにモノを考えて行くと、誰もが突き当たる疑問だと思うわけです。
(まぁ、『哲学的な思考において』というようなことです)

ショッパナのところでこの疑問に突き当たってしまう人も、けっこう多いんじゃないでしょうか?


でも、私の勝手な考え方においては、『あるに決まってるでしょ!』という感じなんですねぇ。

 
しかも、「正しいこと」に限った話ではなくて、どんなことに置いても、だいたい言えることなんですが、『〇〇って本当にあるんですか?』という質問に対する答えは、、すべて『あるに決まってるでしょ!』でもいいくらいだと思いますねぇ。


『〇〇って~』と言っている時点で、「〇〇」を前提として言っているわけですから、質問している側も、受けている側も「〇〇の存在」を認識しているという前提で言っているわけです。

もしも、「〇〇」を認識していないのならば、『〇〇って本当にあるんですか?』と言う前に『〇〇ってナニ?』という所から始まるはずです、つまり、「正しいこと」であれば『正しいことってナニ?』という所から始まるはずです。

そうでないということは、両者の中に「正しいこと」という共通の概念が存在するということですね。
少なくとも、質問した側はそう思っているということです。


聞かれた側も『正しいことって本当にあるんですか?』と聞かれたときに、『その正しいことっていったいナニのことを言っているの?』と聞き返すはずですね。

そう聞き返さないとしたら、聞かれた側も『両者の間に「正しいこと」という共通の概念がある』と思っているんでしょう。


だとすれば、その両者の間には「正しいこと」という概念があるということです。


その概念を言葉で規定できない時に『正しいことなんて無いんだ』ということがありますけど、それは、言葉で規定できないというだけで、『無い』と言うのとは違うような気がします。


たとえば、味覚のような感覚的なモノにおいて、『美味い』ということを言葉で具体的に規定するのは不可能だと思いますが、それでも、確かに『美味い』はあります。
少なくとも『無い』とも言い切ることは出来ないはずです。


実際に『無い』のは「万人に完全に一致する美味いもの」であって、「人類に共有されている美味いものと言う感覚」は間違いなくあるわけです。


それと同じように人類に共有されている概念としての「正しいこと」があるからこそ「正しいこと」についての話が成り立つわけです。


もともと言葉は人間が創り出したものですから、言葉は人間の中にある概念を超えることは出来ません。

「正しいこと」も言葉ですから、人間の中の「正しいこと」が、人間にとって上限の「本当に正しいこと」に成るわけです。
つまり、人類が、言葉の意味として共有している「正しいこと」こそが、「正しいこと」の本質なわけです。

ただ、それが、「世界全体の中における正しいこと」とは言えないというだけです。
要するに、それをさらに厳密に規定することが出来ないというだけだと思います。


でも、それは「正しいこと」に限ったことではなく、どんなことでも、その「究極的な意味」と言うのは、人間にはとても把握できるものではなく、何を言うにしても言葉を使って言うことになるわけですから、すべてのことが「言葉の範囲内」なわけです。

つまり、「人間の範囲内」でもあるわけで、そういう意味からすれば、その「言葉が持っている意味が、そのモノの人間にとっての上限ということになるわけです。

そういう意味では、すべてのことが、『あるに決まってるでしょ!』ということになるわけです。

 ※そういうことにしておかないと、何も話せなくなってしまいますからね。
  と言うか、人と話をするときには、無意識のうちに、そういう約束のもとに話を
  しているんだと思いますけどね。

むしろ、どちらかと言えば先天的に人間の思考の中に組み込まれているモノだと言った方がいいと思います。
つまり、「理論的な意味での正しい」ではなく「感覚としての正しい」ですね。
こういうのを、「自明のこと」と言うんじゃないでしょうか?

ただ、そういう「自明のこと」を言葉にすると、違った意味での限定が加わってしますために、話がややこしくなるということなんだと思います。


でも、まぁ、取敢えず、「正しいこと」は人間の思考の中に「既にあるモノ」であって、「人間が判断したり規定したりするモノ」ではないということですね。


それは間違いなく存在していて、しかも、漠然と人類に共有されている概念であるということです。
まぁ、『正しいことはあるけど、それを誰かが決めることは出来ない』ということじゃないでしょうか?


要するに、それを力ずくで決めて人に押し付けようとする人があまりにも多いから、『正しいことなんてないんだ!』と言いたくなるんだと思います。

でも、「正しいこと」は「人が決めるモノ」ではなくて、初めから「人類全般の意識の中に先天的に刷り込まれているモノ」だと考えれば、それを決めようとすること自体が、どうしようもなくオカシナことなわけで、まして、そのオカシナことを人にまで押し付けようとするのは正気の沙汰ではないわけですから、マトモな話の適用外ということで、『却下!』ということで十分だと思いますね。


論じることに意味があるとすれば、「人類に共有されている概念としての正しいこと」についてなんじゃないのかなと。

それに付いて、より多くの人が、より多くの考える機会を持つことで、気が遠くなるような世代を経て「人類にとっての正しいこと」が、また更に、次々と更新」されていって、また更に、刷り込まれていくことに成るんだと思います。


つまり、「人類にとっての正しいこと」とは、長大なスパンで常に変化しながら構築されている過程にあるわけで、それは、「この世の中全体にとっての正しいこと」についてもほぼ同じことがいえるのかも知れません。

しかし、「正しいこと」は「言葉」ですから、「言葉の範囲」を超えることは出来ません。
だから、そういう「普遍的な意味での正しいこと」に関しては、「言葉」では規定できないわけです。


まぁ、要するに、「正しいこと」と言っても人間が言っている程度のモノですから、『なんとなく正しい感じがするぅ?』という程度のモノなんだと思います。


それ以上は、「人間」にとっても、「言葉」にとっても、「容量オーバー」かなと。


そんな風に思いますよ。


  ※「人類に共有されている正しいこと」とは別に「自分が正しいと思っていること」というのも
   あるでしょうが、それはあくまで「その人の持論」であって、他人に対して適応するべきもの 
   でも、ましてや強要するものでもないということだと思います。
   そういう前提で、それぞれの人が「持論」を持ち合って話をすることは『きっと楽しい!!』


 

関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR