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『もしも、絵の値段に上限があったら』



現在は「絵の値段」と言うと「天井知らず」という感じがしますが(「売れていない人の絵」はタダでも迷惑がられたりしますけど)、その「絵の値段」に「上限」を設定したらどうなるんでしょうね?

しかも、かなり安い値段で。


つまり、ごく一般的な品物と同じように、「原材料費+手間賃」というようなことを基準にして割り出した値段を「絵の値段」にしてみたらどうなるのか?という、毎度バカバカしくて、とりとめもなくて、つまらなくて、どうでもいい話です。

読んでトクすることはありませんから、「バカ者」の方以外にはお勧めいたしませんので、アシカラズ。


さて、かなり多くの人が現在の「絵の値段」には疑問を持っているんじゃないかと思うんですが、そういう疑問が『いったいどこからきているのか?』ということを考える人は少ないような気がします。


たとえば「何百億円」というような「有名作品」の値段については、そこに疑問を抱く人も多いと思うわけですが、でも、それが「モナリザ」なら、その疑問は消えて無くなってしまうかもしれませんし、「印象派」ぐらいまででも疑問が消えてしまう人も結構いると思います。

ところが、それがモダン・アートの作品と成るといきなり「疑問指数」が急上昇します。
なぜでしょうか?


まぁ、要するに『誰でも描けるように見えるから』なんじゃないでしょうか?
実際に描けるかどうかはさておき、『描けるように見える』ということが、この疑問の原因だと思うわけです。


つまり、『特別な「能力」も「労力」も「材料」も使われた形跡が見られない』ということなんじゃないでしょうか?

『そう言うモノが「人がやらないことをやった」とか「トンデモナイ発想」と言うだけで、どうして、そんな値段に成るの?』ということじゃないかと思います。


ややつまらない言い方になってしまいますが、「モナリザ」や「印象派」だと、ほとんどの人が『自分には描けない』と思うので(これも、実際に描けるかどうかではなく『そう思う』ということです)、「疑問指数」が低くなるんだと思うわけです。

「モナリザ」の場合は、さらに「文化遺産的な価値」も大幅にプラスされますから、ほとんどの疑問が消えてしまうわけですね。


いずれにしても、世の中のほとんどのモノの値段は「原材料費」や「人件費」などの「コスト」から割り出されていることが多いわけですが、「芸術」に近い分野のモノだけは、「例外」と言うことに成っていて、しかも、そこに「上限」すら設定されていないわけです。

たぶん、「芸術関連のモノ」と「一般のモノ」との間にあるこのギャップも、疑問の原因に成っているんじゃないかと思います。


そこで、『もし仮に「絵の値段」に「上限」を設定したらどうなるんだろうか?』と考えてみたわけです。


まず、「上限」をいくらに設定するか?ということがあるわけですが、そこのところは、「歴史的な価値」や「作者の知名度」などを完全に無視して、しかも、極めてテキトーに『100万円ぐらいでドナイデッカ?』ということで。


取り敢えず、「モナリザ」から「超無名作家の絵」まで含めて、「上限」は一律で「100万円」ということにしたらどうなるでしょうね?


まず、100万円を遥かに超える価値があると思われるような「有名な人の絵」は、ほとんど売り買いされなくなるでしょうね。
(利益が出るので、持ってた方がトクですから)


問題は「そこまでスバラシクない絵」です。
というか、「その絵から100万円以上の利益があてこめない絵」ということです。

『100万円の利益も出ないような絵はダメな絵だろ』と言う人も居るかもしれませんが、実際には、そういう絵の中にも掘り出し物はたくさんあると思いますし、楽々100万円の利益を生み出せる絵の中にも「ソーデモナイ絵」もあるでしょう。

そういう絵を買うとしたら、どういう考え方で買うようになるでしょうね?


100万円で買っても100万円以上で売れることはありません。
100万円以下になってしまう可能性はあります。
(決まっているのは「上限」だけですから)

そうなったとき、何を基準にして「絵」を売り買いするようになるんでしょう?


まぁ、ソンしても100万円以内ですから、とにかく、自分が好きな絵を買うのか?

それとも、取り敢えず、次も確実に100万円で売れそうな絵を買うのか?

はたまた、売ることも買うことも全く考えなく成るのか?


いずれにしても、「有名作家」の作品が売り買いされる機会が激減すれば、「市場」は「無名作家」を扱わざるを得なく成るわけで、少しは底辺に近い所まで「市場」の範囲が広がることに成ると思います。


今の状態では、「絵の値段」に惑わされて、「絵の本当の価値」はまったく見えなくなってしまうので、こういうことを考えてみると、少しだけ「絵の真価」に近づけるような気がします。


実際、底辺に近い所で地道な活動を続けている作家の方に出会ったりすると、私は心を打たれることがあります。

そういうのを「感動」と言うんだと思っています。
(『いや、「同情」じゃなくて!』)

それで、こんなことを考えてみました。

でも、役には立ちません。


寝ます。
『おやすみなさい』



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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