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「AI」は「人間」を教育することが出来るか?



この前、「AI」が「人間」に近づいてきていることについての記事を書いたんですが、それと同じ「AI」についての話です。


「AI」と呼ばれる「人工知能」は、確かに昔に比べれば、かなり「人間」に近づいてきていると思います。
でも、その「人間に近づいた部分」とは、要するに「人間をコピーした部分」であって、本当の意味で「進化」したのは「AI」ではなく「人間の自己複製技術」なんじゃないか?と思うわけです。


まぁ、「人間が創り出すモノ」とはすべてそんなもんだと思いますが、「AI」の場合は、見た感じが「人間そのもの」なので、どうしても「AI」が自分で進化したような錯覚が生まれてしまうんでしょうね。


それはさておき、今回は「AI」がここまで「人間」に近づいたんなら、「人間を教育すること」は出来ないだろうか?というお話です。

役には立ちません。
(いつもですけど)

しかも、「科学技術に関する知識=ゼロ」
さらに、「話題の緊急性=ゼロ」
そのうえ、「道徳的常識感=ゼロ」
はたまた、「オモシロサ=ややマイナス」

という内容には、自らあきれ果てるほどの記事に成ります。
どうぞよろしく。
(ナニが?)


さて、『「AI」が「人間」を教育できるのか?]』ということなんです。


現在、「児童虐待」や「学校のイジメ」の問題が非常に深刻化していて、このままいくと「社会」は崩壊してしまうんじゃないのかと思うほどですよね。

 ※現在の社会が抱えている問題の中でも、「虐待」や「イジメ」は非常に深刻な問題
  だと思いますね。
  「~ハラスメント」なども含めて、「強いモノが弱いモノを虐げる」という形の「暴力」は、
  「人間社会」を崩壊させる可能性もあるんじゃないでしょうか?
  (これ、一種の「共食い」だと思いますよ)
  その点では、「認知症」と双璧だと思います。

 ※一般的に「認知症」は「脳萎縮」によって起きる病気だと言われていますが、私は
  「脳萎縮」は結果的に現れて来る症状であって、実際の原因は「年寄りが尊敬され
  なく成ったこと」だと思っています。
  「社会」の中で尊敬されなくなった「年寄り」が自暴自棄になって「ある種の思考停
  止」に陥り、その結果「脳」の中に全く使われない部分が出てきて、その部分が委縮
  し始めることによって「認知症」が発症するんだと思っているわけです。
  (高齢者が運動せずに生活していれば、歩けなくなってしまうのと同じ原理ですね)
  そして、その「認知症」によって、また、さらに尊敬されなくなってしまうという悪循環が
  起きているんだと思うわけです。
  これは、昔、スラム街で育った子供が、努力してその劣悪な環境から抜け出そうとす
  るのではなく、むしろ、それとは反対に社会の中で落ちていくような生き方をしていた
  のと同じ原理だと思います。
   
  そう考えると「認知症」も「社会的年寄りイジメ」の結果であって、「エイジ・ハラスメン
  ト(老ハラ?)」というような「社会現象」としての性質が強いもので、必ずしも「脳の病
  気」ではないような気がしているわけです。

  そして、これらのすべてが、「強者」が「弱者」を虐げていることから発生しているんだ
  とすれば、つまり、人間同士が喰い合っているわけですから、要するに「共食い」のよ
  うな現象が起きているわけです。
  しかも、「弱者」の側が、自分を排除した「社会」に対する「毒」と成ることで、自らが喰
  われることをもって「社会」の「毒」となって、「社会」を崩壊させるような構造を創り出そ
  うとしているわけです。

かなり、話が脱線してしまいましたが、「教師」が「イジメ」に自ら参加しているケースもあるというような現状で(劣等生の間では昔から良く知られていることですが、ヒドイことをする教師は普通に存在します)、現在の「学校」や「親」に「教育」が出来るのか?という問題があるわけです。


もちろん「マトモな教師」も「マトモな親」も、それなりに居るんでしょうが、少なくとも、かなり逸脱した教師や親がいることも事実でしょう。
そのギャップがある分、「虐待」や「イジメ」を受けた人のダメージは大きくなってしまうような気がします。


その点、「AI」だったら、少なくとも「ギャップ」だけは無くなるのかも知れません。

なにせ「機械」ですから、「感情」はほとんどないわけだし(たぶん)、イライラしたりもしないんでしょう(たぶん)。
それに、異常な偏りのある「変な人」も居ないでしょうし(たぶん)、そうなると、『あれ?意外と「AI」って「教育」に向いてるんじゃないの?』と言う気さえします。

しかし、そうは言っても、その長所が裏返せば短所でもあるわけで、おそらく、「感情が無い(たぶん)」という所が問題になってくるんだと思うわけです。

つまり、「子供の情緒」が育たないんじゃないか?という疑問があるわけですね。


『動物実験でもやってみますか?』

「動物ならどうなってもいいのかよ?!」


まぁ、取りあえず、そこは抜きに考えるとしても、私は、これ、結果的にやることに成るような気がしますね。
それが、良いことなのか?悪いことなのか?ということは別にして、おそらく、数十年後には「AI」が「人間」の教育の一端を担う時が来るような気がします。


現在、既に勝手に床を這いまわっている「お掃除くん」をよく目にします。
(あんまりキレイに成ってませんけどね)

そこから「ロボット・家政婦さん」まではすぐそこでしょうし、そうなれば「ロボット・ベビー・シッター」も『あっ!』という間です。
そこで、「ロボット・先生」を止められる要素ってありますか?


私は『ない』と思いますよ。
「人間」は常に「新しい方向」へ向かいますから。


たとえば、「ひどい虐待を受けた子供」や「イジメから逃れて登校拒否に成った児童」にとって、「ロボット・親」や「ロボット・教師」が「ややマシ」なのか?
それとも「さらにワルイ」なのか?それはわかりませんが、少なくとも、一度はやってみることに成るんじゃないんですか?

『だから、なんだって言うんだ?』と言われればそれまでですけどね。


まぁ、そんな風に思いました。

どうなるのかは、わかりません。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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