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「ランダム審査員」



いま「芸術の世界」は、いろいろな意味で『行き詰っている』と思うわけです。
(ホントのことを言えば、『もう百年くらい行き詰りっぱなし』だと思いますけど)


一度、アカデミズムの中で身動きが出来なくなって行き詰った「芸術」が、「芸術の20世紀」に入ると、いきなり急転直下の「破壊に次ぐ破壊」の繰り返しが起こり、その繰り返しが、半世紀にわたって持続するという「信じられないほどのエネルギー」を発揮することに成ったわけです。

そのこと自体がよかったのか悪かったのかを別にすれば、その時期、少なくともある種の「動き」が生まれていたのは事実でしょうし、「芸術の20世紀」の流れの向きによっては、「行き詰まり」を脱出することも出来たんだと思います。


しかし、「いま」また「芸術」は行き詰ってしまっているわけです。

 ※このことについては、『もう、どうでもいいよ』と言う「アキラメ派」から
  『えっ?行き詰ってなんかいませんよ』という「スットボケ派」まで、多
  彩な「〇〇派」があると思いますが、本当に「芸術の世界」が躍動感を
  持って動いているなら、そんな「行き詰まりの話」自体が出てこないと
  いうのは確かなことだと思います。

というか、実際には、最初から「行き詰まり」を抜け出せていなかったんじゃないでしょうか?
(私はそう思います)

『なぜ抜け出せなかったのか?』

要するに、「権威」を捨てられなかったんだと思うわけです。
 

「芸術の20世紀」は、「旧時代の権威」については完膚なきまでに破壊しましたが、それをやっている自分たちが「権威」に祭り上げられるのは食い止められませんでした。

少なくとも「天才という偶像」を完全に捨てきることが出来た人は居なかったんだと思います。


なんだかんだ言っても、「巨匠」達は

その「偶像」を少なからず受け入れ、

その「偶像」から少なからず利益を得て、

その「偶像」を少なからず心地よい居場所にして、

その「偶像」でメシを喰っていたんだと思います。


だからこそ、彼らが「巨匠」と呼ばれているわけで、自分に与えられた「偶像」を破壊した人が居たとすれば、その人のことをだれひとり「巨匠」扱いしなくなっているはずですよね。


つまり、「人の権威」は破壊して、「自分の権威」は受け入れてしまったわけですね。
でも、それは正に典型的な「権威」の在り方です。

だったら、抜け出せるわけありません。
だから、行き詰ったマンマなんだと思うわけです。



さて、そこで「ランダム審査員」です。


現在、「芸術」に関するあらゆる「審査」においては、必ずと言っていいほど「権威ある人」が「審査員」に成っていますし、「権威ある人」が「審査員」を務めていないと「その審査」にも「権威」が生まれませんから、「権威がモノを言う世界」では、ほとんど意味を成しません。


ここのところが「現在の芸術」を権威的にして行き詰らせている全てのことの「起点」に成っていると思うわけです。
ここさえ変えれば良くなるとは思いませんが、先ず、ここが変わらなければ絶対に良くなることは無いと思いますね。


美大の入試にしても、公募の審査にしても、とにかく、ありとあらゆる「芸術の審査や査定」には「権威」がつきもので、「まったく権威のない人」に「審査」が任されることはありません。
(たとえば「美大生」でも「権威」ではあるわけです)


そこのところを、なんとかできないかということです。

つまり、「まったく権威のない人」に「審査員」や「査定者」になってもらうということが出来れば、すこしイイのかな?ということです。


たとえば、「アルバイト募集」の広告を出して、「仕事」の内容は「軽作業」や「簡単な仕事の手伝い」などとしておいて、集まった人たちに「審査員」に成ってもらおうというわけです。


つまり、ランダム(無作為)に選ばれた人に「審査員」を任せようということです。


そこで問題に成るのは、『ただ単に、素人にテキトーな審査をしてもらいたいわけではない』ということです。


「権威」から抜け出すのに絶対に必要に成るのは「素人の視点」だと思いますが、その「素人」が必ずしも権威から離れた審査をしてくれるとは限らないわけです。

つまり、「なんとなくそれらしいもの」を選んでしまうことが予想されるわけですね。
まぁ、『空気を読んでしまう』ということでしょう。
(それが「権威」と言うモノですから)

 ※よく公募展などで「オーディエンス賞(見に来た人が投票できる」と言うのがありま
  すが、やはり、「なんとなくそれらしいもの」が選ばれていることが多いと思います。
  まぁ、「オーディエンス賞」の場合は、あくまで「入選作」の中からしか選べないこと
  が多いですし、見に来た人という時点で「ランダム」ではないので、そういう意味で
  も、ここで言っている「ランダム審査員」には当たりませんけどね。


それでは、「ランダム審査員」である意味が無くなってしまいます。


ここで、本当に知りたいのは「素人の視点」の中でも、「素人が感動するモノ」についての「視点」です。
つまり、「その他のモノについての視点」はカットしたいわけですね。


そこで、まず、集まった「ランダム審査員」にすべての作品を見てもらったうえで、『この中にあなたが「感動した作品」はありましたか?』と質問します。

そして、『無かった』と答えた人にはアルバイト料を50%アップすると言う条件を提示します。
つまり、『無かった』と答えた人はトクをして、『感動した』と言った人はソンするわけですね。


ソンしてでも、その「感動」を伝えたい人だけが残るわけです。
それは、ソンした分のお金を払って、その作品を後押ししたいと思った人ということですね。


『空気を読んでなんとなくそれらしいモノを選ぶ』人たちは「バイト料50%増」の方を選ぶでしょう。


アルバイトを百人集めても、数人しか残らないかも知れません。
それどころか「0人」というのが、当然の成り行きなのかもしれません。

でも、それぐらいのところから始めていかないと成らないほどに現在の「芸術の世界」は権威的になってしまっていますから、そういう一種の「賭け」が必要だと思うわけです。


行き詰って、固まってしまっているのなら、『なにかやらないと動かないんじゃないですか?』と。


そんな風に思って言ってみました。




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