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「具象画」はパソコン画面に強いのか?



最近は、「パソコンの画面」で絵を見る機会が急激に多くなっているわけですが、その「パソコンの画面」で見たときに比較的良く見える絵ってどういう絵なんだろう?ということを考えてみました。

 ※ここでは、絵具で描いた絵を想定して話をしていきます。


まず、人によっては、『「パソコンの画面」や「写真」なんかで「絵」を見たって、ナンニモわかりゃしないよ!』
という方が結構いらっしゃいますが、『ナンニモ』は言い過ぎだと思います。

確かに、かなり違って見えることも多いわけですが、ほとんど同じように見える絵もあると思いますし、ちがって見える絵でも『ゼンゼン違う』というケースはむしろ稀で、ほとんどの場合は、それなりのモノが伝わるんじゃないかと思うわけです。


じゃあ、なんで『ナンニモわかりゃしないよ!』なんて言う人が居るんでしょうね?


要するに、「伝わらない部分」があるっていうことなんだと思うわけです。
そして、その「伝わらない部分」って、いったいどこなんだ?と言えば、「色」だと思います。

つまり、「形」はだいたい伝わりやすいんですが、「色」は伝わりにくいんですねぇ。
「絵の具の色」と「光の色」は根本的に違いますから、ちがって見えて当然だと思います。

 ※映像は「光」で見えているわけですが、「絵の画面」は「絵具の色」で見えているわけ
  です。
  「絵具の色」も「光の反射」で見えているわけですから、一種の光でもあるんでしょうが、
  違うのは「物質」としての質量を持った「モノ」が発色しているということです。
  また、「光」も何らかの粒子であったりするんでしょうから(よく解りませんが)、「物質」
  でもあるのかも知れませんけど、「光の色」は「色の効果」の大きさに比べて、「物質」
  としての質量が限りなく「0」に近いというようなことじゃないでしょうか?
  その「色の効果」と「物質としての質量」が、「絵の具の画面」では一致しているのに
  対して、「パソコンなどの画像」ではギャップがあるということだと思っています。

  その「物質の色」と「光の色」の違いに加えて、「光の透過」による違いもかなり大きい
  でしょうね(むしろ、実際の「色の違い」としてはこちらの方が大きいでしょうか)。
  つまり、色が塗り重ねられた画面では、「光」が画面の表面だけでなく下の層まで透過
  してから反射されますから、それで複雑な色味が出て来るわけですが、そういう微妙な
  色味の部分は、なかなか「パソコンの画面」では忠実に再現できない場合が多いので、
  ここでも、やっぱり「色の違い」が出てきてしまうわけです。

 補足:もちろん、「パソコンの画面」も「物質」なわけですが、そこで「見えている色」は
    機械の中の光源から発せられた「光」であって、その「光」に「色」がついている
    から「色」として見えているわけです。そういう意味では、それはあくまで「光の
    色=波長」であって、「物質の色」ではないと思うわけです。
    そういう意味では、「写真」にもほとんど同じことが言えると思います。「写真」の
    場合は、「光」で感光させていますから、「物質が反射している光」を写し取って
    います。だから、やはり「絵の具の色」とは違って「光の色」に近い性質に成って
    いるんだと思っています。(アナログ=フイルムの場合)
    そういう意味では「スプレーで描いた絵」も、どちらかと言えば「光」を写し取って
    いるのに近いと思います。「スプレー画」は一種の点描画なわけですが、その点
    が人間の眼では確認できないくらいに小さいので、結果的には「光」を見ている
    時と同じ印象に成るんだと思いますね。
    けっきょく、「物質的な存在感」という意味では「ベタッと塗り込んだ画面」に勝るも
    のは無いということだと思いますよ。

    まぁ、長々と補足するようなことでも無かったけど。 

それに対して、「形」の部分は、ほとんど「光の色」と「絵の具の色」の違いに影響されませんから、ちがって見えることが少ないということだと思います。


あとは「大きさ」の問題ですけど、これは決定的なことではないと思いますが、やはり、実物よりもあまりに小さいと細かいところがよく見えなかったりしますから、大きい絵はやや不利だと思いますね。


でも、とにかく、「色」の違いが大きいわけです。
そして、そうなると俄然「抽象画」は不利になるということです。
「抽象画」は「ハッキリした形」を使わない場合が多いですからね。


そうすると、この「パソコン時代」には「具象画」なんじゃないのか?ということに成りますから、もしかすると、「具象画」が「芸術の先端」に返り咲くのか?と思います。


現在、「抽象表現」が必ずしも「芸術の最先端」とは言えなく成って来ている状況でしょうし、その上、「パソコン画面」でも不利となると「最前線」に留まれなくなるのは必至かも知れませんねぇ。


「抽象表現」と「具象表現」を融合して行くことが必要に成っていくんだとすれば(私はそう思っています)、それは「抽象表現」に「確実性」や「実体」を与えるためだと思います。

そういう確実で実質的なモノは、「肉眼」でみても「画像」でみても、遜色ない程度のモノを伝えることが出来ると思うわけです。


そうやって、「抽象表現」が確実なものになって行けば、きっと「パソコン時代」にも「抽象表現」は生き残っていけると思います。
そうなったときには、「具象」よりも自由度が高い「抽象」がまた見直されていくんじゃないのかなと。


そんな風に思ったわけなのです。


追記:実際には、「具象画」が「パソコンの画面」に強いのではなくて、現在に限って言うと
   「具象画」の方が「抽象画」よりも「形」に対する依存度が高いということだと思います。
   本当を言えば、「形」と「色」の両方で人の心を惹きつけられたら一番いいんだと思い
   ます。それで、『パソコンの画面にも強くて、実際に生で見たらモットイイ』と成るのが
   理想なんでしょう。

   と言いつつ、自分の絵をパソコンの画面で見ると、いつも『おいおい、ぜんぜん違うじ
   ゃないか!勘弁してくれよぉ』!ってな感じなり・・・・


   

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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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