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「芸術」がいち早く切り捨てた「努力」を、いま「芸術」がいち早く見直す必要がある



「芸術の20世紀」が切り捨ててしまったモノの中でも、最も重要で最も切り捨ててはならなかったモノが、「努力」なんじゃないかと思うわけです。


要するに「天才」とか「才能」という言葉と引き換えに「努力」を切り捨ててしまったんだと思うわけです。

そして、そのことが「芸術」は言うに及ばず、社会のあらゆることに悪影響を及ぼしてきているように思える今日この頃なわけですねぇ。

 ※これは別に社会を啓蒙しようという話じゃありません。
  ほかの記事もそうですけど、そういうのはエライ人がやることで、私はすごくエラクな
  いので、そんなことはやりません(やっても馬鹿にされるだけだし)
  ただ単に、『私にはそう見えるんですけどねぇ』というような話です。
  あまりにも理屈に合わないことや、オカシナことがあると、つい言ってしまうというだけ
  ですので、ご気分を害されませんよう。


『努力が切り捨てられてしまった』と言うと、『そんなことは無い!みんな努力しているじゃないか?!』と言う人も居るでしょう。
『天才っていうのは、人の見ていない所でモノスゴク努力しているんだぞ!!』なんてのも言われそうですね。

確かにそうだと思います。
でも、だったら、なんでそれを「天才」なんて言うんでしょう?

「努力家」でイイんじゃないですか?


要するに、「天才」や「才能」という言葉があまりにも大きくなってしまっているために、「努力」が相対的に小さくなってしまうということだと思います。
だから、「努力も大事」と言うことを知ってはいても、どこかでは「努力」を軽視していて、それどころか、どこかでは「努力」をバカにしていたりするわけです。

つまり、「努力」は常に「天才&才能」よりも下に位置づけられていて、「天才&才能」と比較されたときには、必ず『ポイッ!』と切り捨てられてしまうわけです。


しかも、「努力」は「天才&才能」とは対極にあるモノということに成っていますから、それらと比較した場合には、結果的に必ず「天才&才能」が選択されるだけでなく、「努力」は「天才&才能」に逆行するモノと言う扱いになってしまうために、むしろ、嫌われたり、バカにされたりするようになってしまうわけです。

 ※これは人に『あなたは努力家ですよね』と言ってみればよくわかります。
  現在、少なくとも日本においては、まず、ほとんどの人が嫌がります。
  まぁ、三回くらい言うと90%くらいの人に嫌がられます。
  つまり、『あなたは努力家ですよね』というのが『あんた才能無いよネ!』
  というのと同じような意味なってしまっているということだと思います。

でも、実際は、それと逆の方がよかったんじゃないか?と思うわけです。
つまり、「努力」の方が「天才&才能」よりも上に位置づけられているくらいでもイイように思うわけです。


これは前に他の記事でも書いたんですけど、「努力」が評価される世の中では、みんなが「努力」するようになりますが、「才能」が評価されても、みんなが「才能」を発揮するわけではありません。

実際に「才能」を発揮するようになるのは「努力」した人です。
でも、その「努力」が評価されません。

だから、そのギミック(ワナ)に、ハマって「努力」しなくなってしまう人が増えてしまうわけです。


しかも、実際には「努力によって発揮されている才能」を、「才能によって発揮されている才能」であるかのように見せないと評価されませんから(こういうことから『天才は”影で”努力している』と言われているんだと思います)、そこでもまた、「純粋に努力する人」が少なく成ってしまうわけです。

まぁ、一言で言って、「努力を嫌う社会」ですね。
いいわけがありません。


少なくとも、いま、「努力しないでお金を稼ぐこと」や「努力しないで成功すること」が「イイこと」みたいに成ってますよね。
『そういう「才能」がある人は「努力」なんかしなくてもうまくいくんだ』みたいな。

そして、そういうことを社会が推奨している傾向すらあるわけです。


そういう発想が「クズ」です。
(これ、チガウと言う人も居るんでしょうか?)


まぁ、そういったことから、「芸術」が真っ先に切り捨てたモノならば、「芸術」が真っ先にそれを取り戻そうじゃないかということです。


「芸術の20世紀」が切り捨ててしまった「努力」を、「21世紀の芸術」で取り戻そうじゃないかと思うわけですね。
(私は20世紀をもう一度やり直すという考え方でやっていますけど)


そんなことを考えていくと、どうも「天才&才能」という言葉が、やけに安っぽい感じがしてくるわけです。

軽いと言うんですか?
もっと言えば、『バカラシイ』とすら思えて来るように成るんですねぇ。


要するに「流行りモノ」という風にしか思えなくなってくるんです。
(流行りモノだからバカラシイというよりも、盲目的に乗せられているというのが・・・)


もう、私の中では、「天才&才能」は、ほとんど意味のないモノと言っていいですね。

だから、いまだに「天才&才能」をありがたいモノと言うように扱っている人を見ると、『いや、もう「努力」でしょう』と言いたくなってしまうわけなのです。


少なくとも、「努力しない天才」ほど情けないモノは無いので、どっちにしろ「努力」した方がよくないですか?


まぁ、そういう風に思ったわけなのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

追記:こう言うことを言うと『自分に才能が無いから言っているんだろ』と言う人が
   居ますが、私の場合、「才能」は「みんなに同じ量だけ違う形で与えられてい
   るモノ」だと思っています。だから、『自分に才能が無い』とか、『すごい才能
   がある人が居る』なんてことは、『アリエナイ!』ことだと思っています。

   でも、もし仮に、私が自分に「才能」が無いから言っているんだとしても、自分
   に才能が無いからと言う理由で「他人の才能」を崇め奉ってヘコヘコしている
   人の方がさらにミットモナイと思いますよ。
   「才能」とは無関係に、すべての人に対して同じように「評価」するのなら素晴
   らしいことだと思いますけど、「才能がある(と言われている)人」を特別扱いし
   て褒めそやすのは「へつらい」ですね。
   そういうのを最近では、「忖度」と言うように成ったみたいですけどねぇ。
   「いま言われている才能」って、実は「権威」が姿を変えたものですから。


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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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