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「戻ること」は人間に与えられた特権



このブログは「芸術の20世紀喪失」ということをメインテーマにしているんですが、それは時代を「戻ること」であり、また、「やり直すこと」でもあるわけです。


まぁ、それはともかくとしてです。

「戻ること」と言うと、「後戻り」とか「後退」というマイナスのイメージが強くなってしまうと思いますけど、実を言うと、この「戻ること」と言うのは、地球上の生き物の中で「人間だけに与えられた特権」であり、また「人間の切り札」でもあると思うわけです。


今のところ「歴史」という情報を持っているのは、地球上では「人間」だけですから、「戻る場所」や「戻る状況」を設定できるのは「人間」だけなんじゃないかと思います。

ただ、「人間」も「過去の情報」は持っていますが「未来の情報」については推測する事しかできませんから、「進む場所」や「進む状況」は正確に設定することが出来ないわけです。
それが出来れば一番いいのかも知れませんけどね。


「人間」も「人間以外の生き物」も、皆「DNA」という情報伝達手段によって情報を受け継ぐことで「進化と言う仕事」を継続的に行っているわけですが、その「進化」に「戻ること」が含まれていないみたいなんですよねぇ。
(まぁ、「”進”化」ですから。ちなみに「退化」は「進化」の一種だと思います)


だから、「人間」も「人間以外の生き物」も新しい方向が提示されると、必ずそっちに向かって行くわけです。
でも、その「新しい方向」と言うのは、ただ単に、たいした根拠もなく出てきたものに過ぎないわけです。

なにせ、「進む場所」も「進む状況」も設定できませんから、もともと根拠となるほどの材料が無いわけですね。

まぁ、要するに「予測」と言うよりも「テキトー」ということだと思います。


それなのに、です。

今のところ、「個人」が「戻ること」を選択することはあっても、「人間全体」が「戻ること」を選択することはほとんどないと思います。


これこそが、「進化」を基本とする行動パターンから発生していることなんだと思うわけです。


「DNA」に刻まれている情報は「過去の情報」だけなのに、それをもとに「テキトー」に予測された「進む場所」や「進む状況」に向かって行くように、すべての「生き物」の行動がパターン化されてしまっているんだと思います。


でも、もともと「進化」は、「生き物」の「体」や「性質」を環境に順応させるために発達したシステムですから、「知的な行動」にまで、それをそのまま適用する必然性はないわけで、「人間」は、その辺の所をナントナク解明して、その辺の所まではチョットだけ理解しているわけですから、臨機応変に使っていくことも出来ると思うわけです。


そして、「人間」が「歴史」という情報を使って、「戻ること」を今よりも積極的に選択するように成れば、きっと、少しイイんじゃないかと思うわけです。
(『誰にとって?』ということじゃなくて、『全体として少しイイんじゃないか?』と)


まぁ、要するに『歴史に学ぶ』ということなんですけど、これ、口では言われますけど、実行されていることがほとんど無いんですよね。

『歴史は繰り返す』はすごくよくあるんですが、「人間」が歴史に学んで何かを行うことなんて、ほとんどないと言っていいでしょうでしょうね。

まず、学びませんね。

だって、「戻ること」を選択しませんから。

それに、進めば「テキトー」だし。


要するに、「歴史に学ぶ」っていうのは「戻ること」に他ならないと思うわけですねぇ。

戻らないで、上手いこと進みながら歴史に学ぼうとしても、けっきょく「テキトー」に成っちゃうんだと思いますよ。
だって、先のことはわからないわけですから。

出来るのは「戻ること」だけなんじゃないでしょうか?いったん戻ってやり直すことで初めて「歴史に学ぶ」ことが出来るんだと思います。


でも、なかなか戻らないんですねぇ。


個人的になら、「戻ること」を選択する人はいますし、そういう習慣を身に着けている人も居るのかも知れません。
(私は一人も知りませんけどね。それぐらい少ないということだと思います)


でも、いくら個人的に「戻ること」を選択する人が居ても、「人間全体」でそれを選択しなければ、「人間の特権」としては機能しませんから、当然「人間の切り札」にもならないわけです。


どうして「戻ること」が「人間の切り札」に成るのかと言えば、それが人間にしかできないことで、しかも、それによって「進化の加速」を止めることが出来るからです。
(まぁ、私が勝手にそう思ってるだけですけど)


「進化」って、「加速」していると思うんですよね。

そして、その「進化の加速」が、地球の中でその生命体に与えられた割り当てを上回ってしまって、自分の進化についていけなくなったときに、その生命体は「種」として滅びるんだと思うわけです。
(「種」としては「絶滅」でも、「生命全体」としては、それも「進化」なんでしょうが)


「進化」が加速すればするほど、その生命体は地球上で繁栄するわけですが、そのことによって、最後には「絶滅」することに成るわけです。


ところが、「進化」は「進むこと」しかできませんから、「戻ること」は出来ません。

それで、「絶滅」してしまうわけです。


だから、「進化」に身を任せておくと、必ず「絶滅」するわけです。


いま、生命全体としては、「絶滅を切り抜ける種」を待っているんだと思います。

その為の「切り札」が「戻ること」だと思うわけなんですねぇ。


もちろん、そこを切り抜けたところで、また違うトラップにかかってしまうに違いないわけですから、同じようなもんなんでしょうが、それでも、「すべての生き物」は「今出来ること」をやるようにできているので、そうするしかないということだと思います。


と言っても、やらされているということでも無くて、「人間の意思」でやっていることでもあるわけですから、そういうことを『自然法則にコントロールされている』と考える必要なんて全くないと思いますね。

「人間の意思」だって、「自然法則」の一つですから同等なわけで、そういうことに序列をつけても、あまり意味ないんじゃないでしょうか?


という所で、話が大きく成ってしまったので次の記事につなげます。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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