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「心の病」と「心のケガ」



「心の病」というのはよく聞きますけど、「心のケガ」はあまり聞いたことがないですね。

たとえば、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」という言葉がありますが、「外傷」というくらいですから、やっぱり「ケガ」の一種なんじゃないかと思うわけです。

それで、何が言いたいかと言うと、、現在「心の病」と言われているものの中のかなりの部分が、どちらかと言うと「心のケガ」に近いんじゃないかと思うわけです。

つまり、今は、一昔前までとは社会的状況がかなり違ってきたために、「内因性の精神疾患」よりも「外因性の精神疾患」の方が、現代の社会においては圧倒的に多くなっているような気がするわけです。

 ※自分の周りにも「心の病」に成った人はけっこう居ますが、その
  人たちの話を聞く限りでは、その人たちのほとんどが「心のケガ」
  なんじゃないかと思いますね。

200~300年くらい前まで、人間は、今よりもはるかに自然と一体の生活をしていたでしょうし、常に自然と対峙して生きていたと言ってもいいと思います。
そういう時代には、今よりも「心の病」が少なかったんだろうと思いますが、その少なかった分と言うのは、ほとんど「心のケガ」に当たるモノじゃないかと思うわけです。

昔も今も、先天的な気質などのような純粋に内因性の「心の病」はあると思いますが、そういうものに関しては、時代や社会状況によってそんなに増えたり減ったりしないような気がするわけです。
また、自然災害などによる「PTSD」のような、純粋に外因性の「心のケガ」の方もそう極端な変動は無いように思うわけです。

もし、現代に至って急激に増えた「心の病」があるとすれば、おそらく、それは人間同士の心の摩擦が生み出しているストレスによって生み出される「精神疾患」ではないかと思うわけです。
これは、心と心の摩擦によって起きてくるものなので、「外傷」という印象が薄いんですが、やはり、その人自身の中にある原因ではなく、外からの圧力によるところが大きいわけですから、「外傷=ケガ」なんだと思います。

たとえば、「虐待」や「イジメ」それに「~ハラスメント」のようなものは現在の社会では、ありとあらゆる年齢層、ありとあらゆる階層、ありとあらゆる状況で起きていると言っても過言ではないと思います。
というよりも、それらのすべてといっさい無縁な生活をしている人と言うのがいったいどれほどいるのか?と考えると、「心の病」が急激に増えたのも当然だと思いますね。

そして、それらのすべてが、それを「受けた側の人」にとっては「心のケガ」なんだと思うわけです。

こういった状況を考えると、今後、精神科医療の分野に、「精神内科」と「精神外科」が必要に成るんじゃないかと思うほどですが、
(現在、「心療内科」というのはあるようですが、「心療内科」の患者はほとんど「心のケガ」を負った人のような気がしますけど、『だったら「外科」なんじゃないの?』という感じ)
こういうケースでは、「受けた側の人」だけが被害者ということに成りがちなんですが、実は加害者側の人もほとんどの場合は、何らかのストレスを受けていて、そこから逃れようとする一心で、「加害者」になってしまっているわけです。
(そちらを擁護するという意味ではありません)

要するに、ここ数十年くらいの間に、急激に「精神疾患」が増えたのは、そういう「二次的な精神疾患」が増えているからなんじゃないかと思うわけです。


つまり、十人の「心の外傷」を受けた人が居た場合、そのうちの何名かは、そこで「心の病」を発症しますが、残りの人たちは何とか持ちこたえるわけです。
ところが、そのうちの何名かは、しばらくしてからもその時の「心の外傷」を「古傷」として持っていて、その後そこから出た膿を誰かほかの人に向かって吐き出すように成るわけです。
しかも、そういう「二次的な段階」に成った時には、しばらく我慢していた分だけストレスが大きく膨らんでいることも多いので、非常にヒドイ吐き出し方になってしまうことも多く成るわけです。

そして、さらにそういう「二次的な精神疾患」が、親から子へ、人から人へと受け継がれて循環するようなサイクルが出来上がってしまったんだと思います。
そういったことが、この数十年~百年余りで起きたために「精神疾患」が急激に増えたんだと思うわけですねぇ。


まぁ、こういうことが「虐待」や「イジメ」・「~ハラスメント」などの実体ではないかと思いますが、これらのものに現在の精神科医療がほとんど無力といっていいほど対応できていないのは、これらを「心のケガ」として捉えるということが徹底していないからなんじゃないかと思うわけです。
しかも、それらはほとんどの場合「二次的な外傷」であって、本当の原因である「一次的な外傷」はどこで起きたのかが特定できないケースが非常に多いということもその原因だと思います。


そして、その「一次的な外傷」を持った人たちは、その「古傷」を持ったまま、そこから出る膿を人に吐き出し続けることで実際上の「発症(自分自身が「心の病」に成ること)」をしませんから、延々とそれを吐き出し続けることに成るわけです。
つまり、人に向かって膿を吐き出し続けることで、自分自身は「発症」を免れることに成るわけです。
だから、その人たちは「精神科」の門をたたくことはありません。
こうなると精神科医療が、これらの問題に対して全く無力であるのも当然ですね。
(本当に治療する必要があるのは、そっちだと思うんですけどね)

これは、現代社会が抱えている根本的な問題だと思いますから、それを医療とか芸術とか、まして政治とかと言った一つの分野だけで改善するのは不可能だと思いますけど、、社会全体がそちらの方向を向いて行くように成れば少しづつ改善していくんだと思います。

その方向の一つが「心のケガ」という捉え方なんじゃないかと思うわけですねぇ。


現在の精神科治療では、おそらく「心の病」と「心のケガ」に対する対処方法をハッキリとは分けていないと思います。

つまり、「心のケガ」に対しても「心の病」とほとんど同じ治療方法がとられているように思うわけです。
主に薬物療法とカウンセリングだと思いますが、どっちにしても、「外傷」であれば内因性の病に対する療法は効果が薄いのは当然です。
交通事故でケガをした人に「骨を丈夫にする薬」を処方したり、「とっさの時に避けられるように動体視力を鍛えるトレーニング」を受けさせたりすることに、万が一効果があったとしても、それが完全に的外れであることに違いは無いわけですから。


「PTSD」という言葉が一般化したことで、かえって、それが非常に特殊な状況でのみ起きる特別な「精神疾患」であるというイメージが出来上がってしまっていますが、「虐待」や「イジメ」などが、「大規模災害」などとほとんど変わらないような症状を引き起こすことだってあると思いますし、サラリーマンにとっては「冷酷なリストラ」に会うことは、自己のアイデンティティを失う危険性があることなんだと思います。

つまり、「体のケガ」が日常生活の中にいくらでもあるのと同じで、現代社会においては「心のケガ」も日常的な場面のありとあらゆるシーンに『危険がイッパイ』なわけです。
そして、「体のケガ」でも「心のケガ」でも、ごくありふれたところで起きる「ケガ」が「軽いケガ」であるとは限りません。


現在のストレス社会にどう対処すればいいのかは、皆目見当がつかないくらいですが、少なくとも、一つ一つのことを把握していけば、少しは物事が見えやすく成るように思うわけです。


ということで、現在の「心の病」は、ほとんどが、「本人の外」に原因があって、「本人」を治療することの意味は薄いのかなと。
本当に治療する必要があるのは「原因」の方なわけですから。

要するに、「心のケガ」に対して医療が出来ることはほとんど無くて、せいぜい『あなたは病気ではなくてケガをしたんです』と言ってあげることぐらいなんじゃないかと思いますね。

本来なら、「心のケガ」は放っておいても治ってしまうことが多いと思いますが、現在の社会では治る前にまたケガをしてしまうことがあまりにも多いので、慢性的になってしまうわけです。
常に「やる側」と「やられる側」に分かれてしまっていて、やられる人はいつもやられますから、治る間がないということですね。
そして、いつの間にか「自分の内」にも病原を抱えることに成ってしまうわけです。

でも、こういうことを理解しているだけでも、少しは心の支えに成るかも知れません。

まぁ、救いようがないですよね。
でも、これが実体ですから、仕方ないですね。

残念ながら、そういう風に思いますよ・・・・・



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