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「年寄りが尊敬されない社会」



現在の社会って「年寄りを尊敬しない社会」ですよね。
でも、これ、「すべての人にとっての命取り」だと思うんですねぇ。

だって、「すべての人」が年を取るわけですから、最終的にすべての人が自分を尊敬できなく成っていくということですよね。
残された道は「年を取る前に早く死ぬこと」ですか?そんな社会ってどうなんでしょうねぇ。
やっぱり、そういうのって「命取り」なんじゃないでしょうか?

皆さん、自分だけは「尊敬される年寄り」に成るから大丈夫だと思っているんですかねぇ。

 ※尊敬されていないのは「年寄り」や「歳をとること」ですから、自分だけが
  「尊敬される年寄り」に成ってもあまり意味が無いんですけどねぇ。
  たとえばの話、「黒人が差別されている国」で、「自分だけが尊敬される黒
  人であること」にどれほどの意味があるでしょうか?
  その国で「尊敬される黒人」とは、「差別に服従して、うまく白人に取り入った
  黒人」ですから、あんまり良く成ってないですよね(いや悪くなってるよ!)。

それとも、自分が年を取ること自体、ゼンゼン考えていないんでしょうか?

いずれにしても、その時点で自分がまだまだ若いと思っている人が「年寄りを尊敬しない」と思っているんでしょうが、それ、一体あと何年持つんでしょう?
けっこう『あっ!』という間だと思いますよ。

その後は、自分が自分のことを「尊敬できない」ということに成るわけです。
当然、人からも「尊敬」されません。
つまり、誰からも「尊敬」されなくなって、死んでいくことに成ってしまうわけです。

若い時には「年寄りを尊敬しない」と思っていた人が、いざ、自分が年を取って来てから『やっぱり尊敬する』と言いだしても、かえって、人からの「尊敬」を遠ざけてしまいますから、そういう自分を自分自身でも「尊敬し続ける」のは難しいんじゃないでしょうか?

まぁ、どうやっても、この「年寄りを尊敬しない社会」と言う「トラップ」からは抜け出せないと思います。

余程強い気持ちで、この「年寄りを尊敬しない社会」が「社会的なトラップ」であって、誰にとっても「不幸なこと」でしかないんだということを意識し続けていないと、逃れられないと思うわけです。
いや、むしろ、そういう強い意識を持っている人でも、「社会的な意識」が変わらない限りは、その「トラップ」からは抜け出せないと言った方がいいのかも知れません。

とにかくそれぐらい「命取り」なんじゃないかと思いますねぇ。

これは、『一人一人の年寄りを尊敬しましょう』と言うのとは違います。

「尊敬」されるべきは「年寄り」であり「歳をとること」です。
すべての「年寄り」の中に「尊敬できるような人」も「尊敬できないような人」もいるのはあたりまえです。

それを、無理して「すべての年寄り」を尊敬しようとすることには何の意味もないでしょう。
でも、それは「年寄り」だろうが「若者」だろうが「ナニモノ」だろうがどれも一緒です。
全部ヒックルメテ「尊敬できる人」も居れば「尊敬できない人」も居る、当たり前です。
どういう「ククリ」をしても同じだと思います。

そういうことではなくて、「歳をとること」が「尊敬するようなこと」なのか?それとも「尊敬に値しないようなこと」なのか?それとも「単なる劣化」に過ぎないのか?ということなんです。

どうも、今の社会の中では「歳をとること」が「劣化」とみなされているわけです。
とくに日本の医療(日本だけでもない?)は「不健康な期間を長く伸ばす」という方向で「世界的長寿」を実現してしまっていますから、どうしても「歳をとること」自体が「劣化」することと同じことのように見えてしまうわけですが、実を言うと、それは「医療の問題」であって、「歳をとることの問題」とは言えないわけです。

ところが「社会」は「社会にとっての利益」を追求するように出来ていますから、「社会的進歩」や「社会的効率」を最優先するわけです。
そこで「人間の進歩」や「人間の幸福」が捨てられてしまうわけです。
だから、「年寄り」が「人間に貢献する者」であったとしても、「社会に貢献しない者」と判断されてしまえば、「社会」からは切り捨てられてしまうわけです。

「人間」は「社会的な生き物」として進化してきましたから、「人間の利益」が犠牲になっていても、その「社会の判断」に大多数の人が従わされてしまうわけなのです。

その結果として、「年寄りを尊敬しない社会」と言う「トラップ」が生み出されてしまっているわけですね。

そして、さらに、その「尊敬されなくなった年寄りたち」が「自分たちを阻害する社会」に対して「報復」するようになってきています。
そういうことの現れが「老人の認知症」であり、「老人の傍若無人化」であると思います。

 ※私は「認知症」は「脳萎縮」によって起きる病気と言うよりも、こういう「社会現象」
  によって起きている「一種の精神疾患」であり「社会病」だと思います。
  だから、「社会的状況の変化」に呼応するかのように「認知症」の症例が急激に増
  えているんだと思いますよ。
  「脳萎縮」は、むしろ、そうした「精神状態」が形成されたことによって、「尊敬されな
  い自分」という存在を認められずに、その部分の思考を完全に停止させた人の「脳」
  が委縮するように成るんだと思うわけです。
  これは、老人がある時から、歩いたり自分で食事をとったりしなくなったときに、急激
  に自活できなく成ることと似た現象だと思います。
  『尊敬されないことが原因なんだから、尊敬されるようにすればいいだろ』と思うか
  もしれませんが、それは、昔の「スラム街」のような劣悪な環境で育った人に対して
  『社会で認められるように努力して立派な人物に成ればいいんだ』というのと同じで、
  ハッキリ言って、無理です。
  そういう立派な人と言うのは「100人に1人」くらいしか居ませんから(いや「1000人
  に1人」かも)、実質的には居ないのと同じですね。

また、ここで「老人の傍若無人化」と言っているのは、極端に自己中心的で、独善的な老人のことですが、そういった老人が増えている(そう思うのは私だけでしょうか?)のも、「認知症」と同じような精神構造によるものだと思いますね。
つまり、この両者に共通するのは「自分を阻害する社会に対する報復」です。

この「老人の社会に対する報復」は「人間社会」全体を揺るがすほどの問題になっていくと思いますよ。

ということで、長くなりそうなので、そのことは次の記事に続けて書きます。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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