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「仮想現実」と「現実の中の幻想」



「仮想現実(バーチャル・リアリティ)」という言葉は、いつの間にか当たり前になってしまいましたが(最近では当たり前すぎてあまり使われなくなったような気さえする)、この言葉が使われるように成った頃は、けっこう最先端なイメージがあって、CG合成された映像やそういう映像で創り出された世界という印象があったわけです。

でも、今になって考え直してみると、必ずしもそういう「デジタルな感じ」に限ったものでもないような気がしてきたわけです。
そして、そう考えると、実は「絵」って「元祖・バーチャル・リアリティ」なんじゃないのかなと思えてくるわけです。

 ※ここで言う「絵」とは手描きで描かれた「絵」という意味です。
  デジタル画やCGなどは外して考えます。
  それから、漫画やイラストなどのように必ずしも「一枚の絵」として独立している
  とは言えない絵は、ここでは含まないものとします。

「絵」はもともと「平面」の中に「現実には存在しない世界」を創り出すものですから、「仮想現実」と言って問題ないと思います。

「バーチャル・リアリティ」という言葉は、「写真」や「実写映像」に対する言葉として出てきたんでしょうから、それで「コンピューター・グラフィックス(C.G.」などのデジタル画像のイメージが強く成っているんだと思いますけど、実は、そういう「画像を合成する作業」を手でやっているのが「絵」であって、手法が違うだけなんだと思うわけです(動かないけど)。
しかも、「絵」はいつからあるのかわからないくらい昔からあるわけですから、「元祖」であることにも間違いはないと思うわけですね。

それはさておき、今はゲームなどに使われる「C.G.・アニメーションによる仮想現実」が、まさに全盛期と言えるほどの繁栄ぶりですが、そろそろ、その繁栄ぶりも終わりに近づいているんじゃないかという気がするわけです。

なぜかと言えば、『世界を一周しつつあるから』ということなんですねぇ。
つまり、日本から発信された(と言っていいのかな?)「アニメ&オタク文化」が、世界中に広がって、そろそろ世界を一周しつつあるんじゃないかと思うわけです。

まだ「オタク文化」が終わらないのは、そこに逃げ込んでいる人がたくさんいるからだと思うんですね。
まぁ、「現実逃避」ということです。

「アニメ&オタク文化」に「現実逃避的な側面」があるのは間違いないことだと思います。
だから、適度に「現実」過ぎない「仮想現実」の世界に逃げ込むんだと思いますよ。
これは、「アニメ&オタク」に限らず「芸術」や「創作」全般に言えることかもしれませんけどね。

いずれにしても、「現実逃避」自体が、そんなに悪いことだとは思いません。
どちらかと言えば、逃避したくなるような「現実」の方に問題があるような気もしますから。
それに、「リクリエーション」と言われるものには、ほぼ全て「現実逃避」的な側面があると思いますから、それを否定してもあまり意味がないと言う気がします。
要するに、「現実逃避」と「気分転換」の厳密なチガイなんてないということですね。

ただ、そこで問題なのは「戻ってこれなくなること」です。
まぁ、これが「現実逃避」の問題点でもあるんでしょうね。
つまり、「仮想現実」の世界に行ったまま「本当の現実」の世界に戻ってこれなくなってしまう人が増えていると思うわけです。

逆に言えば、簡単に戻ったり行ったりできるなら、大きな問題はないような気もするわけですが、やはり、完全に「オタク化」してしまった人はなかなか戻って来にくくなると思いますね。
生活に支障が出て来るって言うんですか?まぁ、そんなことです。

要するに、「現実」の方がその人にとっての「異世界」になってしまって、「仮想現実」の方が「実世界」のような錯覚が生まれてしまうんだと思います。
そして、その状態を続けていくと「現実」が「うっとうしいモノ」にしか思えなくなってしまうんだと思うわけです。

まぁ、やっぱり「現実」ですから、嫌なこともありますし大変だったりもするわけで、そういう「メンドウ」が一切ない「バーチャルな世界」と比べると、「うっとうしい」には違いないわけです。

最近では、『日本の「アニメ&オタク文化」は世界にも誇れるような独自の文化である』という風潮があると思いますが、その点について誰かが責任を取ってくれることは無いわけですから、戻ってこれなくなってしまう前に考えておいても損はないと思いますね。
要するに、いわゆる「アニメ&オタク文化」に代表されるような「バーチャルなモノ」というのは、戻ってこれなく成ってしまう確率が高いんじゃないかということなんですね。

そこで、はじめの話に戻るんですが、つまり「絵」ですね。
もしも、「絵」が「元祖・仮想現実」であるならば、「バーチャル・リアリティ」の代わりに成るんじゃないかと思うわけなんですね。

もちろん、すでに「オタク化」してしまった人たちは、「絵」なんかじゃ納得しないんでしょうが、まだ完全に「オタク化」していない人、すなわち「戻って来られる人」や、次の世代の人であれば「絵」でも代替可能だと思います。

「絵(タブロー)」は「仮想現実」でもありますが、「モノ」でもありますから、完全な「非現実」ではありえない所があると思います。
だから、完全に戻ってこれなくなってしまうということは無いんじゃないかと思うわけです。
(それで「オタク」の人にはピンとこないんでしょうね?)

要するに、「絵」には「肉体」があるんですね。

いま言われているところの「バーチャル・リアリティ」には、「肉体的な要素」を限りなく削り取ってしまう傾向があるわけです。
だからこそ、「オタク」にとってハマりやすいんだと思います。
そして、その「肉体的な要素」こそが「現実感」でもあるわけです。

つまり、「絵」は「モノ」でもあることで、完全な「仮想」ではあり得ないのに対して、「情報」であって「モノ」ではない「デジタルなバーチャル」はどんどん「現実味」をそぎ取っていくことが出来てしまうわけです。
その結果が「戻ってこれなくなること」なんだと思うわけですねぇ。

そういうことからも、「絵」というメディア(普通の絵ですね)を復活させていった方がいいんじゃないかと思っているわけですが、この場合の「絵」にはある程度の条件があります。

まず、「平面であること」ですね。
それから、「タブロー」であること、言い換えれば、「一枚の絵」として成り立っていることです。
もう一つは、やや不明瞭な言い方に成りますけど、「苦労して描かれた絵であること」です。

これらの条件と言うのをまとめると、「普通の絵であること」です。
まぁ、言ってみれば「昔からあるスタイルの絵」ということなんですね。

どうして「昔流の普通の絵」じゃないとダメかというと、「昔流の普通の絵」こそが、「仮想現実的な要素を持っていて、尚且つ肉体を持っている絵」だからです。
現在の芸術において、「普通の絵」として処理(排除)されるような絵というのは、必ずと言っていいほど「肉体を持った絵」なんですねぇ。
別の言い方をすれば、「肉体を持った絵」は「現代美術」とは扱われない確率が高くなるということです。
逆に言うと「肉体を失うこと」でいわゆる「現代美術」っぽく成るということがあるわけです。

つまり、「物質感」を消して、スマートにサラッと分かりやすく説明された絵は、平面であっても「現代美術」っぽくなる傾向があるということです。
これは、概ね「イラスト」や「マンガ」の性質と同じようなところがあるわけです。
だから、こういったモノでは、ここで言うところの「バーチャル」の代替にはなりません。
ほぼ同じジャンルですからね。

そういう「デジタルなバーチャル」に近いスタイルを、「芸術」において代表しているのが「ポップ・アート」と言えると思います。
「ポップ・アート」自体は半世紀も前のスタイルですが、現在形の美術は、すべてこの「ポップ・アート」やその前から続いている「コンセプチュアル・アート」の焼き直しであると言ってもいいくらいだと思います。

そして、これら二つの「アート」の特徴こそが、「デジタルなバーチャル」の特徴ともほぼ重なっているわけです。
まぁ、だからこそ「バーチャル」がいま全盛期を迎えているわけですけどね。

ということは、それらにも「戻ってこられなくなる性質」があるということです。
だから、やっぱり「バーチャル」の代わりにはなりません。
だから、「昔流の普通の絵」じゃないとダメだろうと言うことなんですねぇ。

「現代人のオタク化」と「バーチャル・リアリティの繁栄」と「芸術のポップ化」は、「肉体性=現実感の欠如」という点において共通性があると思います。
これらが同時進行的に起きてきたのは、偶然ではなく、過激化する「競争社会」が生み出し続けている「工業化」や「効率化」などのような「人間性」を無視した現状が「人間」を阻害しているために、「人間」がそこから「逃避」せざるを得ない状況に直面していて、しかも、その「現実逃避せざるを得ないような人」の比率が日増しに増えているということと深く関係していることだと思うわけです。

つまり、「社会による人間疎外」という「原因」があっての「結果」として現れてきているのが、「現代人のオタク化」であり「バーチャル・リアリティの繁栄」であり「芸術のポップ化」なのだと思うわけです。

しかし、「芸術」と言うモノを「社会現象」の「結果」としてあるモノではなく、「原因」となるようなものとして考えた場合は、これでは本末転倒だと思うわけです。
やはり、「芸術」が「原因」となるには、このような現状を崩して、「人間」が「阻害されるモノ」ではなく「尊重されるモノ」に成るような方向性を示す必要があるんだと思います。

そんなことから、「芸術」は人間的であり肉体的である必要性が出てきているんじゃないのかなと。

そして、さらにそういう「芸術」が創り出した「肉体性を兼ね備えた幻想」を「現実的な日常」の中に取り込んでいけるように成れば、少しいいんじゃないのかなと。


そんな風に思うわけなのです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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