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「老人の傍若無人化」は「社会」が生み出している現象



前の記事の続きです。


前の記事に書いたのは、『「年寄り」は尊敬しましょう』ということなんですが、そんなノンキなことでも無いんじゃないか?というお話です。


「年寄りを尊敬しない社会」を作ってしまうと、すべての人が自分のことを尊敬できなく成って死んでいかなくてはならなくなります。そういう社会は誰にとってもソンだと思うんですよね。
でも、そこまでだったら、なんとなく「気の持ちよう」で何とか成りそうな感じもあるわけです。

『人にどう思われようが気にしないで、自分を尊敬すればいい』とかね。
そんな考え方をすることで乗り切れそうな気もしなくはないわけですよね。
(実際は、そううまくはいかないと思いますけど)

自分のことだけだったら、もしかしたら、それで乗り切って行けるのかも知れませんが、「社会全体」が「年寄り」を尊敬しなくなってしまうと、「自分だけ」ということでは済まなくなるんじゃないでしょうか?

つまり、これは「社会的な現象」であって、「個人の問題」ではないと思うわけです。

現在の世の中は、「個人」よりも「社会」を優先した形態をとっています。
そして、「社会」」は「個人」に対して「社会に適応すること」を要求する性質がありますから、全てにおいて「人間にとって」ではなく「社会にとって」を優先します。

その結果「社会にとって」の「効率」や「進歩」が全面的に優先されるようになって、「人間にとって」の「幸福」や「安定」が無視されるような世の中が出来ていってしまうわけです。

その過程で、「社会」によって「年寄り」が「尊敬されないもの」にされてしまうわけですね。
そしてさらに、その「尊敬されなくなった年寄り」が「自分を切り捨てた社会」に対して報復的な行動をとるようになってきているわけです。

最近になって、「年寄り」が「傍若無人」に成っていると感じることってないですか?

日々の生活の中で、「どー見ても理屈が通らないようなこと」を言って”キレ”ている「高齢者」を見ることが、このところやけに多くなった気がするわけです。

詳しい事情まではわからないことが多いので、その「傍若無人」の程度はわかりませんが、少なくとも「昔の年寄り」のイメージには「温厚さ」とか「年の功」と言った、『多少のことは気にしないで丸く収める』というような「ユルさ」があったのに比べて、「キレやすく」成っているのは確かだと思うわけです。

そして、その「キレやすさ」が、どちらかと言うと「日ごろからたまっている不満」からきているんじゃないかと言う気がするわけです。つまり、その「日ごろの不満」こそが、「年寄りが尊敬されないこと」に因るんじゃないかと思うわけですね。

たとえば、「高齢者ドライバーの事故」が報じられることが日に日に増えているようですが、あれなんかも、そういう「日ごろの不満」があるために、『常に苛立っている年寄りが多いから』という部分もあるんじゃないのかなと思います。
また、「高齢化社会」に成って、「高齢者」の免許を返上させようと言う傾向がありますが、その流れ自体が「年寄りが尊敬されないこと」とイメージ的にリンクしてしまいますから、「意地になって返上しない年寄り」が多くなってしまうんじゃないかと言う気もします。

要するに、「社会」の中で「高齢者」という「層」が「スラム化」しているような気がするわけです。


かつては、どんな文明国にも「スラム」と言われる場所が必ずあって、そこでは劣悪な環境も貧困も退廃も差別も、それらすべてが、日常であったわけです。
そして、そういう環境の中で生まれ育った人たちが、そこから抜け出せずに、またそういう「劣悪なモノ」に成っていくということも、逃れようのない日常であったわけです。

もともと、「スラム」が発生するのは、そこに「差別」や「格差」があるからです。
つまり、「人間としての最低限の権利」が与えられないと、「人間」は必ずや「無気力」に成り、「粗暴」に成り、「堕落」するものなんだと思います。
もちろん、すべての人が「堕落」するわけではありませんが、全体としては必ずそうなると思います。

現在の「年寄り」にも、その「人間としての最低限」が与えられていないと思うわけです。
だから、みんなが「傍若無人」に成るわけじゃありませんが、全体としては必ず「傍若無人化」していくわけです。

「人権」や「教育機会」などが、すべての人に与えられるべきものであるのと同じように、「年寄り」にも「尊敬」が与えられるべきだと思いますね。
それじゃないと、みんながソンしますから。
全ての人が年を取りますから、誰もトクしませんよね。

現在、「スラム」と言われるような場所は、昔に比べれば、かなり少なく成って来ていると思います。
最低限の「人権」や「教育」が行きわたったからに違いありません。

そういう場所にあった「差別」や「格差」の代わりに出てきたのが「イジメ」や「ハラスメント」のようなものだと思います。
「年寄りが尊敬されないこと」も、そういうものの中の一つなんだと思います(「老ハラ」?)。

だから、もう「老化」を「劣化」として扱うのはやめて、「年をとること」と言うのは「ナカナカ素晴らしいこと」なんだという常識感を持つようになっていく必要があると思いますよ。

そういう中で、「美しい老化」と言う「人生の過程」が創り出せればいいんじゃないのかなと。
そこでは、当然「年寄り」の側もそれなりの力を使って「美しい年寄り」に成る必要があるわけです。

それ以前に、医療が『不健康な期間を延ばす』という不毛の努力をやめて、「健康的な高齢化」という方向へ向かってほしいもんだなと。

まぁ、そんな風に思いますね。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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