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「旧・現代美術」・「現・現代美術」・「次・現代美術」



「現代美術」と言われているジャンルが現れてきてから、もう100年くらいたっているわけですが、この「現代美術」という言葉をいつまで使い続けていくのか?という問題があるわけですねぇ。

つまり、現在の「せわしないタイム感」と『100年間ずっと現代』ということの間に、かなりのギャップを感じてしまうわけです。
要するに、美術史的な意味において、過去を振り返って時代を区分する時の「〇〇時代」と言うのと、「現在進行形の芸術」という意味での「現代」と言うのは意味が違うと思うんですよね。

 ※もともと「時代区分」として「現代美術」を規定すること自体に無理が
  あるんじゃないかと思いますね。
  「時代区分」というのは、ある程度先の時代になってその時代を象徴
  するスタイルに関する評価が定まってから行なわれるものだと思いま
  す。
  それなのに、「現在形の美術」を「現代美術」と言ってしまったから、1
  00年も前のスタイルをいまだに、「現代」と呼ぶハメになっているんじ
  ゃないでしょうか?
  まぁ、100年経って、なんとなくこの辺が「20世紀美術的スタイル」
  なんじゃないの?ということが確定的になってきたということなんでしょ
  うね。
  でも、今はもう21世紀になってから、18年も経ってしまっているわけ
  ですから、それはもう「現代美術」ではなくて「100年前の美術」に違
  いないわけで、「20世紀美術」と言うべきなんだと思います。

本来、「現代美術」と言うべきものは「現在存在している全ての美術」であるはずです。
現代に存在している美術なのに『それは現代美術ではありません』と言う権限なんて誰にもないでしょう?違いますか?

でも、ある程度の時間が経過して「その時代を象徴するスタイル」が規定される時が来たときに、はじめて「その時代のスタイルに沿った美術」と「そのの時代のスタイルに沿っていない美術」を区別することが出来るように成るわけです。

それで、ようやく「その時代のスタイルに沿っていない美術」を「〇〇時代美術」ではないと言えるように成るんだと思います。
でも、「その時代を象徴するスタイル」は、ある程度先の時代に行ってからでないと規定されませんから、その時点ではすでに「現代」ではなくなってしまっているわけです。

つまり、「現代美術」をリアル・タイムで規定することは出来ないということです。
リアル・タイムで「現代美術」と言えるものは「流行」にすぎません。

しかし、「流行」の大半は「時代」を象徴するものには成りませんから、「時代区分」としての「現代」と呼ぶには物足りないわけです。
ところが、「現代美術」と名乗ってしまいましたから、それらの「流行」をすべて「現代美術」として考えなければならなく成ってしまったというわけです。

その結果、目まぐるしくクルクルと入れ替わる「流行」は、一向に「時代のスタイル」として定着せず、それでいてすべての「流行」は、実のところ100年前の「コンセプチュアル・アート」や数十年前の「抽象表現」や「ポップ・アート」を焼き直し続けているにすぎないわけで、その線を外したものはほとんど「現代美術」として認識されないような仕組みが出来上がってしまっているわけです。

このギミック(言葉の仕掛け)に気づかないままこの100年を過ごしてしまったために、「現代美術」は「もう現代ではなくなってしまった現代」から抜け出せなくなってしまっています。

それで、その「もう現代ではなくなってしまった現代」を延々と繰り返しているわけですが、それはすでに「旧・現代美術」としか言いようのないモノに成っていて、「現・現代美術」と呼べるものではなくなっているわけです。
当然、「次・現代美術」は望むべくもないということです。

『ナニを言っているんだ!新しい美術は次々現れているじゃないか?そんなことも知らないのか、オマエは!!』

確かにそうでしょう。
でも、それが100年前から続いている流れをなぞってしまっているわけです。

それに逆行する流れではなく、それとは違う角度からの流れでもなく、いや、それどころか、それと全く同じ方向のまったく同じ流れに乗っかったもの以外は受け入れられないように成ってしまっているわけです。

しかも、その「100年前からの流れ」の正当性がまったく確かめられていません。
ここで言う「正当性」とは、「芸術」という限定された意味での「正しさ」ではなく、より一般的な意味での「正しさ」ということです。
つまり、一般人が受け入れていないモノを、100年以上にわたって「現代美術」と呼び続け、その「一般人ソッチノケの現代美術」を強引に一般人に鵜呑みにさせてしまったという意味で、そこには全く「正当性」が無いということです。

この「旧・現代美術」から抜け出さないと、絶対に「新・現代美術」は創造されないと思うわけです。
ということは、ずっと同じ「旧・現代美術」を焼き直し続けていかなければならないということです。
ということは、ずっと「現・現代美術」に成らないということです。
ということは、本当の「現在」からドンドン離れていってしまうということです。
ということは、もう永遠に「次・現代美術」は見られないということです。

そうなれば、たぶん「芸術」は終わるでしょう。
もしも、それが「芸術に与えられた必然」であるとしても、その「終わり」にはそれなりの「美しい形」が必要なんじゃないかと思うわけです。

つまり、最後に一度でも「本当の現代美術」が創造されてから、「芸術の終わり」があるべきではないのかなと。
一般人も含めた「みんな」が素直に受け入れられるような「現代美術」があってもいいんじゃないかなと。

そんな風に思っているわけです。



 
 
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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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