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「未来の常識」は「現在のナニ」なのか?



現在の世の中では「絶対にやってはいけないこと」とされているようなことでも、過去には「常識」だったということはたくさんあるわけですが、それでは、「現在の常識」は、次の時代に成ったら「ナニ」に成っていくんでしょうか?
そして、「未来の常識」と成るようなことは、現在の世の中では、いったい「ナニ」ということに成っているモノなんでしょうか?

たとえば、「奴隷貿易」なんて現代人からすれば、『どう考えても人間としてアリエナイでしょ!なんでそんなことが出来たの?』というレベルだと思いますけど、たかだか200年ぐらい前までは、ごく普通に行われていて、列強諸国の主要な産業のように成っていたわけです。

どうしてあんなことが出来たんでしょうねぇ。不思議です。
でも、まぁ、要するにそれが「常識」であったということなんでしょうね。

ということは、今「常識」とされていることも100年~200年後には「奴隷貿易」と同じくらいに「アリエナイこと」に成るかも知れないわけです。
でも、今はまだ、それが「常識」なわけですから、どの「常識」が100年後に「どういう非常識」に成るのかがわかりません。
そうなると、「未来の常識」がどんなものなのかなんて全く「想定不可能」としか言いようがないと思いますが、おそらく、それは「現在は常識ではないナニカ」なんだと思います。

これは、実はとても恐ろしいことで、要するに、今自分が「常識」だと思ってやっていることが、100年後には「奴隷貿易」レベルの「非人間的な行為」に成るのかも知れないということなわけです。
一方、今自分が「非常識」だと思って、軽蔑したりバカにしたりしていることは、100年後には「人間として素晴らしい行為」であるということに成って、未来の人たちから見たら、自分が今やっていることが、そういう「スバラシイこと」を軽蔑したりバカにしたりしていることだと見えるように成るのかも知れないということなわけです。

これは恐ろしいですよねぇ。
そう思うのって私だけなんでしょうか?

「常識を振り回す人」なんて言うタイプの人は、そんなこと考えないんでしょうね。
そう言う人は強いと思います。
悪い意味で。

まぁ、取り敢えず、私は恐ろしいです。
しかも、それを防ぐ手立てはありません。
なにせ、それが今は「常識」なわけですから。

そこから完全に逃れようとすれば、すべての常識的な行為が出来なくなってしまいます。
たぶん捕まると思います。

それに、どの「常識」が「非常識」に変化するかもわからないのに、ヤミクモにやっても「単なる悪人」にすぎませんから、それも意味がありません。

そうなると、もう、残る道は「あやまること」だけです。
つまり、常に「未来の人」や「未来の社会」や「未来の自分」に、前もって丁重にお詫びしておくわけです。

『いろいろ考えながら最善を尽くしたつもりなんですが、もし万が一、今私がやったことが将来トンデモナイ悪事であるということが判明いたしました折には、どうぞお許しいただきたく存じますです。はい。』
という感じで、「未来」に対して、心よりのお詫びをしておくわけですね。

『オマエ、ふざけてるだろ!』
『いえっ!大真面目に言ってるでゴンス』

やや伝わりにくいかも知れませんが、ホントに真面目です。

「未来」という設定を抜きに考えたとしても、「本当に正しいこと」なんて、そう簡単に判断することは出来ません(というか、そんなものないとも言えなくはない)から、取り敢えず、自分のしていることに疑問を持つということは大事なことなんじゃないかなと思うわけです。

そういう「疑問」を持たずに、自分だけの規準で「いい」とか「悪い」とか言っているのって、「言葉」というよりもどちらかと言えば「鳴き声」だと思いますね。
そういう考え方の人は、果てしなく長い道のりを経て、とうとう「人間」が持つに至った「言語」とか「会話」という手段を否定しているわけで、つまりそう言う人の「コトバ」とは「人間の言葉」ではなく「鳴き声」なんだと思うわけです。

「非情に複雑な鳴き声」ですね。
かえって、イヤラシイです。

いずれにしても、自分の主張が間違っているかもしれないという想定をどこかに持っていることは必要なんじゃないかと思うわけですね。
というか、正確には、「正しい」か「間違っている」かが変わるんじゃなくて、自分自身の規準が変わって、現在自分が主張していることが、将来の自分自身に否定されることがあるということですね。
しかも、けっこうよくあるということです。
いや、すごくよくあるということです。

実際には、ほとんど全部だということですけどね。
ただ、人間の寿命がその前に尽きてしまうことも多いので、それに気づかずにいられることの方が多いというだけです。
でも、時代のスピードが速くなっていくにつれて、「常識」や「人の主張」も変化するのが早く成っていますから、気づかずに死ねることの方が、だんだん少なく成って来ているわけですね。

そういう時に「自己正当化」をする人が非常に多いんですね(そういう人、増えていると思います)。
つまり、既に自分自身の規準が変わってしまっているのに、過去の自分が犯した「間違い」を認めたくないために、その「間違い」の方を「正当化」してしまうわけです。
これをやってしまうと、もう、まともな話は一切成り立ちません。
だって、その人自身が『間違っている』と思っていることを『正しい』として話をするわけですから、話が成り立つわけありませんよね。
こういうことは、実は話の内容よりも重要なんだと思いますよ。

そこで、「先にあやまる」という方法が有効なんじゃないかなと思うわけです。
つまり、将来自分の意見が変わって、今の自分の考えが「間違い」だったと思うように成っても、すでにあやまっちゃってますから、「自己正当化」する必要が無いんですねぇ。

画期的です!

ただ、「先にあやまる」と言うと、なんとなく卑屈なイメージがあるかもしれませんけど、そういうことではありません。
これは、あくまで自分の考え方が変わった時という仮定での話であって、その時点で、自分が正しいと思うことを「今、あやまる」必要があるということではありませんから。
というか、「今は、まだあやまれない」からこそ、「前もって未来にあやまる」わけですね。

とにかく、日に日に、この「自己正当化をする人」が増えていると思います。
でも、これをやってしまうと、人とまったく話が通じなくなりますし、「自己正当化」している本人も必ずオカシナことに成って行きます。
まぁ、「間違っていること」を「正しいこと」にしてしまうわけですから、いつも「間違っていること」をやり続けなければならなくなるわけで、そりゃオカシナことに成るに決まってますよね。

ご本人的には、その辺をうまくごまかして、その場だけ「自己正当化」しつつ、次からは「新基準」に従って行けばいいだろうと思っているわけですが、そうはいきません。

これは、一度「嘘」をつき始めると、その「嘘」を肯定するために、また違う「嘘」をつき続けていかなければならなくなるのと同じで、エンドレスです。
「嘘」ならば、「嘘も方便」という言い方があるくらいですから、「その場だけの嘘」というのもあり得るとは思いますけど、「自己正当化」の場合は、偽るのも偽られるのも「自分」ですから、絶対に逃れることは出来ません。
少なくとも、この「自己正当化」を習慣的に行うように成った人は確実にオカシナことに成っていくと思いますね。
そして、そのことに、ますます苛立って、一層「自己中心的な思考」に走るように成り、どんどん横暴に成っていくしかなくなってしまうわけなのです。

あからさまに「人に対して横暴」に成っていく人も居るでしょうし、「自分の中で悶々と横暴」に成る人も居るでしょうが、どちらにしても「自己正当化」を選択した人は、人と本当の意味で内容のある話は出来なくなっていきますし、自分の中で「自分が否定しているモノ」をいつも肯定し続けなければならなくなりますから、常に「不幸」です。
ハッキリ言って、そう言う人には、もう「人間としての幸福」はあり得ないと思います。

まっ、そんなことから、「先にあやまる」というやり方があってもいいんじゃないのかなと。

そんな風に思ったわけなのです。

それに、「未来の自分にあやまる」っていうのが、なんかいいじゃないですか?

そんな風に思いませんか?


『・・・・・・・・・・・・・』

「・・・・・・あれっ?」




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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